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帰省して嘘をつく

お盆休みで地元に帰っている頃、岸田総理が総裁選不出馬というニュースが紙面を賑やかしていた。
かねてより、そこそこな数の自民党員が、パー券で集めた政治資金をちょろまかしており、問題を収束できなかった岸田総理が身を引く顛末となった。

※ここでは不正と嘘は同じでは無い、という細かいことは置いておく。
政治家にとって嘘が致命傷になりかねないのは自明だ。というか人間が1番手軽に信頼を損なえるの行為が嘘だなと思う。Twitterで何某かの炎上している人の背景には、だいたい何らかの嘘が関連している。かまって欲しくて嘘泣きをする赤ちゃんすら、母親の信頼を失ってしまうことがある。

人間の最も忌むべき行為ひとつが嘘だとしても、同じくらい大事なのがいい嘘なはずである。しかしいい嘘ってなんだろうね。
世の中で肯定的に受け入れられている嘘の多くは、フィクションという言葉に置き換えられている。この類の嘘は、嘘と本当との距離が大きい。2つの間に思考の余地が多く介在するので、もう嘘というラベルすら貼られていない。スターウォーズを見て宇宙戦争なんておこるか!と怒る人はいない。サンタクロースにマジレスする人はいない。ちなみに経営理念や宗教も一種のフィクションだと捉えている。


人を救ったり傷つけないための嘘も、いい嘘に分類されたりする。ハリーポッターを守るためにスネイプはずっとヴォルデモートの配下であるフリをしていたし※このnoteはネタバレを含みます。サンタクロースにマジレスをする奴はいない。俳優と3Pしたと言うよりも、朝まで自宅で演技について議論したと言った方がファンは傷つかない。


しかしこのいい嘘は境界に立たされることが多い。よかれと思ってディズニープリンセスの肌の色を変えたら、鑑賞者に白い目で見られるとかあるよね。能力不足で部署異動させるのに、異動理由として若いから色んな経験をして欲しいと伝えるのは、本当に本人の為になっているのかな。結局嘘は受け手の解釈に委ねられている事が多く、嘘を繊細に使いこなすことが求められている。


色々書いたが、嘘を肯定することを開陳するのは、ほとんどのケースで悪手といっていい。政治家が、世の中にはいい嘘もある!と公言して生き残れるとは思わない。それが本当だとしても。つまりこのnote日記は2日目にして瀬戸際である。でも僕は嘘の地位向上に努めたいと思う。
なお、今年の総裁選は大混戦らしく、どんな嘘が見れるかこれから楽しみだ。


本題の日記だが、僕はお盆に帰省して2つくらい嘘をついた。
1つは時間都合で行けそうにない地元の飲み会に行けるフリをしたこと。ノリが悪いと思われたくないし、せっかくの誘いを無下にしたくなかったので、行けると嘘をついた。結局前日に体調と仕事を理由に飲み会は行けなくなったと連絡をした。
もう1つは親に知られずに地元を旅行したかったから、東京に戻るふりをしたこと。駅まで母親に送ってもらったその足でレンタカー屋さんに直行した。本当はその後地元の宿で一泊した。ダサい嘘。

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