それをみると自分が辛く哀しくなるから
昨夜、海外の方がUPされているYouTube動画を観ておりました。
それは一般の人たちに仕掛けるドッキリだったのですが、
お笑いドッキリとは違い、とある出来事(この出来事が差別的な要素を多分に含んでます)が、自分の目の前で起きた時、あなたならどうする?
そんなドッキリでした。
様々な差別をテーマにしていましたが、日本でもある同世代のイジメによる差別的発言(ドッキリです)を耳にした周囲の人達の反応動画です。
この動画の他にも、様々なシュチエーションでターゲットが差別されるというドッキリ動画があったのですが、周囲の人達(ドッキリされた人達)の反応は胸をうたれるものが大変多く、久しぶりに感動しておりました。
勿論、ドッキリ動画なので編集で刺激的な反応があった部分だけをUPしているとは思うのですが、私達日本人が同じ状況になったらどうするのだろうか・・・?と、考えずにはいられませんでした。
私達日本人もそうですが、ワタシ個人ならどうするだろうか?とも考えながら観ておりましたわ。
見て見ぬふり
そうなる可能性は大いにあるであろうと思います。
(状況にもよりますが。)
状況によっては、他者のトラブルに巻き込まれたくないという思いや
余計なお世話かもしれないという気持ちが出てくると思うからです。
そしてまた状況によっては考える間もなく反射的に言動が飛び出してしまうかもしれんなぁ・・・とも思いましたね。
では何故、状況が自分の発信する言動に関わってくるのかといえば、
それをみると自分が辛く哀しくなるから。だと思うのです。
差別をする仕掛け人のような人間が存在するということへのガッカリ感や、
差別を受けている人(これまた仕掛け人ですが)を自分に置き換えて、もし自分がそうされたら・・・と考えるからでしょう。
なので、その場で咄嗟に助けに入る場合は、
自分自身を助けていることになると思うのです。
ただ、世の中には「助けてやった!」という上から目線で助けに入る人もいますよね。
「助けてやった」という言葉自体が人を見下している差別言葉ですが、
そういう人はそれに気づいていないことが多いように思います。
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