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過去は振り返らない!・・わけにはいかない職業

先日(日本時間で27日の夜)、Twitterスペースの「古楽夜話」のイベントにゲストで呼んでいただき、後半のセクションでいろいろとお話しをさせていただきました。

私のスマホの設定の不具合により、合流までに余計に時間がかかってしまいました・・当日のホスト及びリスナーの方々には、この場を借りてお詫びさせていただきます。

そこでざっくばらんにみなさんとお話しした内容とは、年の瀬ということで一年の振り返りと、来年に向けての抱負、あとは私が日本から離れているために事情があまりつかめずにいる、日本の音楽ホール事情(特に都内での小規模コンサートホールの相次ぐ閉鎖は、かなりゆゆしき問題だと思います・・)などについて、でした。

今回は「一年の総括」どころではなく、そもそも「過去を振り返る」という行為が、自分にどう影響しているのかについて、日記遍歴を軸に考えてみたいと思います。

実家の棚に、自分が書き連ねたかつての日記帳がこうして並んでいます。

中学二年だった1997年から、集文館の「横線当用日記」を愛用。
高校・大学時代を含めて、13年間続きました。

「横線当用日記」は、初期の皮装丁のものが特に良かったです。2000年からはそれに代わってケース入り・ハードカバー装丁となり、はじめはやや手になじまない感覚だったものの、書く場所がいっぱいあるのでほぼ毎年のように使っていました。

これらの日記帳を使い始めるよりも前に、普通のキャンパスノートに書いていた中学1年の夏の欧州旅行記では、分単位で起きたこと(訪ねた場所)を記録してあって、ここまで来ると病的かも・・と、書きながら自分で思うほどでした。

なんと、夏の旅行記を書き終えたのは、その年のもう雪が舞おうかという時期のこと。旅行先でのメモ帳を清書した程度だったものが、終わりに行くにつれてますます記述が細かくなり、最後はもはや日記と呼べない物になっていました。

日記や旅行記を細かくつける習慣を、自分が母方の祖母から受け継いだのは、まず間違いのないところです。
幼少期に旅行で一緒になることの多かった祖母が、移動中や滞在先でせっせと日記をつけているのを観察していた私は、達筆だった祖母の続け字を、いつしかそれらしくまねて書き始めたのでした(なんとませた子供だったのでしょう・・)。

そして5~6歳の時の記憶がいまだにかなり鮮明なのも、曲がりなりにもその当時(まだ幼稚園児!)、いい加減な字ながら断片的に日記を付けていたことと関係があるようです。
この頃の古文書(?)は、まだ捨てずに実家に残っているはず・・今の自分は果たして解読できるかな?

本棚の右端にあった最後の日記帳は、自分がスイスに留学して2年目にあたる2009年のもの。
以後はそれに代わるものとしてネット上に公開性のブログ(事情により今は閉鎖)を書いていました。毎日欠かさずというわけにはいかなかったですが、留学先での生活状況、音大での出来ごと、講義や実技レッスンの内容、出かけた演奏会の感想、旅行先での記録などをかなり細かく(時に赤裸々に!)綴っていました。

これらの中には文字通りの「黒歴史」もあれば、その時は恥ずかしかったけれども、今となってはむしろ誇っていいようも思える出来事もあったりして、ふと読み返したくなるときがあります。
ちなみにこのブログの記事はExcelでリスト化していて、閉鎖するまでの記事数は実に1600を超えていました

ともあれ「過去を振り返る」材料として、「過去を記録する」ことにかけての自分の執念には、ある種異様なものすら感じられます。

「あなたの前世は古代ローマか、中世ヨーロッパの年代記作者ですか?」
と思われてもおかしくないほど。

そんな「記録癖」も、前述のネットのブログを閉鎖したあとは一気に下火に。スマホで撮った画像が時系列順にクラウドにアップされているとはいえ、毎日写真を撮るわけでもないので、こちらは日記の体は成していません。

日記を書かないということは、直近の出来事を振り返ることもせず、それに基づいて将来の目標も立てることもなく、ただ漫然とその日暮らしをしているようなもの・・そんな無精になった私が、コロナ禍になってしばらくして、一念発起してまた自分のために日記をつけだしました。

再度のロックダウン期間中は、あまりにも単調な生活が続き(食事する/散歩する/楽器を練習する)、書くことは代わり映えのしないことばかり・・逆に、その単調な記述がかえって、あとで見返したときにその時期の様子を活写しているように思えて、愚直にこれまで続けてきました。

はじめから「過去は振り返らない!」スタンスのつもりならば、まめに日記などつけなくても良いものを、それを続けているのはやはり、一時的にでも過去の自分を今の自分に重ね合わせたい欲求が、心の底のどこかにあるからなのでしょう。

だいいち、私のように古い時代の音楽そして楽器を扱っている職業だと、否応なく昔の記録や情報一般に対して敏感になってしまうのです。

これって、一種の職業病でしょうか?
あるいは、こういう性分だからこの職業を選ぶ結果になったのでしょうか?

もっとも過去の音楽といってもユートピアではなくて、逆に昔のことを知れば知るほど、それこそ「昔は良かったなあ・・」「古き良き時代・・」といった言葉ではすまされない、ドロドロとした世界だって、そこにはあります。

自分の日記の中に、時には目をつむりたくなる記述があるのと同じように。

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さて、年が明けるとまたそのうちに、税金の申告の季節がやってきます。

前の年(つまり今年)の全ての演奏会の出演履歴や、レッスンの回数をリスト化し、添付の契約書・支払い調書をまとめ、収入額などを入力し・・自営業だとこの作業が本当に面倒くさい!

算出した収入額を見ると、たいていはがっかりします。
なのでこれをやっている瞬間だけはさしもの私も、
極力「過去は振り返りたくない」気持ちになります

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