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新しい日常での、第1回目。

2020/8/22 芸能記録no.3「24時間テレビ」

コロナウイルス感染防止のため、
出演者はソーシャルディスタンスを保って、
もちろん会場は無観客で、今年の24時間テレビが始まりました。

女性芸人と、学生さんとのフルート演奏。
リモートなのに時差なくきちんと響いてくるフルートの音色が
とても優しくて、思わず聴き入ってしまいました。

毎回思うけど、出演者ってすごいと思う。
初めてのことなのに、期限があるのに、それぞれ仕事があるのに、
それでもたくさん練習して、本番でその成果を披露する。
生放送で失敗が許されない状況の中、
とてつもない緊張感の中、
成功させる、その精神力にはいつも拍手をしてしまいます。

そして、21:00頃からドラマが始まりました。


「誰も知らない志村けん ー残してくれた最後のメッセージー」

小さい頃からずっと見てきた「志村どうぶつ園」
長く愛されている番組が最初はすごく難航してて、
志村さんをMCとして起用するのは当時ありえないと言われていて、
そして最初は特番から始まっていて、
そんなことは全く知りませんでした。

相葉くんや、DAIGO、タカアンドトシ、ハリセンボンなどの出演者が
声を揃えていう「志村さん」とは、

涙もろくて、優しい人、優しさの塊、可愛い キュート、
寂しがりや、子供みたい、イタズラ好き、無邪気愛がある人 
愛情たっぷり、情に熱い、とことん最後まで愛情をかけてくれる
途中で見捨てない

みなさん共通して、「優しい」その一言に尽きる、
表情からそのような気持ちが見て取れました。


レギュラーで番組がスタートして、
その収録が終わったあと、飲み会が開かれたらしいです。
そこで、ベロベロに酔っ払った当時21歳の相葉くんが
志村さんの隣に座り、
「これからよろしくお願いします」と頭を下げた瞬間、
眠気に襲われ、園長の膝で寝てしまったって。

スタッフが止めようと腰をあげたら、
志村さんは「こういうのを待ってたから」
優しい表情で、そう答えたそうです。

その意味を、ドラマ終盤で知ることができました。


出演者の方がインタビューに答える映像が流れましたが、
その表情が、とても柔らかくて、嬉しい気持ちになりました。

志村さんが亡くなった後、追悼番組として放送された
「志村どうぶつ園」では皆さんが涙を流して、
顔をぐちゃぐちゃにして、これまでの想いを言葉にしてくれたとき、
芸能人の涙をこんなにリアルに見たのはこの時が初めてだった気がします。

そんな出演者を見ていたから少し心配でしたが、
今日のインタビューの表情を見て安心しました。
当時は泣き顔しか見てなかったけど、
少しずつ少しずつ受け入れていったのかな。


重岡くんのナレーションで心に残った文章が、こちら。

いつも一緒に笑ってくれて
いつも一緒に泣いてくれて
その愛情は動物にもスタッフにも
誕生日には一緒にお祝いしてくれて

大切な友達や家族を連れていくと喜んでくれて
いつしか家族になっていた

相葉くんが膝で寝ていた時、
「こういうのを待ってたから」と言った志村さん。

あるがままをさらけ出せる家族のような関係にしたくて、
そんな関係になりたくて、
この番組を始めたということが分かりました。

確かに「志村どうぶつ園」って、なんだか温かいですよね。
本当に家族みたいというか、優しいというか、
大好きが伝わってくる雰囲気とか、
番組を見ている私たちまで包んでくれるような、そんな気がします。

きっと、志村さんはそういう番組を作っていたんだと
そういう番組を作りたかったのだと思いました。


○タカアンドトシ
とにかく褒めてくれた
ずっと褒めてくれた
園長と出会えたから、今自信を持って2人でやってこれた
番組をやらせてもらえたことが財産

○ハリセンボン
志村さんの声かけで収録前に集る
その場にいる人たちをいかに優しく包む
人として学ばせてもらうことが多かった

○相葉くん
気持ちを察してくれる 声かけてくれる
「焦るんじゃないよ 相葉くんには志村どうぶつ園がある
ずっと続くからね 俺が続かせるからね」
すごく救われたことがあった

スタッフさんの知らないところでも、
たくさんの家族たちに同じような気遣いをしてくれていたんですね。

そんな志村さんが心がけていたこととは、
それは、バトンを繋ぐということ。
志村さん自身が、
人生で学んだことを誰かに、1人でも多くの人に繋ごうとしていた。

その想いは、しっかりと結ばれている気がしました。
「志村どうぶつ園」は名前を変えて、
これからも多くの人に愛され続ける番組になるだろうし、
出演者はもちろん、視聴者の私たちにもきっと届いてる。


訃報を聞いた時は、視聴者の私でさえ涙が止まらなかったのに、
これまで関わってきた番組関係者の方々の気持ちは、
私なんかが理解できないくらい悲しいものだったと思います。

志村さんが亡くなって、暗闇の部屋にスタッフがいた場面。
川栄さんが言ったセリフ。

まだ言えてないことがたくさんある。
明日、また今度って、先送りにしてきた言葉が。

本当にその通りでした。一度も会ったことはないのに、
まるで親戚のおじさんがいなくなったような感覚になりました。

もういないなんて未だに信じられないし、
もうテレビで笑う志村さんに会えないなんて考えられない。
でも、志村さんが繋いでくれたバトンは、
きっと多くの人につながっていくと信じています。

生きた証を繋ぐことを大切に思っていた志村さんの想いを、
受け継いで。


志村さんの言葉を信じて、
私も、生きた証をバトンにして繋いでいけるような人になりたい。

あるがままの自分を信じなさい
信じたら続けてみなさい
続けていこうね 必ずいいことがあるから


おりょう☺︎





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