浴槽一杯分の私[科学×エッセイ]

私はこの間まで普通の男子高校生だった。4月からは普通の男子大学生となった。


世の事情もあり、大学の授業の開始は随分後へとずれ込んだのだが、元来の予定通り私は実家を離れ一人暮らしを始めた。

一人暮らしになり、私の生活はかなり変化したと言えるだろう。新生活の始まりということもあり、買い出しや家事で案外忙しくしている。


それでなくとも希望の大学へと進学し、そして美しい街へと越してきたのだから、相当地に足がついていない。(おそらく5cmは浮いているだろう。)

あれもやりたい、これもやりたいといった気持ちが私を翻弄するのだ。


あえて抽象的に言うならば。


私は、私の生活は、この街のあらゆるところに「染み出して」いるのである。


それはまるで量子的性質を持った電子のように。


「トンネル効果」という言葉を聞いたことがある人は案外多いのではないだろうか。
非常に小さい物体に現れる量子的性質の一つとして、その物体が比較的広い範囲に染み出すという性質がある。

量子は波のような性質を持っているので、波導として外部に広がることができるのである。これは例えばその物体自体が大きくなってより大きい範囲に広がるというわけではない。
広がるのはあくまで波動関数であり、言うならば広がるのは存在確率である。

ちなみにトンネル効果というのはこの波動関数の広がりによって、マクロの物理、要するに古典的な物理では越えられないような障壁(ポテンシャル壁)を乗り越えてしまうという現象である。


私が買い出しであちこちへ飛びまわったり、
勉強で色んな分野に手を出したり、
この街の美しいところを探し回っていたりと、
私がこの街へ染み出している様子は、あたかも量子のようである。


※ここで、曲がりなりにも科学を名乗っている以上は、上の文章があくまでも比喩であるということを強調するよう注釈を入れなければなるまい。
別に私は量子的性質が顕著に現れるほどに小さいわけでもないし、そもそも多分子系での量子的効果はかなり複雑なのだから。


話を戻すが。
そうやって地に足をつけずに染み出している私は、食器洗いを終えて風呂に入る。
実家よりは少し狭い浴槽。

半分よりやや上まで貯めたお湯に肩まで浸かると、私は丸ごと浴槽に収まる。

昼間ばたばたとした疲れからだろうか、浴槽の中でじっとしていることに妙な安心感を覚えた。


量子的な性質、つまりミクロな物体に特異な性質が、環境との相互作用で見えなくなることを量子デコヒーレンスと言う。

もし私が量子ならば、風呂は私にデコヒーレンスを起こさせる環境だ。


あんなにも街に染み出していた私の身体が、魂が、たった百リットルしかない浴槽の中に収束するのである。

私は自らの小ささを浴槽を通して実感する。

どれだけ大きなことを夢見たって、
どれだけ多くの人と関わり合ったって、


私は、浴槽一杯分の私だ。



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