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SUGA Agust D TOUR ‘D-DAY’ in Japan 周りを気にせず'遊ぶ' それも解禁であり Speak Myselfじゃないかって話(後)

◆'D-DAY' とは解放される日だから

「価値観は人それぞれ」「多様性の尊重」 は現代の大前提だけれど、それが高じて人間はどんどん頑なになり、貧しくなってしまっているような‥‥とずっと思ってる。

「人それぞれだから」と納得する(実態はあきらめる)雰囲気、
他者とかかわり、ぶつかり、侵食し合って変化するのを忌避する雰囲気が、ものすごく強くなってしまったと感じませんか? 
やたら「コミュニケーション能力」を求めるけれど、その意味するところは「空気を読んで、相手を不快にさせない」だったり。
”気にしぃ”で人見知り、穿ったものの見方をし、傷つきやすく、立ち直りにくい。えらそうに書いてるけど、私自身、しっかりそんなふうに現代人してるところがあると思います。

だから、日本公演3日間を通じて、BTSシュガが観客と行ったコミュニケーションには目が覚める思いでした。
私は最終日の3日目に現地横浜でコンサートを見ました!

のべつまくなしに騒ぐより、じっと見つめて聴いて、リズムに合わせてペンライトを振り、お行儀よく盛り上がる日本のコンサート文化。

過去の数あるライブ経験で十分にそれを知っていながら、ユンギ(シュガの本名です)がわざわざコンサートの最後のMCで客を焚きつけたのはなぜか?

1日目:「明日はもっと大きな声で、もっと飛び跳ねて」
2日目:「やればできるじゃん、昨日はなんでやらなかったの?」

思うに、最新アルバム そしてこのツアーが
「解禁(해금)」
をテーマにしているからだ。日本語では「解放」という語がより近いかな。

現代の情報社会の中で、人はしょっちゅう自分と他者を比較して劣等感を覚えたり、攻撃的になっている。
見たくないものから目を逸らす一方で、変えられない過去や不確定な未来に頭を悩ませすぎている。

私たちはそういう「囚われ」から解放されて、自分を幸せにする方法を見つけなければならない。
それが、アルバムのリード曲「解禁(해금)」を筆頭に、アルバム全体に貫かれているメッセージだ。
アルバムとツアーのタイトル 「D-DAY」は解放される日を指している。

コンサート会場を埋めているのは、抽選の狭い門を突破し、高いお金を払って見に来た観客たち。

この先、少なくとも2年は会えないだろう人を目の前にしても、日本のファンたちが「お行儀がよい」のは、まわりの客に「うるさい」と思われたくないから。迷惑をかけちゃダメだと思っているから。
歌詞を間違ったり、踊りが下手だと思われたら恥ずかしいから。

そもそも、「思いきり自由に楽しんで」といわれても、どんなふうに叫んで、跳ねて、踊っていいのかわからない。それが楽しいのかどうかもわからない。やったことがないから。
たぶん、そんな人が多いんだと思う。
微力ながら、この10年弱、日本の女性たちの 「Speak Myself」をお手伝いしてきた経験からも、そんなふうに想像します。

でも、私は思う。わからないなりに、やってみたらいい!
やってみないとわからない。
そして、ここは、〇万円払っても惜しくないくらい、シュガやBTSが大好きだという共通点をもった女性たちが集まった、心理的安全性の高い場所で、当のシュガが、みんなの”はっちゃけ”を熱望しているのだ。

2日目のコンサートのMCでは「まわりの人の顔色を窺わず‥‥」という言葉も付け加えて、「思いきり跳ねて歌って楽しんで促したシュガだった。

私が感動したのは、シュガが日本人の”聞く”コンサート文化を知りながら、
「今日は左サイドのお客さんがよかった」
と具体的に挙げてまで、熱烈に解放を望んだこと。

今日び、「自分らしく」なんてどんなアーティストでも簡単に言うけど、口先だけのスローガンじゃないから、こうして熱心にはたらきかけるんだろう。楽曲と言動とが一貫している。

◆友だち同士のように時にクリティカルなコミュニケーション

コミュニケーションを怖がっていたらできないことだとも思う。
左サイドがよかったといえば、当然、右やセンターにいたファンはがっかりするし「こっちは客なんだから、そこまで指示されたくない」と思う人間が出るくらい、長年ライブをやってきたプロならわかりそうなものだ。

実際、SNSはそんな声で荒れていた。(詳細は前編にて。)

”コンサートの楽しみ方は人それぞれだから”
”これが日本の文化だから”
そうやって観客を尊重し、自分を納得させるのが”今ふう”のスマートさだろう。

でも、私が思うに、「多様性ある社会」の理想の姿って、何もかもを他人のこととして受け流すのではなく、時には反発や摩擦をおそれず 一歩踏み込んで、自分と違う人間とかかわりあい、互いにより豊かになるさまじゃないだろうか?

それを可能にするのに欠かせないのが一歩踏み込んだコミュニケーションで、BTSはそれをする人たちなんだと、今回あらためて思った。

そもそも、育ちも性格も全く違う、若かった7人が、繰り返しぶつかりあい、話し合いを重ねて、かけがえのない兄弟になったのがBTSだ。
ファンとも、楽曲やコンサート、SNSや配信などあらゆる方法で言葉を交わしてきた。
コミュニケーションの痛みも難しさも面倒くささも、それを凌駕する大切さも知っている人たちだと思う。

これまでもいろんな場面で、彼らはファンにNOを言ったり、お願いをしたりしてきた。オフィシャルにも、SNSでも、配信中も。
彼らにとって、ファンは「お客様」でもあるが(人気が世界規模になるごとに、その部分は増えるのかもしれないが)、本来、友だちのように、いろんなやりとりができる相手だという認識なんだろうし、それはすてきなことだと思う。

シュガの言葉が「コミュニケーション」なのは、2日目のコメントにも表れてる。

「(初日、彼基準でファンがおとなしめだったのに)みんなできるじゃんー! なんで昨日はやらなかったんですか」
「昨日寝る前にずっと考えてたんですよ、どうしたらいいのか‥‥」

これまでならメンバー7人で話し合うところ、一人で寝る前に考えていたなんてめちゃくちゃいじらしい。(スタッフさんたちとも話しただろうけどね)

実際、客席にマイクを向ける前に「いっしょに」と促したり、新しい日本語(「アミしか勝たん」w)を仕入れて言ってみたり、観客が歌いやすいよう、反応しやすいように、たくさん工夫していたと思う。

決して要求するだけじゃない。コミュニケーションって相互の行為なのだ。

3日目にコンサートに参加した私は、もちろん全面的に 「解禁」 したよー!
最高だった。その感覚はまた別稿で書き留めたい。

◆「どんなコンサート会場でも今日のように遊んで」


3日目の最後のMCには驚いた。
「僕やBTSだけでなく、この先どんなコンサートでも、今日のように楽しく遊んでくださればと思います」

こんな言葉、どんなコンサートでも聞いたことがない。
自分のステージだから、自分の好きなスタイルで染めたい、自分がやりやすいようにたくさん跳ねて歌って叫んでほしいというだけじゃなく、どのコンサートでもこうやって、人目を気にせず思いきり遊んでほしい、それが、生の音楽の楽しみ方だから、と。

ユンギが昔からこんなことを言っていたわけではない。
かつては、「BTSのコンサートに来たら、(最高すぎて)ほかのコンサートに行けなくなりますよ」と誇らしげに話していたこともあった。
自分たちの実力を証明することに躍起になっていた青年はもういない。
アーティストとしても人間としても成熟した姿がそこにあった。

ただ、実際にコンサートの場にいて感じたのは、「解禁」した観客ばかりではないだろうなーということ。私の近くにも、おとなしいお客さんたちはけっこういた。

自分を解放するって、簡単なことじゃないんだよね。
でも、1万人クラスの会場、しかも、95%以上が女性たちの会場で
客があんなに我を忘れて騒ぎ続けるって、めちゃくちゃ稀有だった。

もちろん、それがコンサートの楽しみ方の唯一の正解というわけじゃない。
コミュニケーションは相互の行為で、彼の提案に対し、受け手が必ずしも「YES」と言う必要はない。
たくさんのアーティストがいろんな音楽をやっていて、私たちは自分が好きなスタイルを自由に選ぶことができる。

ただ、選択肢が増えただけだ。解放してもいいんだと、自分にもそれができると知ったのだ。
それは、日本の現状では、特に、あらゆる場面で抑圧が多い女性にとっては
しつこいほど促されないとなかなかできないことなのだ。

全23曲にわたる渾身のパフォーマンスで観客に「解禁」の悦楽を味わわせたあと、彼はステージにくるりと背を向け、両手を高く挙げて振りながら、振り返らず立ち去っていった。

◆追記

2023.6.11深夜、バンコク最終公演を終えたあとのweverse live(生配信)の中で、日本公演について触れた部分がありました。

「二日目から話したけど、日本のアミ(ファンのこと)が遊べないからとか、遊びたくないから静かだったわけじゃなかったんだよ。それがわかった。みなさんの本当の気持ちを知りました、日本で」
「初日は雨がすごかったそうですね。大変だったと聞いています。でも、ジャカルタもそうだし、日本でもここ(バンコク)もいつもそうだけど、初日のお客さんはすごく人見知りをするんです。公演で会うのも久しぶりですしね」
「でも日本のみなさん、よく遊んでましたよ。みんなそうやって遊びたかったみたい。一緒に歌って」
「国によって文化ってものがあって、傾向があるから、(初日は)すごくシャイだったけど、いざと(楽しく遊ぼうと)煽ったら、ほんとによく遊んでたよ。うん」

※複数のファンアカウントの翻訳を参考にしました。ありがとうございます

この話からわかるのは

  • 同じ場所での公演は日を重ねるごとに盛り上がる(逆にいうと初日はおとなしい)前提

  • 各国の文化、スタイルがあることを理解

  • そのうえで、自分は楽しく遊んでほしいからそう呼びかける

  • そしたら日本でもみんな楽しく遊んでた → みんな遊びたくないわけじゃないんだよね

ってことですね。
うん、「歌うより見つめる/ペンライトやコールが綺麗にそろってるのが日本のファンの良さ」みたいに思い込んでるけど、ほんとはみんな、遊びたくないわけじゃないんだよね。

BTSの歌でいうならば「Permission to Dance」にあるように、本来踊る許可はいらないはずなんだけど、そこは文化というか、身にしみついた習性で「踊ってもいいの?」「踊るって楽しいの?」と思っちゃう。
そこを、ユンギの煽りで「解禁」できた人がいっぱいいたんだと思う。
一歩踏み込んだコミュニケーションで、ユンギもファンも結果オーライになりましたね^^


「アミしか勝たん」じゃねーんだわ(大好き)


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