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【往復書簡エッセイ No.2】時が愛おしくなる頃

うららちゃん、こんにちは。

10代から見た50代は、とてつもなく彼方のことに思えて、そんな歳の人たちが「ちゃん」づけで名前を呼ぶなんて気恥ずかしいとすら、あの頃は思っていた気がします。
でも、時が経てば経つほど、「うららちゃん」と呼びたくなるのかもしれません。

うららちゃんが声をかけてくれなかったら、この「往復書簡」は生まれなかったと思います。
ほんとうにありがとう!
そして末永く、おつなぎくださいますよう。


時が愛おしくなる頃


3月3日、ひなまつり。

その3日後に生まれた私は、ひとりっ子だったこともあり、若かった両親は、大枚をはたいて七段飾りのひな人形を購入したらしい。時期になると、押し入れの天袋からいくつも箱を出し、陰干しして、ひな壇を組み立てて飾ってきた。

ひな壇の前で毎年写真を撮ることで、成長のあかしが刻まれたけれど、学業も終わり社会人になってからは、両親と一緒に住んでいたこともあれば、
ひとり暮らしをした時もあって、「今年はひな人形を飾るのか」問題は、徐々に家族に重くのしかかってきた。

母などは「おひなさまを飾らないとお嫁に行けなくなるっていうから、飾ろうと思うのよね。」と余計なひとことを挟んできて、嫁に行かないことが問題なのか、飾るのを手伝いに行かないことが問題なのか、まぜこぜの思いを伝えてくることもあった。(しかも、早くしまわないとお嫁に行きそびれる、が正解だそうで、この点でもまぜこぜ。)

40代に入るところでようやく人生のパートナーに出会って、母の悩みはひとつ解決しただろうか。と思ったら、母は父とともに毎年ひな人形を飾るようになったのだ。母が大病をしたこともあってか、飾った写真をメールで送ってきては「今年も見ることができました。」とメッセージが添えられる。ひなまつりを過ぎて3月の間じゅう飾っていた年もあって、両親の顔を見に行くきっかけを作ってくれる季節のできごとにもなっていった。

そして、新型コロナウイルスが世界にまん延し始めた2020年3月。
70代後半にさしかかった母は、年齢なりの元気を取り戻していて、天袋からひな人形の箱を降ろそうとしていたが、本人が気づかぬうちに背中に圧迫骨折が生じたらしい。私は、長く生活した都心からとある地方に夫と移住しており、移動が制限されて母を助けに行くことができない。LINEビデオで、
コルセットを巻いている母の姿と、美しく飾られたひな壇を見て、ひたすら申し訳なく思って泣けてきた。
母が笑っているから、私も一緒に笑ったけれど。

そして2022年3月。
その3カ月前の暮れに、父が救急搬送され、重いものが持てなくなった。
母ももう脚立に登るなんてことはしてほしくない。であれば、私がやろう。思い立って実家に帰り、天袋に律儀にしまわれた箱たちの写真を撮り、ひな壇の組み立て方や部品も写真に撮り、人形の乱れた髪を整えたり、小道具を少し修復してみたりした。

父は体が思うように動けない分、口が達者になっていて、あれこれ指示を出してくる。うるさいなあ、と思う。でも伝えておきたいのだろう。

2023年のひなまつりは、父と母がゆっくりと時間をかけて、人形だけ出して飾ったと写真が送られてきた。
飾りに行けなくてごめん。仕舞いには行くから。

いつか終わると思うよりも、今という時を愛おしく。
ひなまつりに寄せて。

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