伐折羅大将の衝撃
前回の記事で、中高生時代のことを書きました。
さかのぼって、小学校時代を知っている同級生なら、私について抱くイメージといえば第一に「仏像博士」だったはずです。
もし自分が今のように演奏家になっていなかったとしたら、子供の頃からの夢、仏像彫刻の研究家を志していたことでしょう。
どうして仏像が好きになったのか?
それは間違いなく、幼少期に奈良・新薬師寺の十二神将(じゅうにしんしょう)像に対面したことにはじまります。
3歳になって間もないとき、親の仕事の関係でスウェーデンに移住することが決まりました。
このとき、離日を前にしてのいわば思い出作りに、家族で新薬師寺を訪れたのです。
実は自分でも怖いほど、そのときの記憶が鮮明にあります。
自分の中にある最古の記憶と言っても良いくらいに・・
親に抱きかかえられて、仰ぎ見るようにして堂内の諸像を拝したこと。
堂内の照明の具合とか、我々の他の参拝者の様子に至るまで、こうして思い出すだけで、一瞬にして子供に戻ることができます。
親が言うには、十二神将像のうちの伐折羅(ばさら)大将像の前まできたとき、私は見入って動けなくなってしまったそうです。
仏像のことなど何も知らなかった幼児が、この視線に「やられた」のでしょう。怖いキャラクターを見たときに子供が抱くトラウマとかでも、あるいは単に「かっこういい!」と思ったとかでもなく、とにかく初めて見た伐折羅大将に心をわしづかみにされたのです。
あのときの感情を、大人になってからこうして文字で表現しようとすること自体が、もはやナンセンスでしょうが。
スウェーデンに住んだ3年ほどの間、日本への一時帰国はなし。
しかし日本から離れていても、自分の仏像好きはキープされていました。
というのも、日本にいた祖父母が送ってくれた本の中に、伐折羅大将像が表紙に使われている「仏像」の入門書がありました。
本当にぼろぼろになるまで、この「仏像」の本を読みました。
「伐折羅」などの難しい漢字も、幼稚園のうちにこれを見て書けるようになりました。
あまりに読み過ぎて、日本に帰国して小学生になる頃にはビニールのカバーが取れ、次に伐折羅大将像の表紙そのものも取れて、ずっと前から行方不明に。
そこで今回の帰国時に、都内の店の古書コーナーで見つけて、「保存用」に買い直したというわけです。
序でながら新薬師寺の十二神将像は、奈良時代に土をこねて作られた、塑像(そぞう)です。
仕上げとして表面が極彩色に塗られていたのが、長い年月の間に剥落して、このような感じになりました。
特に伐折羅大将像の場合、こめかみ部分の剥落の度合いが、うまい感じで憤怒(ふんぬ)の表情をより印象深くしているのでしょう。
十二神将といえば即座に新薬師寺の像がイメージされるほど有名な理由は、群像として奈良時代のものが(一体を除き)残っているという彫刻史上の価値はもちろんのこと、伐折羅大将像を含めたそれぞれの像の動き・そして表情の豊かさにもあると思います。
そんな十二神将像の中で、伐折羅大将像に次いで好きになったのは、この像でした。
この宮毘羅(くびら)大将像の、怒りで逆立つ髪の表現は、先ほどの伐折羅大将像に輪をかけてオーバーです。
スウェーデンに移ってからは、しばらく「宮毘羅大将びいき」でした。宮毘羅大将が十二神将では、自分の生まれ年の亥(いのしし)年の守護神に位置づけられる(この像が作られた奈良時代にはまだ、そうした信仰はなかったのですが・・)という事実を知ったことが、たぶん関係しているのでしょう。
幼稚園時代、自分の描いていた二次創作の漫画の中で、十二神将が登場するシーンを作って、伐折羅大将ではなく宮毘羅大将像をリーダー格に据えるという設定にしたことも。
先ほどの干支による連想から、自分自身を宮毘羅大将のキャラに重ねていた節さえあります。
ですから、最初の対面時で伐折羅大将像から受けた強い衝撃にも関わらず、宮毘羅大将像に「浮気」をしていた時期が、それなりにあったわけです。
ところが、事態は変化しました。
3年を経てスウェーデンから奈良に戻ってきて、再び実家から新薬師寺に気軽に出かけられる環境になると、今度は親に連れられるのではなく自分で足を運び、心ゆくまでじっくりと十二神将像を見ることが可能になりました。
そこで改めて、伐折羅大将像の持つ迫力に圧倒され、自分の中で一番印象に残る仏像としての地位が、再び確立されました。
大学に進学して奈良に住まなくなってからは、いわゆる「伐折羅ロス」がおきました。
帰省時に少しでも時間があれば、新薬師寺に立ち寄るようにしていました。それだけ自分にとっては特別な場所なのです。
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新薬師寺のあるエリアは、奈良の中心である市街地から少し離れていて、車やバスで行くには少々不便。
そのぶん、一帯は喧騒から逃れて落ち着いたたたずまいで、散歩やサイクリングをするには最適です。
中高時代は、晴れた日であればほぼ2日おきに、新薬師寺の前から春日山麓を通るルートで、サイクリングをしていました。
ついでにお寺が空いている時間なら、門前に自転車を止めて、伐折羅大将をはじめとする仏像たちに、気軽に会いに行ったものです。
コロナ禍で長らく帰省できていなかったこともあり、このほど約2年ぶりに新薬師寺を訪れました。
かつて幼児の私を虜にした伐折羅大将像は、いつもと変わらずそこにいました。なのに・・
今までとちょっと印象が違う・・どうして?と思いました。
私の目が節穴なのか、照明の具合が変わったのか、それともあまりに期間が空きすぎて、この像に対するイメージが全てリセットされてしまったのか(いや、そんなはずはない!)・・正直に言えば、目の前に立っている「本物」であるはずの伐折羅大将が、まるでレプリカの像のように見えたのです。こんなことは、何度も新薬師寺を訪れてきた中で初めての体験です。
そういうと近年、寺社での文化財盗難が増えて、特に貴重な仏像は厳重に施錠できる博物館などに寄託して保管し、かわりにレプリカをお堂に置くケースが多いと聞きました。
でもまさか新薬師寺にいたって、そんなことはしていませんよね?
伐折羅大将像に限らず、私が頻繁に対面してきた奈良の仏像たちは、そのときそのときで違った表情を見せてくれます。
ある人は、仏像を見る人の心情がその都度投影されるからだ、と言います。でもこの度の経験は、そんなものとはまるで違った感覚でした。
別の意味で「衝撃」でした。
2週間前に私が見た、あの「コピー感」漂う伐折羅大将像は、いったい何だったのでしょうか、あるいは何を私に伝えようとしていたのでしょうか?
次に対面するときは、できればまた違った姿を見せてくれないものかと、切に願っています。