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「うちで踊ろう」に安倍晋三さんが乗っかってきた件

◆ はじめに

まずは多くの人が言っているように、総理大臣の職務を考えたとき、安倍晋三さんのくつろぎ動画には驚愕と怒りを禁じえません(本当はそれを通り越して爆笑したんだけどw‥‥後述)

  「おめーが自粛してどーする」ww

いや、総理大臣だって生身の人間、未曽有の事態で心身疲弊しているでしょう。休んでくつろぐ時間があっていいんです。「それをわざわざ国民に見せてどーするよ」って話です🤣🤣 この動画を見て、国民が「総理も休んでるし、俺らも休も」ってなると思ったのかな? なるわけないよね???
 
このくつろぎ動画に漂うムード、それは 「ヒマさ」 です。
 
さすがにこの状況で笑顔を出すのはまずいから無表情なんだろうけど、

「ヒマだから、犬撫でて、紅茶飲んで、それでもまだヒマだから本でも開いてみたけど、もともと読書の習慣なんてまったくないから秒で飽きちゃってテレビつけて、テレビも面白いのやってないからチャンネル替えてる」
 にしか見えなくてw ほんとおなかよじれるww

この無表情の視線の先に、市民国民の姿があるとは思えないんですよ。今このとき、苦しみ、恐怖し、不安を覚え、疲弊している人々の姿。いつまで続くかわからない怖さ。見えてるのかな?
フランスの3週間前、NYの2週間前。つまり数万の命が失われてスケートリンクや路上のテントに遺体が並ぶだろうという予想すらある本邦の状況を、理解してるのかな?
‥‥と、思っちゃうんですよね。

◆ フリーライダー安倍晋三さん


こういう動画が誕生したのはある意味不思議なことではなく、これまで国民の人気者の数々にフリーライドを繰り返してきた安倍晋三さんなのです。
 
リオ五輪閉会式、TOKYO2020バトンタッチセレモニーでのマリオの扮装。オリンピック等で日本選手が金メダルをとればすぐにテレホンし、ラグビーW杯では台風15号の甚大な被害などどこ吹く風で試合や選手に “ エキサイトしっぱなし(←本人談)”。
https://www.facebook.com/emiinoue9024/posts/2552837491669521

自分の顔は天野喜孝に描かせ、統一地方選の直前には吉本新喜劇の舞台に立ち、TOKIOとごはんを食べ大泉洋・高畑充希とディナーし、嵐と一緒に天皇陛下バンザイして官邸でお礼を言う。

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https://www.facebook.com/emiinoue9024/posts/2439985149621423
https://www.facebook.com/emiinoue9024/posts/2456084451344826
https://www.facebook.com/emiinoue9024/posts/2590102314609705
それらすべてがタイムリーにメディアによって撮影され、テレビでネットで流れてきました。時には、ただの会食なのに地上波テレビが “ 速報 ” とまで!

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そして、結果的にこの国はそれを許容してきました。何なら
「総理とごはん食べるなんてすごい」
「官邸に呼ばれるなんて誇らしい」
と喜んだり楽しんだり、エンタメのひとコマのように消費してきました。その延長線上に「安倍晋三さんの うちで踊ろう」が誕生したのです。

人気者を呼びつけ、追いかけ、フリーライドしてあやかろうとする。人気者と並んで写真を撮りタグ付けして自分のブランドイメージを上げる。一般人並みの単純で他愛ない戦略だけど、このSNS時代、これがけっこう功を奏してきたのだと思います。

都度、一部では炎上するのですが、票田となる高齢者層は知る由もない。若い人は、人気者・流行りものと一緒に笑顔でエンタメニュースに登場する首相に親しみを感じていたりします。
逆に言えば、それ以外に政治家が目に入る機会がほとんどないという人も多いのです。野党議員はいつも怒った顔しか映してもらえないので「こわい」「引く」と思われているのです。

◆ なぜ総理はコラボしちゃダメなのか?


映画、小説、音楽、演劇、絵画‥‥アーティストが作品に政治的なメッセージを込めたり、政治的な発言をすることに何ら問題はありません。アーティストを含め、誰もがこの国の主権者であり、政治や社会の在り方に意見をもち表現する自由があります。

しかし政治(特に政府与党)がアーティストを使ってはいけない!
この当たり前のことが、現代日本では意外と共有されていないように思います。

なぜ、政府与党は特定のアートやアーティストと距離を置かなければいけないか? 
過去の歴史を見れば明らかで、政府与党は無謬ではないし、それどころか私たちを騙し、牙をむいて生活を奪う力を持ちうるからです。私たちがかんたんに流され、だまされ、奪われないためです。

もちろん、政権は民主主義の建前として選挙による支持を受けていますが、彼らはその支持を得るため、文化・芸術・スポーツ・お金、使えるものは何でも使います。ヒトラーがラジオや映画、スポーツ(1936年ベルリンオリンピック!)を通じてドイツ人を扇動したのは有名ですよね。
だから、良識ある政治家ならば、政治権力を握る前からよほど好きだったのならいざ知らず、人気者に安易に乗っかったりしません。それが政府与党の中枢にいる人の職業倫理です。

まして今回、文化芸術やエンタメは、当初から「不要不急」といわれ、もっとも打撃を受けている分野のひとつですが、政府はほとんど何ら有効な対策を打ち出していません。書いててつくづく思う、ほんとよくしれっと乗っかれたよね~。滝沢カレンあたりにあだ名をつけてほしい、この羞恥心のなさ。

◆ エモくない


そう、百歩譲ってよっぽど好きなら少しは話も違います。
でも安倍晋三さんは、任天堂のゲームにも、吉本のお笑いやアイドル文化にも、特別な関心はなさそうです。

大泉洋&高畑充希のときも、映画『こんな夜更けにバナナかよ』に感動したからと会食に誘ったらしいけど、映画で描かれた筋ジストロフィーの当事者や周辺の人に詳しい話を聞くなんて気はさらさらなく、やっぱり人気役者とごはんを食べてSNSに上げたり、メディアで取り上げられたりしたいのです。

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今回の『うちで踊ろう』にしても、ほかのみなさんは何かしらの「エモさ」を感じてコラボしてるんだと思うんです。

「不要不急」で次々に仕事がなくなった文化・エンタメ系の人たちが、居ながらにしてクリエイティブを発揮したり、外出自粛で孤独を感じる親子、逆に「必要火急」で仕事が忙しく疲弊した人がつながりや優しさを感じてホッとしたりしている例もあるでしょう。真顔のバナナマンやぼやきの大泉洋も、その芸風に合った表現を選んでいます。
それぞれの「エモさ」が表現されているから、コラボ動画に心が動かされるのです。

くらべて、安倍晋三さんの雑いおうち動画‥‥。
ヒマそうな総理大臣という、エモのかけらもなさ‥‥。
星野源に対しても、いろんなコラボアーティストに対しても、音楽やダンスといった文化・エンタメに対しても、何のリスペクトもみられません。

添えられた本人コメント
「友達と会えない。飲み会もできない。ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています」
は会見で述べたものと同じなので、私もそのときと同じコメントを付しておきます。

→→→ 日常が失われるって、そういうレベルじゃなくて、ライブが開催できない、お客さんが来ない営業ができない、仕事がすべてキャンセルになった、それで干上がる人がたくさんいる、という話なんですが‥‥。

また、安倍晋三さんの「家にいる=ヒマの極致」みたいな様子も何だかなぁーです。家族が四六時中家にいることで、ごはんの用意やら何やらと より大変になり、その中で何とか仕事をしなきゃいけない人たちも大勢います。
安倍晋三さんに同じ暮らしをしろとは言いません。ただ彼の職務を考えると、本当に想像力のない表現をするなぁと驚嘆です。

◆ 批判の必要性


これまでも何度か書いてきましたが「政治的立場に中立はない」んですよね。意見を述べないのは、結果的には消極的な政権支持と同じです。最近散見される「こんなときに批判するな」「批判は足を引っぱる行為」もその相似形ではないでしょうか? 

政府与党は無謬ではなく、いつでも私たちに牙をむいて生活を奪える力を持っているのです。この数週間だけでも、少なからず批判の声が上がったから「お肉券」「おさかな券」が棚上げされ、首相会見では質問を受け付ける数が増え、30万円現金給付の基準が緩和されました。

また、今このとき政権は、コロナ対策と並行して
 ・年金法改定 (支給開始を75歳まで引上げ可能に)
 ・検察庁法改定 (検察官の人事に内閣が介入可能に)
 ・改憲論議
を進めています。権力を持つものは狡猾です。お人よしになってはいけません。

◆ アーティストが不本意なフリーライドをされない世の中に 


いくら厚顔無恥な安倍さんでも、坂本龍一や是枝裕和監督に何の連絡もなしにフリーライド・コラボはしないでしょう。彼らは政府の政策に批判的意見を発したり、「政権とは距離をおく」と明言しているからです。

確かに、すべてのアーティストやアスリート・文化芸術作品から明確な政治的意思が匂ってくる社会も、それはそれでかなり息苦しいとは思います(笑)。
別に全員が「今、この政党を支持しています」と表明する必要はまったくありません。政治的意思の持ち方も、その表現方法もさまざまでOKです。

けれど、このフリーライド体質な政権が続く以上、人気者のみなさんには「厚顔無恥な政治権力に自分の表現を利用されないために」という問題について、あらためて考えていただく機会になったんじゃないでしょうか。
 

星野源についていえば、彼は欧米(特にアメリカ)の音楽シーンに詳しく、昨今の作品にはその潮流を意識したメッセージが多々見られるので、安倍晋三さんにコラボされたのは内心びっくり&失望したんじゃないかと想像します。

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「連絡はありません」というステイトメントには、言外に

・他のアーティストのコラボ作品は心のこもった感想とともにシェアしている
・「総理大臣」ではなく「安倍晋三さん」の作品と解釈
・リポストOK=これを公式見解として広めてほしい

つまり、
「安倍晋三さんに乗っかられたのは想定外だったし、歓迎していません」
という意図が読み取れる気はするのですが、これってやっぱりハイコンテクストな表現なんですよね。
彼の気持ちを私たちが忖度するに留まってしまいます。

たとえば、「日本語はひととおりわかるけど‥‥」という外国人の方が見たときは、言外の意味までは読み取れないでしょう。
今のところ、これが、巨大な資本やスタッフ等に支えられた人気者・星野源にできるギリギリの表現なんでしょう。

アメリカであれば、「トランプのクソ野郎」くらい公式発言するアーティストや俳優はいくらでもいて、そう言ったからって干されません。なぜなら、どんな人気者であれ、それぞれに意見をもっているのは当然だと人々が理解しているからです。


人気者の政治的発言を歓迎しない私たちが、人気者たちの口を重くし、この フリーライド “ おうちにいてヒマだなあ ” 総理の政権を支えてきたのです。

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