ファーストサマー・イン・フィリピン 1992年 夏 12歳

日本の学校は4月に始まって3月に終わりますが、海外の学校は6月に終わって9月に始まるところが多いのではないでしょうか。
4月後半に香港のインターナショナルスクールに編入した僕は、しばらくは学校の授業で使われている英語が全く理解できず、ただ空気のように過ごしていました。
そうこうしながらも1か月ちょっと経ち、あっという間に夏休みに突入です。

「初めて香港で迎える夏に、フィリピンに一人でホームステイをする」というのが我が家の通過儀礼のようになっていて、姉が香港に来たばかりのときにもホームステイしたそうです。

姉は大した説明もないまま父親にフィリピンに連れていかれ、マニラから車で数時間かけて父の知人の家に着いたと思った矢先に「じゃ、1か月後に迎えに来るね」と言われ、ひとり置き去りにされたらしいです。

その話を聞いていたので、父親にフィリピンに行くぞ!と言われたときにはすぐに覚悟を決めました。
英語を手っ取り早く学ぶには、日本語が使えない環境に飛び込むのが一番ということなのでしょう。
父と二人でフィリピンへ飛び、マニラから車で2時間くらいの町に連れていかれました。
父の知人の「ラッケル」というお姉さんのファミリーのお家でした。

ラッケルの家に着いた時にはもう夕方で、まずはみんなでディナーを食べました。
食べ終わったら父は予定通り「じゃ、1か月後に」と告げて帰っていきました。
ラッケルの家にはお父さん、お母さん、ラッケル(2-30代だったのかな?)、ラッケルの姪のカミュエル(当時多分5-7歳くらい)、あとラッケルのお兄さんがいました。
基本的にみんな陽気で優しい人たちでした。

夜になると
「ここがあなたのベッドルームよ」
というニュアンスで、お母さんに1階の奥の部屋に案内してもらいました。
ベッドには大きな蚊帳がかかっており、生まれて初めてみる光景でした。
長時間の移動と未知の世界への不安で肉体的にも精神的にも疲れていたため、この夜は早めに眠りについた記憶があります。


目が覚めると外はすでに明るく、ザーザーと激しく雨の音が響いていました。
トイレに行きたくなったので、ベッドから降り、床に一歩足を踏み出した
その瞬間・・・足の裏にびちゃりと水の感触が伝わりました。

一瞬、僕は「あれ、凄く豪快な”おねしょ”をしちゃったのかな」と頭が混乱したのですが、布団が濡れている訳では無いのでそれはありえません。
落ち着いて周囲を見渡すと、寝室の床が濡れていました。
何が起きているのかと寝室の扉を開けると、なんと家中が水浸しでした。
ラッケルの家族がリビングの水をバケツですくい、窓から外に捨てていました。

一体外はどうなっているのかと思い、今度は家の玄関を開けました。
なんと、村全体も水浸しでした。

太ももくらいまで水に浸かっていて、背伸びしないとパンツも濡れそうな勢いです。
驚いている僕の目の前を、一隻のボートがゆっくりと移動していきました。
家から家へと、ボートで移動している人がいたのです。

よく見ると家々の玄関は地面よりも少し高いところに設置されており、これはきっと水難対策なんだな、と思いました。
フィリピンの洗礼が始まったのでした。

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