見出し画像

私が描く かいじゅう とは。

なんだかお外が賑わってるなぁ

ガコガコ よいしょよいしょ いいぞー!


あら、お引越しだわ。


ここのアパートは恐らく転勤族さんが多く、
それ故に平日の日中こういう場面を何度も見る。

引っ越し業者さんをレースのカーテン越しにジーッと見てるの好きなんだよね‥
相手からも見えてたらヤバいな。

アパートの人とはほぼ面識は無いんだけど
たまーに、

こんにちは!
どうもー。
すみませーん。

くらいの社交辞令をするのだ。

私はあまり人と接することが無いから、
これだけでも結構、

お話しできたなぁ

と思うわけだけど

社会と交流の多い彼は
そんな私に 

「それは皆んな言うやつやで」

なんて言うもんだから

なるほどなるほど。

人の幸福度はやはり人によって違うわけだ
と思うわけです。

挨拶って


言わなきゃいけないって苦しい部分と
言われたら安心して嬉しい部分と

これまた人によって違うわけで


母親世代ってすごいなって思うんだよね。

ご近所さんに 
取れた野菜どうぞー!
あらーありがと、ならコレもっていきなよ。
いいのー?それじゃあ、今度お菓子食べに来てよ!

コミュ力のエグさよ


私ときたら、

野菜をスーパーで買う。
鼻歌しながら野菜を切る。
彼とYouTube見ながら野菜を食べる。
終。

いやまぁ、野菜育ててない時点で土俵すら違うんだけどね(笑
(そこじゃ無い感。)

ジブリみたいな世界なぞ、このご時世ないのだ。

(田舎の実家にはあるが‥)


だからジブリの世界に夢を見て
近所の人が引っ越しを手伝ってくれて
野菜を川水で冷やして食べるなんて素敵!

なーんて、アパートの水道水で野菜を洗いながら思うのです。

そういう気持ちの表れが
今の作品に繋がってんのかなぁ🦖


そもそも私の描く

かいじゅう

ってなんなの?

って話をしたいんだけど、


私はよく

うまくいかない自分、
大人になりきれない自分、
リアルで正直に言葉にすることが叶わない自分、

そんな存在を 

『かいじゅう』

 って呼んでます。

そいつはどんな人の心にも住んでいて、
子どもも大人も女も男も関係ないみたい。

外で子どもたちがどうしようなもく泣いてあばれているのを見る度に

『ほげーー、かいじゅうみたい』
と横目に見てて

そこで、ふと

大人になった自分の中にも


『そういえばかいじゅういるなぁ‥』

ってちょっと笑えたことがあったのです。


それがきっかけだったのかな?

子どもが泣いてるのは、

何か伝えたい!
でもうまく伝えられなくて‥
どうしようもなく伝えたくて、


でもできない。

あ、ワタシだ




子どもたちって

正直で
まっすぐで、
自由で、大きな夢を持っていて、


たぶんそれが、
大人になった自分を幸せにできる唯一の近道というか
法則なんじゃないかな?

幼かった自分が一番よくわかっていたのでは‥

だからかな

子どもたち を尊敬しちゃうんだよね。


私はそんなかいじゅう達を描き続けて、

こんな面倒臭いもんを抱えた自分でも

やれたぞ!

っていうのを

『作品』って形で

自分の かいじゅう とちゃんと向き合えたと


感じたいのかもねぇ。

そんな自分を
逆に未来ある子供たちに

かっけぇ

って言ってもらえるように

がんばろ!



本日はここまで!🦖🌻


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?