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「白」か「黒」か、つけたがる思考

皆さん、おはようございます。

2ヶ月ほど前から毎週水曜日の朝6:00~20代のデイサー―ビス管理者3名と30分間私のnote記事を基にディスカッションする、という時間を設けています。
3人が交互に司会進行を行い、私のnoteの中で気になった記事を上げ、それについて自分の意見を述べたり、私にどういう意味なのか聞いてみたりと朝から頭の回転をあげるのに持ってこいの時間。

「自分もこんな経験があったのでみんなそうなんだなと思って少し安心しました」
「しみずさんのあの記事、自分には無い視点でしたので勉強になりました」
「最初の何でもないことが最後こうやって伏線として持っていくんだー、さすがだと思います」

気持ちがいい、気持ちが良い水曜日のしみず。
週の真ん中に承認のシャワーを浴び活力を得る…。

うん、これって参加者3名どういう思考になっているだろうか。

ひと回り以上上の先輩がわざわざ無償で朝から時間を作ってくれている
→勉強させてもらっている
→noteにはいいことが書いてあるはずだ、何事も学びになる
→共感、新鮮、称賛、このような部分を探そう。
→見つけたこの部分が理解できた。
→発表ししみずに褒められる
→ああ良かった今日も早起きして勉強して理解が深まったな。
こんなような感情と行動の変容かなと思う。

しかし、これは非常に学習効率が悪いと思う。
セミナーを受講して勉強した気になっている人のような。

まず、参加者にバイアスがかかりすぎている。
自分でnoteを書いているが大したことをたまには書いているかもしれないが大抵はくだらない記事である。
また、私はまだまだ発展途上。
私を聖人君主化して朝の30分を過ごすことはもったいない。

昨日水曜日の朝の時間、敢えて
「この記事どうなの、自分は違う意見だ」
というアンチ的に読み、発表してもらうということを行った。

でもなかなか難しいみたいだね。
表面をなぞるような発表ばかりだなあ。

先月、私が受講したセミナーで講師がこんなことを言っていた。
「人間の脳は白黒つけたがる。曖昧な状態が非常に苦痛なのだ。だから分かった、理解した、と自分の中で結論付けて曖昧な状態を脱出する。例えばあの人何考えているのか分からないけどたぶんこう思っているのだろうね、のようなこと。何を考えているのか分からない状態で自分を置いておくのが気持ち悪いので想像して理解したつもりになる。そっちの方が脳はスッキリする」

生理学的にセミナーを受けた際、勉強になった、理解できた、という状態になるのが普通。
そこに疑問や反対意見を持つことは脳にとって苦になる。

セミナー講師はこうも言っていた。
「白、黒、だけでなく保留の状態でもいいんだという自分の価値観を持つこと。結論が出ない不安定な状態という結論があることが理解したつもりも防ぐことができるよ」

勉強になりました、だけでなく、〇〇がまだわかりません、という状態で終わっていいんだということ。

「理解したつもりになるな、理解しきることなんてできないんだよ」

昨今、これは良い、悪いという白黒で判断されることが多くなっていると思うし、これからも多くなるだろう。反対ですか?賛成ですか?自分は何が反対で何は賛成、そして自分は何は分かっていないのか、このあたりを頭の中で整理整頓しながら生きていけるといいよね。

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