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リュートってどんな楽器?【5】古典派から現代まで

このシリーズの最終回になります。西洋音楽史の話の中では、あまりに雑すぎる区切りで大変恐縮ですが、大バッハの晩年からハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンらが活躍した時代を「古典派」の時代と、ここでは呼んでいます。
(ここまでのリュートの歴史のお話は、中世からルネサンス時代まで と、バロック時代にそれぞれまとめてあります!)

ざっくり言ってしまえば、古典派の時代からは、メカの面で一旦複雑化したリュートがさらに複雑化の道をたどるかと思いきや、逆に単純化する傾向が見て取れます。しかしその「単純化される過程が複雑」であるため、現代の目からみて、その歴史を俯瞰しにくいというのは、ある意味で皮肉です。

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↑ 大バッハがライプツィヒでトーマス・カントールに着任する数年前まで、そのライプツィヒ大学に在学していたエルンスト・ゴットリープ・バロンです。彼は演奏家・作曲家としてではなく、著述家として現代では有名になりました。というのも彼は自らの著作で、リュートの歴史を振り返っているからです。
リュート奏者がリュートの歴史を語るという、今まさに私がここでやっているようなことを、まとまった形で初めて実践したのがこの人です。啓蒙主義の影響もあり、リュートの歴史の蓄積を意識できる時代になっていたということも、背景にはあるでしょう。バロンが持っているのは、拡張された小さな糸倉を備えた、いわゆるバロック・リュート。

ソロ楽器としてのリュートは、18世紀のドイツ語圏(オーストリアとその周辺も含む)で数々の名手を生み、質の高い音楽が生み出されました。中でも「スワンネック・リュート」が好まれました。このタイプのリュートは、それまで考えられていたよりもはるかに長い期間、しかも広範囲で命脈を保ったことが、今では確認されています。

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1800年代初頭の英国にも、こうしてスワンネック仕様の楽器を描いたものが見られます。またイタリアでは、1800年を過ぎてもまだ、リュートまたはテオルボを弾くプロの奏者が劇場にいたらしいとのことですが、この分野については、まだそれほど研究が進んでいません。
とちらにしても、あれほど音量重視の特大リュート属が開発されたイタリアの地にしても、そうした努力の甲斐なく(?)、オーケストラに常駐する楽器として、19世紀以降定着できなかったということは、れっきとした事実として受け止める必要があります。

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↑ ロココ絵画の代表的な画家、アントワーヌ・ぺーヌの作品。アマチュア層の楽器としても、リュートは相変わらず人気を集めました。弦を次々と増やすことで、楽器の構造が複雑化し、アマチュアの手におえなくなってしまったということもあるのか、一種の揺り戻し現象として、従来よりも弦が少ない楽器も次々と生まれました。「マンドーラ」と呼ばれる楽器が、その代表的なもの。地域によっては、「ガリコン」と呼ぶこともありました。

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↑ メトロポリタン博物館が所蔵するマンドーラ。製作が1720年代ですから、楽器としての実労期間は18世紀の後半にわたっていたと思われます。博物館のケースにこうした楽器が並んでいると、弦の少ないリュートなのか、マンドーラなのかは、これまたなかなか見分けがつきにくいです。マンドーラの方がやや指板の部分が、細長くなったものが多いようです。
でも一般的な認識としては、「マンドーラもリュートの仲間の一つ」で、問題ないでしょう。

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↑ 18世紀後半のマンドーラ。しかし張られている弦がガット弦でなく、金属(ワイヤー)弦になっていることが特徴です。糸倉部分は胴体に対してほぼ真っすぐになっています。中世やルネサンス時代に比べると、楽器の胴体が円のような形から、さらに三角形に近くなっているのもお分かりでしょうか。

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もともと英国は、遡ればエリザベス朝の後期から、金属弦を張ったリュート属の楽器が好まれたお国柄でした。その中の一つシターンの流れをくむ、上の絵に描かれたタイプの楽器が、18世紀後半から19世紀はじめにかけてアマチュア層に大流行しました。一般には「イングリッシュ・ギター」と呼ばれるこのタイプの楽器は、実に多様な種類があり、一部のものはリュートと認識されることもありました。そしてこのタイプの楽器は、18世紀はじめの一般的なリュートと比べても、サイズがかなり小さくなっています。

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↑ ハープ・リュートと呼ばれるこちらのタイプの楽器も、19世紀の英国を中心に人気を得ました。リュートをリュートたらしめていたはずの、丸みを帯びた胴体は完全になくなりましたね。しかも弦が、単弦(シングル)で張られるようになりました。ソロ楽器としてのリュートが、これまではマンドーラも含めて、原則として複弦(ダブル)で張られていたのに対して、19世紀になると単弦の楽器が主流となります。また、押さえて音の高さを変えるためのフレットが、ガット弦を巻いただけの可動式から、自由に調節がきかない打ち付け式になるというのも、大きな特徴として挙げられます。
こうして、楽器の分化という点では複雑に見えても、弦にしろフレットにしろ、楽器の扱いを容易にするための単純化の方向が、明らかに現れてきたことが、お分かりいただけるかと思います。

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19世紀後半にドイツで作られたリュート。実質はギターと同じ調弦の楽器です。以前の記事「リュートを弾いて紅白歌合戦出場」でも、とりあげました。20世紀になっても、クラシック・ギターの世界ではことに珍重される、ハウザー一世によるリュートなどがありますが、基本的にはこの「ドイチェ・ラウテ」の系譜を受け継いだものです。

一方で、これほどリュートとして呼ばれる楽器が多種多様になってくると、
もともとリュートって、どんな楽器だったのだろう?」さらに、
「どんな音楽を、どんな奏法で弾いていたのだろう?
という素朴な疑問が起こってくるだろうことも、何となしに想像がつくはずです。

大抵は、その疑問を持つところまでで終わってしまうところを、一度廃れた楽器と、その演奏の復興という、実際の行動に移したのが、ヨーロッパにおける古楽復興のパイオニアとして永遠に名が刻まれる、英国人アーノルド・ドルメッチです。

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↑ 1930年代の晩年のドルメッチ。彼のリュートの構え方が、今日の奏者たちの大半に比べてより「歴史的」である、ということは驚くべきことです!

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↑ これはまだ若い頃(1890年代半ば)のドルメッチと家族。エリザベス朝の音楽を演奏中のひとこまです。2台映っているリュートのネックの曲がり具合が、斜め45度くらいになっているのが、興味深いところ。
資料研究・楽器製作・演奏実践を一手に兼ねた、ドルメッチの先駆的な働きのおかげで、同時代の楽器としてのリュートとは別に、中世からバロック時代にかけてのリュート属の楽器が続々と蘇り、その音楽にも徐々に関心が向けられるようになりました。

現代の私たちが言うところの、ヨーロッパの「古楽器」としてのリュートは、こうして誕生したと言えるでしょう。火付け役のドルメッチは、第二次大戦勃発後まもなく亡くなりますが、戦後になってリュートの復興の動きは、いよいよ本格化していきます。英国がリードしつつも、特に1960年代から70年代にかけてのヨーロッパで、「リュート・リバイバル」とでもいえる流れが起きました。

さて、この写真に映っている人物は、誰と誰でしょうか?

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↑ ストラヴィンスキー(右)のもとを訪れ、リュートを実演するジュリアン・ブリーム(左)。1965年の映像の一部です。
ブリームとしては、この巨匠にリュートを聴いてもらって、どうにかして自分のためにリュートの曲を書いて欲しい、という魂胆があったのかもしれません。今となってはブリームも故人なので、直接聞くことはできませんけども、普通に考えてあったでしょうね!
この頃ブリームが使用していたリュートは、楽器の構造やセッティングを、クラシックギターの仕様に「寄せて」造られたものでした。奏法にもそれが見えます。しかし、ブリームはドルメッチ同様、複弦のリュートにこだわりました。この点はもう少し強調されても良いように、個人的には思います。

今回最後の話題は、特許取得して「21世紀のリュート」と謳っている、ドイツのメーカーが開発した「リウト・フォルテ」についてです。クラシックギターの奏者が、リュート音楽に容易にアクセスできることを、第一の目的としているようです。


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↑ リウト・フォルテ。いわゆる、「歴史的」リュートを扱う立場からは、敢えて触れる必要がないか、むしろこのような初心者向け記事の中にとり上げるべきでない、と思われる読者の方も、もしかしたらおられるかもしれません。

しかし、中世以来のヨーロッパのリュートの歴史を、公平な視点で語ろうとするとき、やはりこの楽器の出現を無視することはできないのです。客観的に見れば、むしろ歴史的リュートの実践・研究への反動の結果、生まれるべくして生まれた楽器なのではないか、とさえ思えるようになりました。
それが、先に述べた古典派の時代に起こったことと、何やら似ているような気がするのは私だけでしょうか。

私はこの楽器について、この場で善悪の判断はしません。代わりに、メーカーの日本語版サイトに書かれていた宣伝文句及び主張から、一部のみを引用させていただき、これまで長々と書いてきたリュートの歴史を一通り読んでいただいたと仮定した上で、あらためてみなさんのお考えを仰ぎたいと思います(全文はこちらから)。

「ギターでは満足がいくように演奏できない、膨大な未だ活用されていない最上級のリュート音楽レパートリーへのアクセスを提供します」

「自己主張できるリウトフォルテは、教会やオペラハウスなど、大規模な場での音楽演奏への参加を可能にします」

「歴史的リュートが抱えていた音の悪夢は、リウトフォルテの誕生によって終わりを告げます」

「リウトフォルテのための作品を作曲するように現代音楽の作曲家を触発することは、彼らに歴史的リュートに回帰する気持ちを抱かせるよりも簡単です」

 いかがでしょうか。余計にもやもやした方もいれば、これはこれですごく納得!という方もいるはず。どうやらここには、

リュートが現代に生きる楽器として機能するにはどうすればよいのか?
これまでリュートは何を目指してきたのか?
さらには、
そもそも進歩とは何か、歴史とは何か
といった、人間の活動や文化一般に対する、より根源的な問題提起を含んでいるような気がしてなりません。

一般の方向けの「リュートの歴史」の記事は、これで一旦終わりとさせていただきます。

長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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