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「SHUT UP」8話(最終回)黙らない、その先へ

ラスト2話しか見ていない人の感想です。うむ、のドラマにはこの最終回で良いんだろうなと。

同意のない性行為を繰り返していた大学生 悠馬たちのパーティに突撃し、ナイフで脅して、やってきたこと洗いざらいを白状させようとしていた主人公たち。結局、前日になって、悠馬との性行為で妊娠・中絶した恵が「相手を懲らしめたいわけじゃない。自分がしたのがどういうことなのか、わかってほしいだけ」と言ったため、計画は変更。

悠馬の直接の被害者“ではない”主人公ともう一人の女性(悠馬の恋人だったらしい)がパーティの最後にステージに上がり

「このサークルでは性暴力が横行しています」
「私の友人も被害に遭いました」
「あなたが遊びのようにやっていたことは性暴力です」
「一緒に笑っていた人、黙認していた人たちも同罪です」

のような、ごく短い告発でマイクドロップして、そのまま出て行く。
ざわめいたパーティ会場は、性加害の当事者・悠馬がいつものように爽やかに「今のは事実無根です」と言ったことでおさまる。

けれどその後、サークルは事実上解体となり、悠馬は今度はひそひそと噂され指をさされる側になる。
パーティでの告発を録画していた女子生徒たちがいて、大学の理事長に「被害者は他にもいる。然るべき調査・処罰を」と訴える。悠馬を告訴しようという動きも出てくる。

「何が性暴力だ。よくあることでしょ。そこらじゅうにあふれてる話じゃん」といまだにうそぶく悠馬の腕をつかんで、昔からの男友だちが「一生そうやって生きてくの?絶対逃げちゃダメなことだよ」と真剣に言う。

きっとこのドラマの眼目はふたつあって、ひとつは
「酔って家までついていってしまったから…」
「触れられたとき抵抗しなかったから…思わず笑ってしまったから…」
そんなふうに、自分にも非があると思っていた恵や経済的に弱い少女たちが、「性的同意」を学んで連帯し、「私たちは悪くない」「黙らない」と自己肯定感を取り戻したこと。

もうひとつは、当事者でなくても、違うポジションからでも、連帯できるんだということ。その力が必要なこと。
ドラマでは、裕福な家庭で育ってきた悠馬の恋人や友だち、また大学の同級生にも、主人公たちと共に立ち上がる人がいて、こんなセリフがあった。

「許しちゃいけないことがある」
「傷つけられた人が直接戦わなきゃいけないわけじゃないから」
「2度とこんなことしないでください。よく知りもしないのに笑ったり茶化したり。黙ってろよ」

本人が「自分は悪くない」と知って回復し、周囲と連帯する。
そのふたつがあれば、「me too」や連帯がさらに広がっていくはずだ‥‥
というドラマだったと思う。

主人公たちと年や属性が近い日本の若い人たちにすごく響いたんじゃないかな。
女性の刑事や、NPO団体(?)の人などが性的同意についてしっかり話すシーンがあったのもすごくよかった。
最終回では、「性的同意は人権の話です」というセリフも印象的に組み込まれていた。
このドラマは、作り手が伝えたいメッセージをしっかり伝えていたから、これで良いんだと思います。
ドラマの雰囲気もすごく好きだった。友人いわく「どっしりした雰囲気」。
前回も書いたけど、日本でこんなドラマが作られたのはすごい前進!

ただ、私はもはや主人公たちの親に近い世代の人間なので、「これでいい」と思ってちゃいけないなと思う。

「周囲に連帯する仲間がいたから」
「パーティ会場の中にも勇気を出した子がいたから」
「良い刑事や団体とつながれたから」
ドラマだからそれが叶うけど、そういう縁や幸運が重ならず泣き寝入りしている被害者がいくらでもいるわけで。

「性暴力は社会が絶対に許さない」
「加害者は(本人や友人たちが努力しなくても)必ず罰せられる」

そう浸透させていかなきゃいけないよねと思うし、そういう強いメッセージを感じさせるドラマも作られるといいな。
海外のドラマとの違いはそこなんだよね。

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