言語

なんだか、python周りが姦しい。

こんなページ(https://zenn.dev/nagataaaas/articles/b75f685ab30de6)

があったので、思わず、このページ(https://dev.thanaism.com/2023/05/python-sucks/)

も読んでしまった。

動的型付けもさることながら、シンタックスもキモい。とにかく思考を妨げる語順になっている。
とくにJupyter Notebookとかいうやつ、あれは最低だ。
あんなものを保守対象として受け取った日には人生が無為な時間で埋め尽くされて朽ち果てること請け負いだ。

https://dev.thanaism.com/2023/05/python-sucks/

理由の説明がない主張は、無視することにしている。そもそも、「キモい」って、全く論理的ではないし。

「思考を妨げる」って、単に頭が硬いだけだろうと私は思う。
個人的には、Jupyter Notebook は、コードの説明(自然言語による文書)とプログラムコードを組ませることができるという点では、画期的だと私は思った。見解の相違っていう奴だろうな。

自然言語の場合には、言語によって語順はかなり異なる。日本語では動詞が最後に来るけれども、英語では一般的には主語の後に動詞。
どちらも(どんな言語表現でも)文を最後まで読まないと/聞かないと、正確な意味が取れない点は共通していると思う。

パプアニューギニアの部族語で、形容詞→名詞→主語という語順の表現があったな、なんてことも思い出した。さすがに、どこの部族語だったか忘れた。
自分が生まれ育った言語の感覚で、どこかの国の言語を「キモい」と形容したら、相手がどう思うか。
というよりも逆を考えたらいい。どこかの国の人が、日本語は「キモい」と言ったなら、「なんだと、この野郎(このアマ)!」っていう感じになるかもね。(いや、そうした状況では、私はたぶん「ふ〜ん、そうかもね。」で受け流すとは思うけれど。喧嘩になりそうな時は、逆らわない(笑))

そもそも、三項演算子にしても、動的型付けにしても、私個人としては「すごいなぁ、どんどん言語って、進化してるんだな」としか思えない。

ほぼ50年前に初めてFORTRANに接してから、以来、時代の流行り廃れに流されて、経験した言語は、アセンブラ(機械語:80系、68系)、BASIC(N88-BASIC、MS-BASIC、Visual-Basic)、PL/I、LISP、Cobol(読むだけ)、Prolog、Pascal、Occam、Ada、C(C、C++、Visual C++、C#、Objective-C)、Java、Java Script、Ruby、今、Python(これは、教科書を出版させていただいた。売れてないけど)、そして、できればSwift、Go、Haskelも「使いこなす」域まで辿り着きたいけれど、どちらかと言えば「枯れた」言語での仕事が多い都合で、新しい言語は、なかなか接する機会がない。今一番試してみたいのはHaskelだけれども、そんな暇あるか、っていう感じだろうか。

1 if x else 0
三項演算子も最悪だ。冗長で、醜く、プログラマのメンタルモデルに一致しない。
Pythonの全てがthen if elseの順ならまだいい。だが、通常のifは他の言語と同様if then elseなのだ。

https://dev.thanaism.com/2023/05/python-sucks/

Pythonがキモい?語順が変?
ぱっと見、「なんじゃこれ」と思ったのはLISPだけれども、IF/THEN/ELSEがそんなに好きなら、LISPはとても読みやすいかも。一度LISPのプログラムを読んでみたらどうだろうか、なんてことも思ったりするけれど、この記事を書かれた方、一体いくつ言語を知っているんだろうか?

言語が変われば、思考の流れも微妙に変わる。主語が先頭にあったとして、動詞が先に来るか、目的語(や形容表現)が先に来るか、言語を使いこなそうと思えば、思考を言語に合わせる必要があると思うし、それができないと、結局母国語以外の言葉でのコミュニケーションは難しくなる。確かにね、googleとか自動翻訳のツールも今はすごく進化しているから、日本語だけ知ってりゃすべて事足りる、かも知れないけれど、コミュニケーションというのは、機械には頼りきれない側面があって、それは、人間同士の感覚で相手の使う言語に近づこうとする努力というか、柔軟に脳みそそのものを進化させていくことも、ある程度は必要なんじゃないかと、私は思う。
例えば、だけれども、海外からの観光客の多い場所で商売をしている方々に、「自動翻訳+日本語」だけで商売成り立ちますか、と、聞いてみたらいいかも知れない。

自然言語の場合で面白いと思うのは、「さようなら」の表現だろうか。日本語の「左様ならば、これで」というその頭の「さようなら」が、現代日本語の挨拶になっている、などというのは、かなり珍しいかも知れない。「また会おう」の意味の「さようなら」が英語やフランス語や中国語で共通しているのは面白いし、もっと面白いと思ったのは、パプアニューギニアの部族語と、アメリカンネイティブの部族語とで、共通の表現(英語にすると、”You go. I stay."または"You stay. I go.")があるのも、面白いと思った。そういう、言語表現の違いから、発想法の深みというか、表現の含意というか、それぞれの文化の違いを楽しむ面白さが出てくるような気がする。
いや、日本語だけに限定しても、間投詞一つとっても、表現の癖からその人の思考パターンが垣間見える面白さがあるような気がする。
言語というのは、自然言語でも、コンピュータ言語でも、とにかく面白いと私は思う。どれかを否定する、という立場は、私には理解できない。

コンピュータ言語の場合も、ブロックの区切り方とか、宣言の書き出し方だとか、言語独自の「癖」があって、そうした違いから、「この言語は、こうした分野に向いている」などという解説を読んだこともある。私個人ははそういう違いは「味があって、面白い」と感じてしまうのだけれども。

実用性?最近はPythonで仕事をしているけれども、書きやすさが他の言語より劣っているとは到底思えないし。

かなり失礼な言い方かも知れないけれど、冒頭の
https://dev.thanaism.com/2023/05/python-sucks/
を書かれた方、ご自身の言語能力の低さを声高に主張されているだけ、のような気がしてならない。

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