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【往復書簡 エッセイNo.22】後期高齢者の両親との旅「家族ときどき他人」(3)

うららちゃん、こんにちは!
アメリカのグランマのお話、ほろりとしつつ、いい意味で「生きる執念」を感じました。

さて、もはや3カ月前になってしまいましたが、旅の思い出ノートもいよいよ最終回。
振り返ると、割といろいろな学びがありました!


後期高齢者の両親との旅「家族ときどき他人」(3)


6月末の1週間にわたり、父の故郷である青森や、昨年末に亡くなった伯父が眠る山形を、一家3人で訪ねる旅をした。

「後期高齢者」という堅苦しい名称でカテゴリー分けされてしまった両親を連れて、このような長旅をすることは初めてであり、しかもそう何度も行けるものではないという思いから、かなり気合いを入れてしまったワタシ。

心の中ではいつも、まだ両親は元気に動けるだろうという思いと、歳なんだから無理をしてはいけない、という思いがせめぎ合う。

電車に乗る。時間通りに親戚の家にたどり着く。レンタカーを定刻までに返却する。日々現れるスケジュールにどうすれば余裕が持てるか腐心し、計画通りにいかないと落胆し、両親自身も疲れたり、私に対しても少し申し訳なさそうにしているのが分かった旅の中盤。

旅の事前リサーチで、ホテルの近くに有名な和菓子屋があると分かり、滞在中に訪ねたいと思っていたが、両親を置いて出かけるのも気が引けて半ば諦めかけていた。

しかし、前回のエッセイで触れたように、両親が夜食をコンビニめしでいいと言ったこともあり、私は思い切って二人に言った。
「明日の朝は、行ってみたいところがあるから別行動でいい?」

今冷静に振り返ると、「両親のお世話にちょっと疲れた。だから一人にしてほしい。」の意が含まれていたかもしれないが、両親は気にせず行ってきてとの返答だったので、お互い深掘りはせずにその日を終えた。

翌朝は早起きして露天風呂に浸かり、近隣を散歩して、念願の和菓子屋にも行くことができた。旅をしているという気持ちを初めて感じた、旅の最終日。(笑)

それでもやっぱり両親が心配で、ホテルに戻り部屋をノックしてみる。
「ん?」
応答がない。
まだ寝ているという時間ではない。

気になってLINEをしてみるが返信はないので、いったん部屋に戻り、チェックアウトの準備をしていたところにピコンと母から返信が来た。

「お父さんが、『名残惜しい。朝風呂に行きたい。』というのでお付き合いして、ホテルの1階でコーヒーが無料でいただけるというので取りに行ってきました。」

私が自分の時間を過ごしたかったように、両親も「自分たちの時間」を過ごしたかったのかもしれないな。ふとそんなふうに思えた。

もし父の朝風呂について事前に聞いていたら、危ないから止めてと私は言っていたかもしれない。父も十分それは分かっていただろう。でも自分たちのできる範囲で旅を楽しみたいという気持ちもあったに違いない。

私にとっても、両親にとっても、ようやく「旅のリズム」が見えてきたところで旅が終わろうとしていた。

新青森駅から新幹線が出発してしばらくは、両親ともに名残惜しそうに景色を見つめていて、行きの新幹線でこくりと寝てしまったのと違い、何かをやり遂げた感じで、元気がみなぎっているように見えた。きっと体は疲れていたはずだけど、思い出を刻んだという意思を確かに感じた。

両親よ、また行きましょう。
いい旅でした。


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