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充足した一般的日常

いつもより少し長かった帰省も終わり、今日で千葉に帰る。少し時間が空いたので、気付いた事を書いておこうと思う。

千葉の家にいる間は暇を持て余し、しばしば訪れる虚無や体調不良に対し瞑想によるダウナー系の脳内麻薬で改善を試みるという日々だったが、帰省して親元におり、また随時出かけるに当たっては、序盤の一度か二度座ったきり瞑想をしなくなっていた。必要としなくなっていたのだ。寝床の暗さや最も長く暮らした人間と居る事の影響、運動、食事―――良くも悪くも、「豊かな」生活であったように思う。悪くもというのは、関係する事や存在するものの多さによる「濁り」を指している。太宰が諸悪の本と称した家庭の幸福を思い出さないでもないが、あれとは少しく異なる。食いきれぬ程食物があり、腹が満たされ、適当に戯れ、時に友人と出かけるなどして楽しく過ごすのは、その何れも充実感に満たされるようでありながら、しかし私の目には陰が映るのだ。私の時間を行為の連続が占め続ける限り、それらに気を割かざるを得ず、私の思索や生への疑問は先送りにされる。先送りにしていた事に、「日常」に支配されていた事に気付いた瞬間、些かの慄然があった。これか。この感覚か。殆どの人間が浸っているであろう感覚はこれだ―――世間一般の「豊かな日常」に戻ってきたのはかなり久方ぶりな気がしたのだ。

祖母と通話などする。ちゃんと働いてちゃんと生きてくんだよ、等と言われる。親は私が就職する事はようやく諦めてくれたようだが、他の親戚は大いに一般的な思考で、自殺しかけた話などしようものなら表情を一変させるは想像に難くなく、そんなものは忌むべきものだと言わんばかりの態度を取るであろうし、今更会いたくもない。帰省後最初に会った友人は鬱で休職している奴だったが、こちらに居ては彼が最も私に近いと感ぜられた。元々対人関係で人一倍ストレスを抱き、且つ体質に難のあるような奴で、以前会った時は躁状態そのもののような雰囲気であったから、就職して鬱になったと聞いた時は「ああ遂にか」と納得したものである。私は精神病の類は抱えていないと自分では思っているが、少数派や社会不適合者、病んでいる者らに親しみを覚え、尚且つそういう連中が周囲に多いのは、やはり類友なのだろう。


実家に帰り、旧友と会い、充実した生活を送る、これの何が不満なのだと訝しむ者もいようが、やはりどうしてもこれらは私の幸福とは趣を異にしているとしか思われない。確かにその最中は楽しくはあるのだが、何かが違う。たまにはこういうのもいいのだろうが、しかし、これは私が求めているものではない。私の欲するものは、寧ろこういった日常の濁りや先送りを可能な限り排したところにあるのだろう。

瞑想でキマった時の多幸感は、一般的な生活で得られる何れの幸福を容易に凌駕する。しかしそこにいくまでには少なからぬ精神力や集中力を要する為に、不調やあり余る暇などから、他に手の打ちようがないところまで追い詰める事によって行うのが、見方によっては最も容易なようである。一般における充足に納得できず精神世界に幸福を求めるのは、ある意味では大変に貪欲ともいえるかもしれないが、私としては「充足した一般的な生活」を虚無の穴を誤魔化す為の木の板として、即ち虚構的であると見なしてしまい、どうしてもこれを嫌ってしまう、と言った方が近い。それらに誤魔化されている限り、何れ必ずやってくるあの茫漠たる虚無には太刀打ちができない。

いい歳して何をそんな厨二病みたいな事を、と目されるかもしれない。しかしながらこの浮世離れこそが、憂き世を離れるべく古人が目指したものであろうし、幸か不幸か生への問いを抱いてしまった者の道であると思う。家庭の幸福など、何を今更そんなものを、とすら思う。親には何かと感謝しているが、それでも尚、何れ去ってゆく他者に違いない。他に依存するなかれ、私の問いは、結局は私独りで何とかするしかない筈だ。社会と断絶して生きられるとは思っていないが、それを必要最低限まで狭めた上で孤独の幸を堪能するのは充分に可能な筈である。私に利ある者も害なす者も、私が目指すあの境地に比べれば、なんと小さく虚しいものである事か!

以下は先日訪れた湖沼の縁に座る私だが、都市部で美味い飯など食っているよりは、こちらの方がよほど私には合うようである。

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……坊さんにしか見えんね。

然らば。

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