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鳥の餌、幸せを呼ぶ

みなさんこんばんは、鎌田一帆です。
デザインをしたり、言語を勉強したりするのが好きな人です。
最近はnoteを定期的に書くようにしているので、良かったら続きを読んであげたり、フォローしてあげたりしてください。
私のことをもっと知りたいと思ってくれた方のために、ポートフォリオも載せておくのでよかったら。

Kazuho Kamada Portfolio
https://kilinsan.studio.design/


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私には料理熱がない。

小さな頃から質より量で、小学生の時はマックでハンバーガーを4つ食べていた。食い意地はしっかり張る方で、居酒屋で注文されたものは、必ず一口手をつける。しかしながら自分で料理をする、という部分に対しては、熱がないらしい。美味しいものは食べたいが、時間をかけて、またたくさん勉強してまで、料理を学びたいとは思わない。

なので飯は作るが、「早くて簡単」が基本だ。ニンニクを刻み、フライパンの上に乗せ、醤油をかけて焦がせば、あとは具材がなんでも基本的にうまい。料理の決め手の味付けは、酒・みりん・醤油。これで基本的にはなんでもうまくなると考えている。その程度だ。そして食材も選ばないため、基本的には同じものを食べる。野菜は業務用スーパーの冷凍食品で済ませ、週に一度安い肉も買う。炊いたご飯は、タッパーに小分けにして詰めておいて、冷凍しておいたものを温めて食べる。これで私の胃は満足する。舌はおそらく肥えていない。

私はシェアハウスに住んでいるため同居人が居る。彼らもそれぞれ料理をする。不思議なことに、私以外の皆は料理への熱があり、旨いものを作って食べることに対して、投資を惜しまない。ある者は毎日同じ料理を作って研究する。ある者はパスタの研究にこれでもかというほどの情熱を持っている。またある者は、魚を捌くのがこの世の至極だと言う(少し言いすぎたかも知れない)。

とまあ、こんな彼らが私の料理を見ると、このように品評する、「鳥の餌」と。「ああ、またお前は鳥の餌を食っているのいるのか」と私の料理をみては呟いてくる。この文章だけを見ると、私が性悪な奴らとばかり住んでいるのではないかと、勘違いされそうだ。しかしまあ、鳥の餌はと言うのは、私も認めるところである。何せ、グリーンピースとコーンとサイコロニンジンを炒めて食っているから、まあそのように見えたりするのだろう。

とはいえ、私は私で、この料理時間が10分未満かつおいしい「鳥の餌」に、満足している。しかし住人たちは不憫に思うのか、「飯は要るか」とよく聞いてくる。私は無論、「要る」と答える。彼らは確かに旨いものを作るからだ。ずっと研究していたパスタやオムライスを皿に持って、私に分けてくる。これは鳥の餌をよく食っているからだろうと、私は踏んでいる。

中でもSUZIKENさん(仮名)が料理を分けてくれることが、私が鳥の餌をよく食っている一番の恩恵と言っても過言ではないだろう。SUZIKENさんの料理は群を抜いている。味が家庭の味の域を優に超えているだけでなく、見た目までこだわり抜かれている。日本食からイタリアンまで、こよなく愛す彼は、作れないものがほとんど存在しない。SUZIKENさんに「これ作ってください」と言えば、基本的に想像を遥かに超えるうまさを包容した、頼んだ料理が出てくる。参考にSUZIKENさんの料理写真をこちらに何枚か貼っておこう。撮影能力と編集能力が低いことはご容赦いただきたい。

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SUZIKENさんの本当のあだ名がバレてしまった。私としたことが... 
まあいいや。

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こういった料理シェアの文化があったからなのか、最近は皆で食事をすることが多い。私以外の誰かが料理を作り、その他のメンバーに振る舞うと言った形だ。これがとても楽しい。「同じ釜の飯を食う」と言う言葉もあったりするぐらいだ。やはり一緒に飯を食うと楽しかったり、仲良くなったりするのだろう。

飯はうまいし、一緒に飯をくっていたるやつらも好きだとなると、幸福感をいつも以上に感じたりする。「毎日こんな感じで過ごせたらな」と、考えたりする。しかしそれは難しいだろう。同居人の一人一人が、ずっとここにいるわけではない。彼らにも、追いかけている夢ややりたいことが存在する。もちろん私にも。

となると、仮に究極の二択として、「夢を追うか」「好きな人と暮らし続けるか」があるとすれば、私はおそらく夢は追うべきだろう。その過程で違う出会いがあったり、環境を変える必要があったりするのだから当然なのかもしれない。自分だけの目線っで話していたが、相手もきっとそうだ。私の存在は、きっと彼らそれぞれが追う夢とは、天秤にはかけられない。私がいくら、「あなたたちと一緒に過ごしたい」「もっとそばにいて欲しい」と言ったところで、彼らは足を止めないだろう。むろん挑戦を前にした人間が私だとしても、私は彼らとの時間より、挑戦の道を選ぶのだと思う。

しかもだ。同居人が私と同じように、心からこの時間を楽しんでいるかはわからない。この場所でさえ数ある「家」と呼べる場所の一つで、多数存在する「家族のような人たち」の一グループにすぎないのではないか。そんなことを考えると、そこし寂しい気持ちもする。しかし皆、頭の片隅でこの寂しさを理解している気になっているから、人は、誰かに依存することなく、友人や大切な人の旅立ちを受け入れるのではないかと思う。まるでアルバムのように。いつか振り返るための思い出にするために。

このように考えると、今私がこうやって彼らと食事を共にする時間は、思い出になるための1ページにすぎない。思い出は、「残される」ということに、一番価値を発揮するのだから。そうだとしても、楽しんだ瞬間を愛おしく思えていなかったら、深く感情に刻まれていなかったら、この現在は、思い出という堰に引っかからない。ただただ、他のなんでもなかった時間と同じように、だらだらと、無に帰してゆくのだろう。だから、本当に大切なのだ。みんなで一緒に食卓を囲む時間も、料理が好きな人が、美味しく食べる人に料理をふるまえることも。私がいつも鳥の餌をたべていることでさえ、重要なことだったのだ。おかげで私はまた、幸せだった記憶の箱の中に、大切な思い出をしまうことができるのだから。


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ではまた次回のnoteで。

読んでくださってありがとうございました!