ソノシートに記録された、59年前の「日本初」のリュート演奏?

みなさんは「ソノシート」というものをご存知でしょうか。

一定世代より上の方々なら、きっとお馴染みのはず。
いわゆる簡易・小型のレコード盤で、雑誌や本の付録によく入っていました。

最近よく見聞きする「昭和レトロ」の格好の題材として、改めて見直されているようです。私自身は世代的に、お世話になったことはありません。
ちなみに、2005年までは細々と日本でも生産されていたそうです。

実は、私の友人が古書店で見つけてプレゼントしてくれた、ソノシート入り雑誌が手元にあります。それがこちら。

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「ソノシート」は、朝日ソノラマの登録商標でした。
これは1962年(昭和37年)の5月号です。つまり時期的に、今からちょうど59年前に出たことになります。

価格は360円。中を開けると両サイドに3枚ずつ、計6枚のソノシートが入っています。「唯一音の出る総合月刊誌!」との宣伝文句から、実際の音が聞ける点を最大の売りとしていたことが分かります。

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昭和という時代が(後から見て)折り返し点を過ぎ、いよいよ2年後に東京オリンピックを迎えようという年の号の表紙を飾るのは、十一代代目市川團十郎。近々團十郎を襲名予定の、現・海老蔵の祖父にあたります。
十一代目は襲名してわずか3年後に亡くなるため、團十郎としては短命に終わりました。その襲名口上の録音がソノシートに記録されて、販売されたのでした。

したがって、往年の歌舞伎ファンならたまらないソノシートなのでしょうが、それとは別に巻頭記事が「ルポタージュ・麻薬」なのも、なかなか香ばしい感じがしますね。

さて、團十郎のインパクトが何に増して強いものの、さっきの帯の部分を良くご覧ください。麻薬の部分だけロゴが変えてあるのがウケる(?)としても、私が興味があるのは・・

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そう、「リュートとギター」の記事です。
ギターならともかく、今から約60年前の日本で、リュートが雑誌で特集されるということは、ただならぬことです。

この記事は本編では、團十郎の襲名披露の記事の直後に来ています。
早速、見てみましょう。

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ハインツ・ビショフ(Heinz Bischoff)氏の、来日公演の様子を捉えたものです。3月6日の朝日講堂での演奏を録音して、わずか二ヶ月後の号に入れているのですから、なかなかの早技!
これによると、ビショフ氏はこの時点でザルツブルクの音楽大学の名誉教授であったとのことです。

記事を書いた高嶺巌氏は、NHKの番組「ギター教室」で講師を務めていた人物。今もご存命かどうかは知りませんが、仮にそうならばかなりの高齢でしょう。

リュートを愛奏した歴史上の人々を列挙するくだりで、現在では「ダウランド」と表記することが多いのに対して「ダーランド」だったり、あのダンテまでそこに含めていたり、さらにはブリームやポドルスキが「若手」奏者扱いだったりと、随所に時代を感じさせる内容ながら、全体としてはリュートの歴史や概説を、簡略にまとめていると思います。

そして、ビショフ氏の来日目的が、この年東京で開催された「国際ギタリスト会議 International Guitarist Congress」に参加するためだったと書いてあります。
実際にそのときの記録が、冊子にまとめられています。

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会議の期間は3月5から14日とあるので、ビショフ氏の演奏会は、その2日目に行われたことになります。どのような来日スケジュールを組んでいたのか不明ながら、もし直前に来日していたなら、既に高齢だったと思われるビショフ氏にとっては、時差ボケは言うに及ばず、そのほかの環境面での変化への対応も結構大変だったのでは、と思います。

さて、肝心のソノシートの音源について。
6枚のうちの1枚がビショフ氏の演奏に当てられ、リュートで一曲、ギターで一曲の計2曲収録されていました。

ところが私の家には、ソノシートが再生可能な機械がないので、入手してから1年以上も音が聞けないままでした。それが今月に入り、バーゼルに住む年配の方にお願いして、LP再生機を経由してデジタル・データ化してもらった結果、ようやく聞くことができました。以下、その感想を書くことにします。

あえて言わせてもらえば、演奏者が高齢だったこと、かつ長距離の移動を経てのコンディション不足(おそらく)・・といった要因も重なり、現代の耳で「鑑賞」に耐えうるかと言われると、正直首をかしげたくなるところがあります。
明らかに、リュートの演奏よりも、続くギターの方が出来が良い印象を受けます。ビショフ氏にとって、弾き慣れているのはやはりギターだったのでしょう。

何はともあれ遠路はるばる、2台の楽器を持っての来日を果たしたビショフ氏でしたが、なんとこの翌年に亡くなっています。既に体調的に無理を押しての来日ではなかったのかと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

このときのビショフ氏の演奏を、聴衆として接した方がおられたら、是非お話を聞いてみたいものです。とはいえもう59年前のこと・・急がないと、どんどん聞ける人が少なくなっていきそうです。

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こちらはグラモフォン社が出したLP盤で、同じ日本での国際ギタリスト会議での演奏を収めたもの。
ビショフ氏ともう一人、カラランボス・エクメッツォグロー(Charalambos Ekmetzoglou)氏の演奏とのカップリングとなっています。

ビショフ氏の部分はA面と思われるので、その中でリュートで弾いたと判断できる曲目を拾うと、このようになりました。手元のソノシートに記録されているものと同一曲があるかは、残念ながら確認できませんでした。

◆パバーナ第2番 (おそらくルイス・ミラン)
◆イタリアーナ、舞曲 (作者不詳?)
◆ファンタジー (フェンリャーナ?)
◆ブランル・サンプル (作者不詳?)

実際にはもっと曲数があったとしても、リュートだけで一夜完結の演奏会をしたわけではなさそうで、続くギターの曲の「前座」的扱いになっている感はやはり否めません。

ですからあくまでこれは、演奏の良し悪しで判断するのではなく、日本における「リュート受容史」の、エポック的な瞬間の一つとして評価すべきものしてご紹介するにとどめておくのが穏当でしょう。

欧州での本格的な「リュート・リバイバル」が起こるよりも前の時期に、
このような形でリュートが日本に紹介されていたのですね。
ちなみに、以前の記事でご紹介した、マイク眞木による紅白歌合戦でのリュート弾き語りは、これから4年後になります。

しかしながら、高嶺巌氏の解説の最後にあるように、
「日本でのリュートの演奏は、これが初めてです」
という文言を、そのまま受け入れて良いかはどうか、まだ結論を出すわけにはいかないような気がします。
本記事のタイトルの最後に疑問符をつけたのも、そのような理由からです。

さらに古い記録を調べる必要があるかもしれません。もし、ビショフ氏の演奏が「公式の音源媒体の形で残された、日本でのリュート演奏の中で最初のもの」というのなら、いやが上にもこれらの音源の価値は高まるはずです。
いずれにしても、この貴重な音源をもたらしてくれた友人に、改めて感謝したいと思います。

さて最後に、ビショフ氏によるまとまった演奏音源が、ネットで聴けることが分かったのでご紹介しましょう。再生リストのリンクが以下です。

ここでの演奏は来日公演の3年前(1959年)で、例のソノシートに収録されたものと同一曲(2トラック目)で聴き比べてみると、テンポが少し速めになっています。演奏前に本人が作曲者と曲名を言うのも、昔ながらのスタイルという感じです。ここでも前半がリュートで、後半はギターによる演奏。

59年前の朝日ソノラマの見出しを、再度思い返すと、実際の記事の内容はリュートについてのものだったにも関わらず、「リュートとギター」でした。まだ一般的にリュートはクラシック・ギターとの関わりにおいてしか、紹介することができなかったわけです。
ある種、この時期におけるリュートの限界とも言えます。その名残は部分的に今もあるのかもしれません。

確かにリュートとギターは、ときには先祖と子孫のように説明され、またあるときは兄弟のようにも言われてきました。
でも両者の歴史を紐解くと、事はそんなに単純な関係ではありません

そうしたことについても、いずれこちらでじっくりと考えてみたいと思います。

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