Clubhouse雑感、その1
何かと話題のClubhouse。ラジオの収録時に1時間程度、さっき2分くらい見ただけの雑感をまとめておこうかと。
今のところの結論は、「ユーザを電話番号に紐づけて可視化するYoutube」ということになった(笑。反感買いそうだな。
このClubhouseは、いろいろな観点で分析できると思うけど、大きく分けると2つかなと。一つはソーシャルメディアとして、一つはSNSとして、というところ。まずはソーシャルメディアの視点で考えてみたい。
<ソーシャルメディアとしての視点>
サービスの特徴としては、「リアルタイム」、「ノンレコーディング」、「音声」。そこまでで整理すると「ラジオ」と同じだけど、ラジオは電波の使用許可、放送設備、維持するためのお金、などのハード的な部分と、番組を作る人、番組そのもの、そこで支払われるギャラなどのソフト的な部分が必要。以前は一体である必要が法律上あったが、数年前にハードとソフトは分離させてもいいよ、と法改正されている。それによって参入障壁を下げたかったのだろうが、現実には追いついていない印象。
一方、Clubhouseは、ハードがスマホで、ソフト=アプリで実現できる。メディアを作るという点において、劇的に手軽。
「音声版Twitter」?、「ネオ・マスメディア」?
音声版Twitterと言われたけど、Twitterは同じスペースにみんなが同時に好きなことを投げ込めたのに対して、Clubhouseは、同時には投げ込めない(聞き取りにくい)し、モデレーターによるroomポリシーも存在するので、Twitterのように存在をある程度のボリュームでパッと視認できないし、話さない人も圧倒的に多いのでTwitterっぽくはない。
ネオ・マスメディアみたいな指摘もあったけど、「情報の提供者」と「情報の受信者」が明確に分かれているクラサバモデル=マスメディアだと定義すると、情報の提供者が情報の受信者にもなる点は、サーバントの考え方になるので、P2Pのネットワークモデルの一つと言える。しかし、winnyなどのピュア型のP2Pネットワークは無法地帯になるが、roomというネットワーク内のコミュニティ単位に、ユーザを紐づたことでroomポリシーが生まれ、ユーザがサービス運営に参加することで、セミピュア型のネットワークに出来たと言える。そうなると課金しやすいとか色々とメリットがあるけど、細かい話は良いか。
実際のroomでは、何かしらの影響力ある人がroomオーナーになると、そこにアクセスするユーザの多くは、「情報の受信者」となる。そうするとroomオーナー=「情報の提供者」となって、マスメディアと同じモデルになるが、情報の受信者が提供者にもなれることをシステムが許容している点で考えれば、これまでのソーシャルメディアと変わりはないんじゃないかと。
ユーザが発言しやすいかどうかはサービス毎の使用感の話なので、仕組みの話とは切り離して考えたい。
ソーシャルメディアは残すことが価値?
ソーシャルメディアってことで言えば、テレビっぽいことをしたい人の選択肢には、ユーチューブ、17ライブ、Facebookライブ、ツイキャス、ラインライブ、いろいろなプラットフォームがあり、その映像機能を使わなければラジオっぽいことも出来たけど、映像か音声かよりも、基本的に「残す」ことを価値としていたように思う。
そんな流れから、ラジオの人たちも「ライブだけだから聴取率上がらないんじゃない?」と考えて、音声コンテンツを切り出して再販したり、連ドラのごとく聴取できるようにポッドキャストを使ってみた。ラジオがライブの価値に、アーカイブの価値をプラスしようと考えたのだ。
ラジオをラジオで宣伝するより、言い換えれば放送を放送の世界で宣伝するのではなく、放送をインターネットの世界で発信すれば、確かに周知は広がるし、コンテンツを聴取してくれれば認知も深まる。結果、ファンになり、発信者の市場の一部へとなっていく可能性を秘めている。その結果、「良質(ラジオ的な公序良俗に反しないプログラム)なコンテンツ」はポッドキャストの仕組みで購入されるようになる。
ラジオ局が作った番組は、地方のラジオ局が買って放送するのが一般的であったが、「ラジオ局の作った番組」も「誰が出ている番組か?」の方への価値に対して、より重きを置くようになった。「誰が出ているか?」を突き詰めれば、メディアの価値は、視聴者数、フォロワー数などを「市場」として捉えることにつながり、「何を発信しているか?」は、「誰」の次のレイヤーに位置付けられたことになる。ただ、ポッドキャストは、誰と何が良い感じで鬩ぎ合っている気がする。
Clubhouseのライブメディアとしての魅力
多くの著名人がroomを作ってトークショーを繰り広げている。ほとんどの人たちがそれを聴いている。ライブメディアだから、その場でその時に聞かないと聞けないのだから、私へのインプットを託せる発信者をもとめてroomを出たり入ったりする。
居酒屋の囲みテーブルの中で、いろいろなグループが色々な話をしており、それに聞き耳を立てている感じに似てる。ラジオ番組でもそういうコンセプトの番組はある。なんだかすごく熱い話で盛り上がっていたり、誰かの悪口を言っているテーブルもあるだろう。でも、テーブルに近づいて着座してみないとわからない。そうやって「興味をそそられたテーブル」に長く滞在し、ビール片手に「ちょっといいすか?」なんて手を上げながら話はじめてみたりする。
周囲を見渡すと、自分の知り合いもいろいろなテービルについている。その上には看板が出ていて、どんなことについて話しているかの「見出し」がぶら下がっているのだ。では、今度はあっちのテーブルに行ってみようかな。
Clubhouseを例えるなら、こんなイメージになる。けど、その日1日滞在しても面白い話の一つもできずに帰ってくることだってある。このメンバーと飲むとこうなるからなーみたいなこともある。でも、今はアルコール自体飲まない人も多いし、そうなると、このような居酒屋体験はおそらく昔話のレベルなんじゃないかと思ったりする。お酒ないけど飲みニケーションっぽいことができるのがClubhouseだ!とも言える。
この後どうなるのかな?
さて、ユーザがたくさん増えて、roomが増えると、roomの検索機能が強化されるだろう。そうすると、roomの設定キーワードが鍵になり、「参加されやすいroom名の付け方」をコンサルする人が現れるのかな。「room運営のためのモデレーション(ファシリテーション)テクニックを教えます」みたいなサービスだったり、そういうのに人が集まるようになるのかと思う。
そして、結局は、「有名人の声を身近に聴けるメディア」というところに落ち着くんじゃないかと思う。そして、それを消費する人(情報の受け手)をどうやって獲得していくかが鍵になるし、そのような課金システムも生まれるだろう。何でも残ることがネット時代のメディアだったが、その価値に対して、ライブメディアであることを価値にしたのはラジオ業界の人が一番困惑しているんじゃないだろうか(笑。
ライブメディアとしてのラジオとの違い
では、ラジオと何が違うのか?ということを考えると、ラジオ人は、基本的に「公序良俗に反する言動」はしない。放送業界に関わる人たちにとっては常識的なこと。なので、他人を傷つけることや、思想的・宗教的・政治的な立場に対してはニュートラルに対応する。
一方、番組を担当している人を「パーソナリティ」と呼び、その人の個性=パーソナリティをウリにしていて、実はちょっと矛盾している。放送人はどちらかと言えば公人に近い部分もあるが、番組担当パーソナリティは、もう少し自由で良いのかと思っている。バランスをとるのは局全体で行えばいいので。
では、Clubhouseはどうだろうか。「ライブメディア」ということを前提に、「フォロワー数」や「roomの参加者」に価値があるとすると、やはり、どうしても「有名人」が人気になり、有名人へ課金するシステムになるのが実際のところではないだろうか。公序良俗に反する不謹慎な過激系ユーチューバーみたいな存在も出てくるだろう。有名人じゃない人が数字を集めようとしたら、その手段は手っ取り早い。動画のように顔を晒すこともなければ身バレもしないからね。
ただ、Twitterのネガティブな呟きをみると掃き溜めみたいだなと思ったりするけど、悪口で盛り上がったりしていたら同じ気分になるだろうな。
でもね、今がチャンス。新しいメディアの登場は、新しい有名人を作るのには一番効果的な手法と言えるだろう。つまり、今であれば、テーマで人を集めることが可能だし、その中で見事にモデレーターを努めれば、フォロワーも増えるのだ。そう、有名人になるには今がチャンスなのだ!
Yahoo!にチャットルームサービスが生まれた時に似てるね。
システムについてを考えてみる
クラブハウスのユーザには2名の招待枠がある。あれが時々増える理由はどういう仕組みになっているのかわからないけど、2名の招待枠ということだけで考えてみる。
1人のユーザが2名に招待を出す時間はだいたい1分くらいだろうか。なので、2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2*2、つまり、2の20乗で100万人に到達する計算になる。1階層を1分とする20段で20分ほどで、100万人に到達する計算だ。そんな具合だから、100,200,400,800,1600,3200,6400,128000というように、そこから同じように1分で招待を送れば、合計27分で日本の人口をカバーできるのだ。
ポイントは2名という点。2004年頃か、mixiもgleeなどの日本のSNSが誕生し、枠の制限はなかったけど招待制だった。FacebookやTwitterは登録制だった。日本のSNSは、招待制ではあったが、誰でも気軽に誘えたのに、Clubhouseでは2名に絞っていることで、「多くの人から誘われるユーザ」がシステム上判明している。それは招待されたユーザに何かしらの優劣をつけることになる。
存在価値ある人間を可視化するみたいなことをAIが判断する時に、「多くの人に誘われた人」、「早い段階で誘われた人」というパラメーターがあったら、僕なんてすぐに脱落する(笑。
また、電話番号にユーザ名を紐づける際、本名で行うことで、誰々さんの電話番号が取得され、どの番号とどの番号がどの程度通信しているのか?というデータも全て集約されていく。問題はそのデータの扱い。電話番号は個人を特定するユニークな番号なので、なかなかデリケートな情報。世界中のユーザの電話番号がすごい勢いで集まって、今、この瞬間も、どの番号とどの番号がつながっているのかという巨大電話帳が構築されているのだ。
正直、僕の個人情報が晒されても社会的には打撃はないので、2004年のmixiの頃から本名で使っているが、こういう個人情報みたいなことを言い出すと、すぐ騒ぐ人たちもいますよね?そのレイヤーにはまだ到達していないのかな?知らんけど。
インプットって疲れませんか?
情報化によってインプットの機会や仕組みは圧倒的に増えていることは言うまでもないんだけど、そもそもインプットの量ってある程度を超えると、そこまで重要ではない気がする。
例えば、目の前に何かしらの課題があったとして、その課題をどう解決するか?という問いを出した場合。筋の良い解決策を提示できる人の方が良い思考の型を持っているとした場合、そこで出てきたアイデアの優劣でわかるのは、思考の質と言える。
(思考の質が高い、低い、というのは、筋の良いアイデアを出せるかどうかに関わる、というのはあくまでも、そう定義した場合の話)
同じインプットに対して提案された解決策の違いの原因は、自分の知識、知恵、人脈、それらをフルに総動員してアイデアを出すことになるが、思考の質はそれらを「つなげる力」と言えると思う。でも多くは、知識が足らなかったから、知恵が足らなかったから、人脈が足らなかったから、と考える。思考の質を理由にする人はいないので、必然的に、ネットでレコメン漬けになりながらいろいろなインプットを求めてさまようことになり、フォロワーのことを気にして、いろいろなところで消費者として何かにお金を払い続ける立場になる。そこからの脱却を目指したい人が一番のお客さんなのだ。
つまり、あなた。
もし、インプットを増やしたいなら、つなげることを前提にインプットする方が良い。つなげる意識があれば何でもつながる。風が吹けば桶屋は儲かるように、一見無関係なインプットもつながっているもの。まぁ本当に無駄なものもあるけど(笑。で、見抜けるかどうかは思考の質を高めるしかない。
では、思考の質はどうやって高めるかってことだけど、それは視点を増やす、観点を増やす、ことでできるんじゃないかと思う。一つの事実をいくつの視点で語れるか、みたいなことかと。視点を増やせればインプットの量は格段に増えるので、インプット先を複数持つ必要もない。複数の視点を持てるからこそ、その中から本当に重要なものを見抜けるようになり、それが本質を見抜くという表現になる。
長くなったので、この内容はここまでにしておこうっと。
近いうちに、SNSサービスとしての視点で、そうは言ってもどんな風に使えるかな?ということを考えてみようと思う。
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