優しい歌

4月16日は、TDの誕生日だった。

ふと思い出して、さくっとLINEを飛ばす。


私「おめでとう!」


送ったあとで気付く。自分でも情けないほど短いしフツーの言葉だなぁと。味気なくてちょっと申し訳ないとも感じたが、、、まあ彼ならこのくらいでいいや。

ブラウザを閉じようとしたら、すぐ既読がついた。


TD「そう言ってくれるのは君くらいで僕は泣きそうです笑」

TD「誕生日だけど何すればいいかわからん笑」

すぐ返ってきた。

こうゆう、ちょっとなよなよしたところ、変わらなくて安心する。


・・・


私たちは北海道のど田舎で生まれ育った。狭い町で、12年間、小学校も中学校も高校もいっしょに過ごしてきた。小学校から同じスイミングクラブに通っていたから、学校の彼と、放課後の彼が少し違うことを知っていた。

中学校では、時間が合えば一緒に下校をして、数時間後にプールで会う毎日。長く同じ時間を過ごすうちに、二人だけの秘密もできた。遠征のためのバスや電車では常に隣の席で当時の悩みを話してた。毎日メールもしていたのに、よくそんなに話すことがあったなぁと我ながら思う。恋人同士として付き合ってたわけではなく、ただただ、仲が良くて居心地が良かったから一緒にいただけ。だから、お互い別々に好きな人もいたりしてた。それでも構わず漫画やCDの貸し借りは続き、お互いのベストを詰め込んだMDは宝物だった。

高校に進学後も、なんだかんだで3年間同じクラス。嫌でも毎日顔を合わせてた。

こういう存在を、幼馴染というのかと、今更気づく。

幼馴染って、渦中にいると案外わからないものだ。


彼は、ひとりっこ。記憶を辿る限り、運動はあまり得意じゃなかったと思う。いつもゆるっとしたジーンズを履いていて、髪の毛もゆるゆるの天パで、ちょっとシャイ。

鍵っ子だったからか、小さい頃からひとりで家にいることが多かったみたい。彼の部屋には、ゲームとガンプラ、あと大量の漫画があった。

わたしは3人兄妹の真ん中で、自分だけの部屋はなかった。お母さんは専業主婦だったし、ありがたいが時にはわずらわしいことに、家に帰ると必ずいる。リビングをとおらないと子供部屋に行けないし、ひとりになれる場所は家にはなかった。

家族の暗黙ルールとして、漫画は買ってもらえたけれど、外で遊ぶことのほうが褒められることだったし、週末は家族でどこかに出掛けることがとても多かったから、部屋でひとりで遊ぶためのおもちゃはそんなに多くなかったと思う。


性格の面でも彼とわたしは大きく違う。スイミングの先輩方の輪に混じって可愛がってもらうことに必死なわたしに対して、のんびりゆるゆると構えた人との関わり方をする彼と、人とのコミュニケーションの取り方にも違いがある。


自分にはないものを持っている人に惹かれるってよく言うけれど、今思うとそうだったのかもしれない。

幼い頃から、わたしは彼がうらやましかった。


・・・


高校生のころ、彼は映画を自覚した。

中学校の頃から、彼が映画好きなのは知っていたが、彼の映画趣味は高校生になって開花した。

高校3年生の文化祭で、自主映画を作った時。

彼は監督兼映像編集。脚本は、わたしと親友の彩。パロディの寄せ集めのような作品だったが、誰にも気づかないようなこだわりを散りばめた自信作だ。

これまで、わたしたちは映画を「観て」楽しんできたが、

このとき、はじめて映画をつくり、観てもらう喜びを経験した。

彼の目の前に広がる世界が変わった。


・・・


映画のために浪人をした彼より一足先に、わたしは東京の大学に進学をした。東京で友達ができて、これまたSNSでの友達づくりに必死になった。いいねの数は多いほうが嬉しいし、飲み会はそんなに好きじゃないけど誘われたら断りたくない。少しでも「何か」に役立ちそうな授業を探し、ゼミを選んだ。「伸びてる業界だから」という理由で就職先を選び、ピカピカなデジタルの業界に身を置いた。

止まらずに突き進むもんだから、過ぎてから気付く

ツルツルでふわふわな意思決定の連続が、悲しかった。


悲しみを繰り返して忘れかけたころ、思い出したように彼に連絡をする。学生のころはあんなに毎日メールをしていたのに、今じゃLINEで半年に1回くらい。

東京にでてきてもう5年。

人に出会い価値観に戸惑い、すっかり心が変わってしまった気がする。なるべく上澄みを生きてきたわたしに対し、恥ずかしくなるほど、彼は今でも愚直に映画に向き合っている。

大学で学問的に映画を学び、撮影がしたいともうひとつ学校へ行く。もちろんアルバイトは映画館で。常に最新と古典を行き来して、映画の円を太らせている。

周りの目は気にしながらも、それでも夢に向かうために傷つきながらもがいてる彼に会うたびに思う。


私「変わらないね。」

TD「あなたも変わらないねぇ。」


自分ばっかり変わったと思い込んでいたが

10年前、15歳のときからわたしたちは何も変わってない。

10年前の誕生日を知っている彼はとても貴重だと、これまた今さら気付く。毎度のことながら、気付くのが遅くて嫌になるのだ。

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