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オリンピックを廃止へ 〜IOCとオリンピックの歴史〜[翻訳]

翻訳元:Abolish the Olympics. ( Gia Lappe · Jonny Coleman 著、CONYAK訳)2021年7月21日

にわかには信じがたいが、東京”2020”オリンピックが今年開催されてしまう。開会式の時点で東京の人口の20%ほどしかワクチン接種が完了しておらず、選手村に関わるスタッフを含め50人以上の関係者がコロナウイルスに感染し、新しいオリンピックスタジアムで性的暴行が報じられ、開会式の統括が女性を「オリンピッグ」と罵り、[性差別で辞任した組織委員会会長の]後任には自身もセクハラ問題を抱える女性が就き、運営委員会の経理幹部が自殺し、開会式の作曲家による虐待が批判を浴びるなど、次から次へとスキャンダルが起きているにも関わらず開催される。その上で、国際オリンピック委員会(IOC)は日本に住む人たちにオリンピック開催のために「犠牲を払う」ことを要求した。

そして83%の東京都民が中止を求め、日本の医師や看護師たちが中止を懇願し、コロナ禍による緊急事態下で病床がひっ迫しており、すでに多くの選手がコロナウイルスに感染し、まだ多くのワクチン未接種の選手たちがいるにも関わらず、オリンピックは開催されている。大手メディアでさえオリンピックに反対し始め、責任の所在を求めているのにIOCは止まらない。カジュアルな人種差別ファシスト的な雰囲気(と歴史)を携えて歩み続けている。そして歴史が示す通り、少しでも立場をわきまえない選手がいれば、処罰することを恐れない。

テレビやスポンサーとの契約を履行するために、あらゆるレベルで起きている莫大な失敗は計り知れなく、もはや言葉に表すことすら難しくなっている。世界の反対を押し切り、オリンピックは開催されている。その理由とは米国のメディアグループ(NBCユニバーサル)や他の五輪パートナーは広告枠の先行販売で「歴史的な利益」を生むと予測しているからだ。IOCや関係者はこの大会が今までの歴史上、最も革新的かつサステナブル(まるっきり嘘だが)で、万全な体制下社会的責任を熟慮した五輪になると謳っている。おそらく彼らは、死者の数が何人になろうと、その主張を曲げようとはしないだろう。

この壊滅的な結果は、オリンピックの本質的な構造に起因している。これらはオリンピックの特徴であって、偶然の産物ではない。そして2020年版が特別なわけではない。これらは、この大会と黒幕であるIOCが正常に機能している結果だ。IOCは戦争犯罪者として著名なヘンリー・キッシンジャーを携えたり、IOCの元会長には「奴隷制のアベリー」の通称で知られる人もいる。IOCは、アスリートと開催都市を搾取している「のに」存在するのではなく、搾取するためにこそ存在している。だからこそ、終わりにしなければならない。

オリンピックの起源

近代オリンピックは19世紀末に、優生思想を持つ貴族ピエール・ド・クーベルタンによって、世界万博を盛り上げる興行として考案された。彼らの目的は、フランスのナショナリズムを強化しながら、すでに潤沢な自分と友人らの資産をさらに増やすことだった。クーベルタンは度違いの人種差別とミソジニー(女性蔑視)、そして目立ちたがりで資産をひけらかす事で知られている。近代オリンピックが謳う古代ギリシャとの繋がりは、歴史的事実というより、神話的なマーケティング戦略だった。そしてオリンピックは城壁を侵略するために使われたトロイの木馬のように、住民の排除、軍事化、不動産の投機的投資、そして権力者がさらに権力を集約するために利用されている。

どれか一つでも過去のオリンピックを検証してみれば、上記の目的や悲惨な現実は時代を超え、独自の形で内包されている事に気づくだろう。1904年に開催されたセント・ルイス・オリンピックは、開催者たちが「無かった事」にしたがっているため、あまり語られない大会の一つだ。その大会の催し「人類学の日」では、関係者が世界中の少数民族を集め、裕福な白人選手たちとスポーツで競わせた。白人選手らの真似をする「野蛮な」人を見せ物にする事で、「世界の少数民族が本質的に劣っている」ことを見せしめる目的があった

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1932年のロサンゼルス大会は、LAの不動産王ウィリアム・メイ・ガーランドと、都市開発に親和的な5大新聞の会長たちの働きかけで、大恐慌の最中に開催された。彼らは中流階級の南国のパラダイスとしてロサンゼルスの知名度を上げることを宣言し、大々的に宣伝した。この大会では、投機的な投資家たちが利益を生むために不動産価格を釣り上げ、政治的な便宜を図るためにオリンピックが開催されるという目的が明白に現れた。この時代に、ロサンゼルスで最初の巨大ホテルが建設され(投機的なホテル建設はその後全ての大会で行われている)、貧困層の多く住む地区にあるエリシアン公園にロサンゼルス警察学校(LAPDアカデミー)を設置した(つまり、オリンピックが開催されるたびに取締りが強化される)。

なぜかIOCが未だに誇りを持っているのが1936年に開催された「ナチス大会」だ。この大会からオリンピックの聖火リレーが始まった事でも知られ、アドルフ・ヒトラーと彼のプロパガンダチームが国内外でより賛同者を増やすために使ったことは言うまでもない(2020年にはIOCが「過去を振り返ろう!」とナチス大会をフィーチャーしことで、アウシュヴィッツ博物館から批判を受け、ツイートに関しては謝罪したが、なぜか長年ナチスと共謀してきたこと関する謝罪はなかった)。政治の世界同様、人種差別の存在をIOCは断固として認めたがらない。当然、選手による抗議活動はオリンピック憲章で禁止されている。

しかし、アメリカ合衆国とヨーロッパの労働階級が台頭してきた時代、左派によるオリンピック反対の声が高まったこともある。社会主義労働者スポーツインターナショナル(SASI)は「国際労働者スポーツ運動」を1920年に開始し、1928年にはメンバーが200万人を超えた。

第一回「労働者オリンピアード」は1925年にフランクフルトで行われた。1931年には第二回大会がウィーンで開催され、8万人の選手と25万人の観客を動員した。この大会は翌年開催された1932年ロサンゼルス・オリンピックより、選手、観客共に多くの動員を果たした。また同年、シカゴでも共産党員たちも独自のカウンター(反対行動)オリンピックを企画した。1937年、第二次世界大戦が勃発する直前に、第三回目で最後となる「労働者オリンピアード」がベルギーで開催された。戦後、国際労働者スポーツ同盟(CSIT)が設立され、SASIの後任団体となった。

しかし、第二次世界大戦を終えて、労働運動は徐々にオリンピック反対から、オリンピックを支援する立場へと移行していった。

1980年代から、オリンピックに関連した問題の規模が拡大していった。1984年(ロサンゼルス大会)は、今では完全に定着したアメリカ都市と高度警察社会の連結の基盤が敷かれた。ロナルド・レーガンはロサンゼルス警察の悪名高い署長ダリル・ゲーツを大会を通して賞賛した。ゲーツは厳しい取り締まりで知られており、1984年のオリンピックの名の下、ギャングとの関わりが疑われている人を問答無用で逮捕する方針を取る事が許され、一時はロサンゼルスに住む25歳以下の黒人の約半数がギャングメンバーとして警察のデータベースに登録された。ゲーツは、1992年にロドニー・キングが警察の暴力により死亡したのをきっかけに起きたロサンゼルスの蜂起を受けて辞職した

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1988年ソウル大会では貧困層、野宿者、定住地がない人、障害がある人などが世間の目に触れないよう強制収容所に入れられるなどの人権侵害が横行した。1992年バルセロナ大会では、土地の収奪が広範囲で行われ、今でも加速し続けるジェントリフィケーションと居住地区の観光地化へと繋がっている。1996年アトランタ大会では、再び貧困層への暴虐な対応が見られ、大規模な反ホームレス対策公営住宅の破壊が行われたにも関わらず、メディアは爆弾を発見した警備員リチャード・ジュエルにばかり注目した。

2008年北京大会では150万人もが土地開発のために居住地から排除された。2016年リオ大会では、無用の長物、「ホワイトエレファント」(白い象)と揶揄されるスタジアムの建設のために、ファヴェーラ(貧困街)を更地にし、7万7千人が住居を追われ、同時に警察による取締りが過熱した。イースト・ロンドンの住人たちは今でも2012年ロンドン大会に関連する開発で立ち退きを強いられ、2014年ソチ大会での人権問題は記憶に新しいだろう。今でも同性愛が犯罪化されてるロシアで、ソチ大会を前にLGBTQであることを疑われた住人が政府によって攻撃され、中には消された人たちも現れた。にも関わらずIOCはそれらの出来事に対し、何一つ非難せず、オリンピック憲章に含まれる人権の対象者はアスリートとIOCメンバーだけであるとコメントした。2018年平昌大会では多くの韓国人にとって神聖な森だとされている原生林がスキーコースを作るために刈り取られた。たった2度使われるスキーコースを作るために。

IOCが恐れていること

毎回駆り出される何万ものアスリート、労働者、ボランティアも、オリンピックの被害者だ。多くがまだ子供であるアスリート達は、精神的に、身体的に、性的に、そして経済的に搾取される対象となっている。何十年にも渡って報道されてきた選手に対する虐待に関して、オリンピックが自主的な改革を掲げて立ち上げた「SafeSport」は何も対策してこなかった

「オリンピックは改革できない」

競技場の外でも労働者の搾取が横行している。露天商やセックスワーカーのような非正規経済に対する取締りは厳しさを増す。2020年東京大会では(多くは辞退した)10万人のボランティアが必要とされ、過密な工事日程を強行するため何人もの建設作業員が死亡している。開催都市ではありとあらゆる搾取が、開催年に向けて急増する。国際的ブランドが有利になるように書き換えられた経済の流れの中、小規模な商店埋もれていく。Airbnbのようなオリンピック・スポンサー達が労働組合を軽んじ、居住用の家屋を違法で商業用の(労働組合のない)ホテルへと転換していく。蓋を開けてみれば、オリンピックは職を増やすどころか、 既存の観光業を都合よく書き換えるだけで、労働者にとっては最低なイベントだ。

そして2020年東京大会に辿り着く。東日本大震災と福島第一原発の爆発から2年足らずの2013年、東京は2020年にオリンピックを開催する「権利」を勝ち取る。この大会は右派政権の招致の結果、「復興五輪」を代名詞として国民に売りつけられた。まず問題なのは、福島をはじめ、被災地はまだ復興していないということだ。それにもかかわらず当初7000億円だったはずのオリンピックの予算は2.6兆円にも膨れ上がった。

そもそもオリンピックに費やされる底知らずの公的資源の全貌は、運営予算に正確に反映されてはおらず、鵜呑みにしてはいけない。もっといえば、何年にも渡る公的資金の無駄遣いも一切反映されていない。1998年長野大会では、監査が入る前に関係書類がシュレッダーにかけられたため、いくら予算オーバーしたのかは明らかにされないままだ。この規模の公的資金は経済全体を転覆させるほどのものだ。実際に1976年モントリオール大会2004年アテネ大会後に各政府は回復不可能なほどの巨大な負債を抱えた。当然、オリンピックの運営側は知らず顔だ。

東京大会の招致が決まった頃に比べると、開催都市が決定してから大会が開催されるまでの期間が大幅に長くなった。2032年の開催地が豪州のブリスベンに決定されたのがまもなく公表されるが、オリンピック開催の意志がある都市が少なくなったため、今までのような候補地競争のお祭り騒ぎはなかった。この10年で市民投票などにより候補地を辞退せざるを得ない都市が爆発的に増えた。ほとんどの都市ではオリンピックの候補地になる意欲がないというのが現状だ。しかし、開催地の選考から開催までの期間が、2013年ごろからほぼ倍に延びたのも問題だ。都市における住民の排除、暴力、そして警備の武装化が進む期間が延びてしまうからだ。同時に、この時期尚早といえる状況はIOCの焦りを反映しているともとれる。立候補都市の減少と並行し、なるべく多くの開催地を早急に決定しようとしている。大会を誘致することによるダメージは無視できなくなってきており、オリンピックに対する反対活動ももはや一般的になってきている。

また、2020年東京オリンピックは、日本の民間の警備会社の後ろ盾がある。多くの住民が強制退去された1964年の東京オリンピックは大手民間警備会社ALSOKやSecomの創設の礎となった。現在、この二社は2020年東京オリンピックの後援者となった。彼らはこの10年間、監視と取り締まりに関する新たな法制定に向けたロビー活動を支援しており、これらはオリンピック以外にも利用され、新しい警察技術を常態化させることになる。

これら諸活動は、貧困層に対して暴力的だ。住居の持たない住民は公共の場から追い出され、公園やその他の文化施設は取り壊されるか、商業化される。IOCと彼らが奉仕する企業ブランド、警察、政治家、土地開発者が自らの利益のために国全体を手玉に取っている。どのオリンピックであろうと、招致活動から開会式にかけ、開催地の民主主義が脅かされることは、どのオリンピックにも共通している大きな特徴だ。

これらはコロナ以前、オリンピックが2020年に延期または中止される世界で最後の主要イベントとなる前の話だ。日本政府がコロナに対する懸念を和らげるためにパンデミックの現実を不明瞭にしたり、緊急事態に使われるべき資源をオリンピック開催に転用したり、日本オリンピック委員会(JOC)のトップが女性差別を理由に辞任したり、IOCが黒人やインターセックスのアスリートをマリファナ水泳キャップホルモン値などの恣意的な理由で罰したりする前の話だ。

この16ヶ月間で、IOCはアスリートや開催国、または世界の公衆衛生のことなど全く気にも留めない団体だということが世界の大部分の人々に伝わった。オリンピックは、我々が目指そうとしているフェアな世界とは相容れないものであると実感させられた。そんなに深く考えなくとも、オリンピックの化けの皮はすぐに剥がれていく。裏にいるのは、年老いた、権力に飢えた超国家的な権力者たちの委員会にすぎない。オリンピックは彼らのための2週間にわたるパーティーであり、都市開発と軍国化を目指す政治家や開発者によって実現されている。

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オリンピックを毎回同じ場所で開催するべきだと提案されることがしばしあるが、これでは本末転倒だ。オリンピックは昔も今も都市開発、搾取、浄化政策のための道具である。そして、大会はアスリート同様、裕福でコネがある層、団結やスポーツマンシップよりもはるかに悪どい権力に関心を持つ層が、利権を握るための小道具でしかない。IOCやJOCを初め、諸関係団体は改革する空気など微塵も感じさせない。

オリンピックは改革できない。今年のオリンピックは、彼らの真の姿を見せてくれているのだ。

東京2020(そして今年後半には北京2022)の開催中止を求める声が大きくなるにつれ、IOCとオリンピック自体の廃止も同時に呼びかけるべきだ。オリンピックが「どこで」開催されるかは問題ではない。我々は「なぜ」、そして「誰のために」開催されるかを問うべきなのだ。もし利益目的ではなく、地域のコミュニティーや労働者が主宰する国際的なスポーツイベントが開催できるとしたら、場所なんてどこだっていいはずだ。そんな大会が思い描けないのであれば、どこであろうともオリンピックなど開催すべきではない。