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フランチェスコ・ダ・ミラノの誕生日に寄せて

去る8月18日は、フランチェスコ・ダ・ミラノ(1497~1543)の誕生日でした。

この人物のことを「神ってる」リュート奏者として以前の記事で紹介しましたが、なお彼がが残した作品の中でもとりわけ「神ってる」曲、と思っているものをこのほど、元旦から続けている一連の動画シリーズの特別版として公開しました。

曲自体はたったの2分半ほどですので、よろしかったら是非ご覧ください。自分で言うのも恥ずかしいですが、かなり入魂の演奏のつもりです!

日没時刻を待ってからの収録ということで、教会の中の雰囲気も一段と荘厳さを増している感じがします。
曲の雰囲気ともマッチしている気がしませんか?

せっかくですので、この曲のオリジナルの譜面をご覧に入れましょう。
フランチェスコ・ダ・ミラノが没して5年後、1548年にヴェネツィアで出版されたリュートのための楽譜集に入っています。曲のタイトルにも「divino 神」の表示があります。

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「あれ、楽譜だと思ったら、音符よりも数字が多い・・」
という感想を抱かれた方、その通りでして、これはリュート・タブラチュアとよばれる楽譜の一種。
一定の法則にしたがって調弦されたリュートの、指板を押さえる位置を、この譜面の場合は数字によって示しています

さらにリュート・タブラチュアにもいくつか種類があって
、これはヴェネツィアで出版されたのでイタリア式。その他にもフランス式、ドイツ式・・などがありますが、細かいことはまた別の記事で説明したいと思います。

まあ、普段からこんなちょっと変わった楽譜を見て曲を選んだり、練習したりしているということを、とにかく今はみなさんに知ってほしいのです。

さてこの曲、出だしからなんとも格調高い感じで始まります。それは最後まで一貫しています。はじめてこの曲と出会ったときから、私はすっかりその世界の虜になってしまいました。これまでの動画でご紹介してきたフランチェスコのリュート曲の数々とは、雰囲気がまるで違う気がするのです。

弾けば弾くほど、フランチェスコの作品中でも群を抜いて素晴らしい曲であると確信するようになりました。この曲に取り込みだしてから、数年は経っているはずなのに、本番で弾いた回数は、まだたったの2度ほど。気軽にどこでも出せる曲ではないように思います。

この曲の聞きどころは、複数の独立したパートがそれぞれに絡み合いつつ、全体として調和をなしているところにあります。これを一般的に「ポリフォニー」と呼びます。特に16世紀全般と、17世紀のごく初めの時期にかけて生み出されたヨーロッパのリュート音楽は、このポリフォニーを追求したものがかなり多いのです。

ポリフォニーといえば、ルネサンス時代の合唱曲が一番イメージしやすいと思います。あれは、複数のパートを複数人で同時に歌うことによって成立するわけですが、リュート・ソロの形で同じような音楽を表現する場合、その狙いとは
「一人で演奏しているのに、まるで複数人で演奏しているように聞こえさせる(または、錯覚させる)」
ということになります。

先ほどの動画を視聴していただいた方々にとって、私の弾いているのが、それぞれ独立したパートに聞こえず、単に和音の連続に聞こえてしまうなら、それは一重に私の演奏が悪いということにもなるのですが、ともあれ今から400~500年ほど前の特に腕利きのリュート奏者たちは、和音を弾いてばかり、とか逆にメロディに特化してばかり、では満足できなかったように思われる(少数の例外を除いて・・)節があります。だからこそ、おびただしいポリフォニーによる作品が、先ほどのような楽譜の形で現在まで残されてきたのでしょう。

「リュートの醍醐味は、ポリフォニーを弾くこと」であるとは言え、楽器の特性上、弦をはじいたら音がたちどころに減衰してしまうというハンデがあります。音がつなげるのが難しい・・というよりは、そもそも物理的に音をつなげることは不可能な楽器、とさえ言えるでしょう。弓で弾く弦楽器や、管楽器一般、さらにオルガンなどと比べると、その差は歴然。

なのに、はじめからそんなハンデのある楽器で、全てのパートがそれぞれ独立して、つながっているかのように聞かせるべく弾く、というのは矛盾に満ちています。もしそれができたら、ある種の「イリュージョン」ではないかとも思うのです。

何かと「イリュージョン」という言葉を多用していては、まるで落語家の故・立川談志みたいだと言われそうですね・・ですが、そう言われることも承知の上であえて続けさせてもらうと、確かに「イリュージョン」の世界を楽しんでいるかのような自分がいます。何よりも、弾き手としてはこういう曲に出会えるからこそ、いつまでもリュートをやめられないのです!

リュート一台で優れたポリフォニー音楽を実現させてみせた人物は、我らがフランチェスコ・ダ・ミラノの他にもたくさんいます。
また折に触れてご紹介できればと思います。

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