やっぱり、教育無償化が社会の好循環を生むんだ③

教育に投資、若しくは投資してもらった者としては
その犠牲や労苦を取り戻そうと考えてしまうと思います。

私の知人の歯科医師さんが、
「なんぼほど、投資してるとおもってるんよ」
そのように言っていました。

悪くない。
ただ、投資した分を取り戻そうと、個々人すべてがそう考えたとしたらどうだろうか。
ビジネス、競争社会であり、その意図を了承した上で、トラックに立ったらよいだろうけれども

だが、社会は違う
むしろ、助けあうことが本来だ
助け合ってこそ、好循環。
みんなでリフトアップをしていくことで、社会が成長していくのだと思う。

それでいけば、高学歴・高収入を否定はまったくしないが、
それぞれの役割を担ってもらっていることで社会が循環しているとすればどうだろうか

能力があっても、金がないから・・・できない

それを、若者に言わせてはならんな、と思っている。

財力と能力は違う。別物と思う。
比例しているのは、財力と教育を受ける機会の量と質、だ

公金で、教育の機会の提供を全面的に支えるとしたらどうだろうか

皆が、怠け者になってしまうなどとたわけたことを言う政治家もいるが

やってもいないのに、なんでそんなことを結論付けるのか?
と思ってみたり

甘えるな、とか
苦労は買ってでも、しろ

のような発想かもしれない

だが、それを前提とする社会の仕組みでは
世界レベルで、遅れをとってしまうのは自明の理だろうか

続きはまた明日
想いを述べた緑のペンの思い

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