価値観なのか人間性なのか・・・

結局、イスラエルは平和も、国民の安全も望んでいないのだろうと思えた。

「ハマスを壊滅させる」という、何というべきか、「ユダヤ人を地上から消し去る」というのと、ほぼ同程度の思いに凝り固まっていて、その結果どうなるかということを全く理解していないように思える。
パレスチナ側の死傷者/罪のない犠牲者は、イスラエルの側をはるかに超えている。慢性的にその状態が続いている、ように、自分は理解している。その状態に拍車をかけると公言しているに等しい。

パレスチナは、イスラエルをはるかに上回る「罪のない人たちの命」を奪われ、生存権を奪われ、尊厳も奪われているように見える。その一方で、いつかイスラエルに報復したいという憎悪というか、おそらくは、そもそもがハマスがパレスチナの「穏健派」から分離して強硬な行動になった元凶である「報復すべきだ、という動機づけ」を得続けている、ように思えてならない。パレスチナの側にしたら、要るものを奪われ、要らんもんを植え付けられている、そんな状況に置かれているように、私には感じられる。
結局、イスラエルは、パレスチナに「憎悪の種」を蒔くことで、次の世代のイスラエル人の命を危険に晒す原因を作っている、そのことに全く気づいていないように思う。気づいていないのか、もしかしたら、その理解力がないのか。
そもそもが、ハマスを産んだのはイスラエルの行為だと、全く自覚していないと思う。

そんなにも、国土を広げたいのか?「一人あたりの土地面積」を、ガザに住むパレスチナ住民、ヨルダン側西岸地区のパレスチナ人、そしてイスラエル人とで比べてみて、どうなんだろうか?もっと欲しいのか?強欲だなぁ。それがユダヤ人なのか?

もし、イスラエルの国民の生命財産を守ろうということならば、パレスチナ側に「攻撃すべき大義名分」を持たせないのが一番だろうと、私などは考える。意味もなく、ただ攻撃したいがために攻撃するような指導者は、パレスチナにはいないように、私は感じる。イスラエルが入植を続けて、自分たちの生活空間を奪われ続けることに抵抗する人たちを駆逐し続けて来たんじゃなかろうか。細かくは事象を調べ上げてはいないけれども。表面的にニュースで見聞きする範囲の理解で書くならば、パレスチナ側の人としての尊厳も、一切考慮されていないように感じる。

尊厳を踏み躙られ、生活の手段や生活基盤そのものを奪われ続け、さらには命まで奪われ続けることの苦痛を、ユダヤ人は知っているはずではないか、民族としての記憶に、それらはないんだろうか、と思えた。もう、忘れてしまったのかも知れないけれども。

私自身の場合、過去知り得た人の中に、「自分は、理不尽な苦痛を味あわされた。だから、自分は同等のことを他人にする、つまり、他人に対して理不尽な行為をしてもいい権利がある」というその人の価値観をアリアリと滲ませていた人がいた。人間的には、どうなんだろうかと思った。どれほど金があって、技術があって、頭が良くても、ある意味で蔑むべき人だと、私には感じられた。
逆のことを言葉にする人たちも、数多く見聞きしている。「私は、(あるいは、私の家族は、)こんな理不尽な行為によって苦しんだ。だからこそ、同じような思いをする人が一人でも減るように、私はこう主張する」という考え方、主張をする人たちも、多く見聞きしている。そういう主張をする人に対して、偽善だとか、「格好つけだ」だとか、ネットなどで誹謗中傷する人たちもいて、二重の苦痛を味わっているに違いない場合もあるようだけれども、私個人は、そうした方々に、人間的には素晴らしいことだと敬意を表したい。

ネタニヤフの主導するイスラエルは、明らかに前者だと思う。もし、ユダヤ人が歴史の中で味わった苦痛を忘れていないのならば、間違いなく前者だ。自分たちは苦痛を味わったから、他人、他国に対して、どれほど理不尽な行為をしても許される、と、そういう価値観に凝り固まっている。もしくは、他人の苦痛を我がこととして理解する人間性を持ち合わせていない。そのどちらかだと、断じる。
一番厄介で、個人的には付き合いたくない、周囲にいて欲しくないタイプの人間性の持ち主だと、私自身は感じる。
その意味で、イスラエルは自らが、ヒトラーの行為の正当性を裏打ちしているように思えてならない。
これは、イスラエルの価値観の問題なのか、それとも、ユダヤ人の人間性の問題なのか。

ネタニヤフには、イスラエルを平和に導く能力がない、と思う。彼の判断は、(極論すれば)ヒトラーの正当性を裏打ちしている。これほどの民間人殺戮を行う人たちを、野放しにすべきじゃない、私にはそう思える。
などと、書いても、何も感じないだろうし、何も判断を変えないだろうし、書いても無駄だろうとも思ったので、この話題はやめる。

そう言えば、日本のそばにも、やれミサイルだの核だのと、暴力的な殺戮以外に何の使い道もないような道具を溺愛している偏執狂がいる。
国を豊かにする、などという発想が何もないみたいで。というよりも、武力行使されて自分の「絶対君主」的な立場を追われることは、絶対にあって欲しくない、という、ただそれだけの思いに凝り固まって、国民の命などまったく顧みていないように思える。こちらは、価値観の問題というよりも、人間性の問題だと、見て取れる。
「裏切った側近」を、対空機関砲(だったかな?)で処刑する、など、信じがたいし。

もはや、同じ土俵で対峙するのは、日本も、アメリカも、(一番近い)某国も、やめるべきなんじゃなかろうか。
そんなに、ミサイルだの、ロケット技術だのにこだわるなら、国民を餓死させても続けるだろうから、勝手にやらせたらいい。(同じ民族だ、という理由で、その国の国民の餓死が看過できない、ということだとすると、某国に対しては、私にはこれ以上は何も書けないけれど。「親」にも「嫌」にも、同じ思いを感じる。口出しはできない。)

じゃぁ、同じ土俵じゃないとして、何ができるか。

日本もアメリカも、世界中の国に「サイバー攻撃対策」の具体的なノウハウ、心構えなどを、徹底的にシェアするべきじゃないか、という気がする。ミサイルで「殺すぞ」と脅して自国の主張を通そうとする、それと同じ次元で、サイバー攻撃で「正当な、合意に基づくビジネス」とはかけ離れたやり方で資産を奪い続ける。そうした「犯罪行為」を国家の収入源としていることは既に明らかなようで、そもそもが、そうした犯罪行為には徹底的に対抗措置を講じなければ、正常なビジネスが成り立たなくなる。
まず、日本で「サイバー攻撃対策」をもっと徹底することも大切だと思うけれど、それ以上に、そうした犯罪行為でミサイル開発の原資を得ようとしている、その部分に対して「我々の側から攻撃する」というべきか、もっと積極的に「徹底的な防御策を講じる」ことが、「サイバー犯罪」に対する「攻撃」になると思う。
当然のことながら、「犯罪行為」を行う側としては、もっとも「やりやすい相手」から奪おうとする、と思う。欲しいのは金だから、防御体制が十分な相手を攻める理由などないと思う。バングラディシュは銀行が狙われた。もう一カ国、東南アジアで大きい被害があったとニュースで読んだ記憶があるけれど、どこだかは忘れた。技術的に「追いついていない」国は、カモだと思う。そして、技術以上に、「心構え」に重要な要素があるとも思う。

情報システムのセキュリティなどの技術的な方策ばかりではなく、運用体制の人的な問題も含めて、世界中の金融機関、あるいは、暗号資産などを扱う会社などが、その某国の「サイバー攻撃」の被害に合わないように、技術指導を行うべきかと、私は考える。
そうした支援が、その某国の「ミサイル」に対する日本の「闘い方」でもあると思うし、その延長として、日本人拉致被害者の帰国につながる具体的な行動にもなる、と思う。

なんとなく、最近感じていることは、サイバー攻撃と言いつつ、コアな部分はかなり技術的にも「抜け穴」は狭まっていて、今その某国が力を入れているのは「人の心理の落とし穴」につけ込むような部分のような気がする。わかりやすいのは、「迷惑メール」によくある「不安心理」を煽るやり方とか、メールサーバに侵入された後だとしたら、「あなたを特別にヘッドハントします」みたいな、相手の優越意識をくすぐったり、楽して金儲けできる的な方向に誘導したり、そうした心理テクニックの方にシフトしているような気がする。技術的に四苦八苦するよりも、言葉巧みに、誰かを釣り上げて、ネット内部のコンピュータにウイルスを侵入させる方が、容易なんだろうな、という気がする。国家公務員だろうが、銀行員だろうが、「楽して金儲けしたい、自分だけは偉くなりたい」人なんて、いくらでもいそうだし。

だとしたら、技術支援に必要なのは、高度な情報技術を身につけた技術者ばかりではなく、一般的な「心理戦対策」のレクチャーを受けた人でも意味があると思えた。そうした人々を海外に派遣して、サイバー防衛の方策を伝えて、結果において、某国の資金源を狭めていく。その方策ならば、日本など、それほどの経費を投入せずに、某国の収入源(そもそもが、犯罪行為)を断つように、具体策を進めることができる、ような気がした。

などと、思った。ニュースを見ていて・・・

それにしても、と思う。
ミサイルを雨のように降らせて、他人の命を平気で奪いまくる、それでも自分たちは正しいと主張し続ける。「自国民の命を守るためだ」と主張しながら、わざわざ相手に「報復の動機」を徹底的に植え付けて、未来世代の自国民の命を危険に晒そうとする、そういう国がある。
あるいは、「自分だけが偉い」という立場を守るために、自国民の命、自国の未来など一切顧みない、そういう国もある。
理解力がないのか、そもそもの価値観が違うのか、それとも、人の命が大事だという人間性そのものが欠けているのか、なんだか、よくわからない。

願うことは、それほど多くない。どの国の人も、意味もなく殺されることはなくなって欲しい。
殺す側の自覚のなさ、飢えに苦しむ自国民の命を気にもしない「国家元首」の自覚のなさが、なんだかむしろ、哀しいというか、切ない。

価値観が違う、と言ってしまえばそれまでなんだけれども、やっぱり、致命的に、人間性が欠落している、ということ、なんだろうか。
そう思えてならない。


書き終えた後、しばらくぼんやりと、何か感じるか、ぼーっとしていた。

痛感した。間違いないと思う。人口の7割以上のイスラエル人は、自分たちの親世代がユダヤ人として迫害されたその心の痛みを、自分のこととしては感じていない。だから、パレスチナ人が今感じている痛みも、まったく理解できていないのだろうと、思う。

それは、仕方のないことかもしれない、とも思った。忘却というのは、私たち自身が生きていく上で身につけた、ある意味で最高のテクニックかも知れない。「他人の痛みを知る」という「実用的価値」以上に、残すべき記憶ではない。
なんとなく、そう思った。

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