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Ep.12「GPTは〇〇にとって、救世主か脅威か」その1

コントラスト、第十二回。「Chat GPT、〇〇にとって救世主か脅威か」というテーマです。
OpenAIが開発した最先端のジェネレーティブAI「Chat GPT」は、多くの注目を集めています。新しい可能性に胸躍らせる人もいれば、未知の技術革新に対して不安を感じる人もいます。

救世主として歓迎すべき存在なのか、それとも警戒すべき脅威なのか。さまざまな視点から議論を深めていきましょう。

PART 1では、ホストの二人がGPTに対する見解を熱く語り合います。この技術にワクワクしているのか、それとも恐れを感じているのか。さらに、「知能」という言葉が人工知能に対して適切な表現なのかにも触れます。最後に、GPTが人間らしい文章を生成することに潜む危険性について問いかけて、一旦区切りがつくところで幕を閉じます。

PART 1を振り返ってみた

これまでの自分の人生の中で、「未来が訪れた」と思える瞬間はいくつかあった。
はっきり覚えているのは

  • 初代iPhoneを手にした時

  • Teslaの自動運転モードを体験した時

  • AlphaGOが囲碁の世界チャンピオンに勝利した時

  • SpaceXのFalcon 9の二つのブースターが同時に着陸した時

  • Chat GPTを使ってみた時

今回、このChat GPTというジェネレーティブAIがもたらす新たな可能性に、「未来が訪れた」という感動やワクワク感を抱いている。
世界が変わる瞬間が訪れる度に、これまでの常識というものが覆られる。それを大歓迎する人がいれば、当然不安に思う人もいる。
人は自分の現実を無意識的に作り出し、その自己現実に身を置いて生きていく。常識が覆られると、これまで作り上げてきていた自己現実の土台が激しく揺らされ、何が本当で、何が大切なのか、わからなくなる。もうちょっと掘り下げると、 「常識」とは、社会の中で人々が仲良く生きていくための暗黙の了解であり、それによって個々の個性の凸凹が消し合われ、新たな価値観が創発される。
その創発によって生まれた常識を考えずに自分の土台にしてしまうと、GPTのような革新的技術変化を恐ろしく覚えるだろう。 Podcastでよく話していることだけど、やっぱり自己意識を養うことが大切。

あとは、そもそも人工知能の「知能」は適切な呼び方なのか?

僕の考えでは、Chat GPTは「intelligent」(賢い)ではなく、「intelligible」(わかりやすい、明瞭な)。
わかりやすい文章を書いてくれる。人間らしい、しっくりくる文章を書いてくれる。それによって、「あ、ちゃんと理解してくれているんだ」という錯覚に目を奪われ、書かれている内容をそのまま鵜呑みしがち。やり取りを重ねると、無意識なうちにGPTに人格を写し、理性だけで止まらずに感情レベルでも、帰ってくる言葉に重みを感じる。
でも、GPTには知能がないことを忘れてはいけない。ただただ、与えられた文脈において、最も適切であろう次の言葉を予測しているだけ。それなのに、説得力のある、信ぴょう性のありそうな文章が成り立つというのは素晴らしくて、魔法に見える。実際に、なぜそこまでできてしまうかについて誰も説明できない。それを説明するための科学はまだ存在しないから。

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