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『ありがとう、フォルカー先生』---本の中の障害者04

題名:『ありがとう、フォルカーせんせい』
原題:"Thank you Mr. Falker"
作者:パトリシア・ポラッコ 作・絵,香咲弥須子 訳
発行:岩崎書店(2001年)
ISBN:978-4-265-06806-7

ある人に,「つまり,あなたの仕事はフォルカー先生みたいなものですね」と言われ,後日,『ありがとう、フォルカーせんせい』を開いてみた.そこには,ディスレクシアの生徒と彼女に寄り添う教師の姿が描かれていた.僕はこれをきっかけに絵本を読み漁るようになった.個人的に特別な作品.

2001年発行なので,最後に1ページ,「★おうちの方、先生方へ」として上野一彦先生によるLDの解説がつけられており,帯には息子さんがLDだとカミングアウトされている五十嵐めぐみさんのコメントが付いている.日本の教育界にLD概念が浸透し始めた頃の空気感.

まず,作者パトリシア・ポラッコの紹介.彼女は1944年生まれの米国の絵本作家.母方の祖母はユダヤ系ロシア人の家系でその農場は奴隷解放の「地下鉄道」の施設,父方はアイルランド系.彼女が幼いうちに両親は離婚したものの,学校がある時期は母方の家,長期休暇中は父方の家と,双方の家を行ったり来たりしながら多様な文化を吸収したらしい.彼女の作品でしばしば描かれる,高齢者と孫世代の交流,多様な人達の交流の様子は実体験に裏打ちされたものなのだろう.(日本語版wikipedia本人の公式サイトを参照)

一方,学校生活はディスレクシアの為に劣等感を持ちながら散々な思いで過ごしたらしい.その中で彼女がどのように悩み苦しんだか,親・教師がどのように寄り添ってくれたか,友達の存在がいかに勇気付けてくれたかを三つの自伝作品で表現している.その第一作が本書である.勉強で躓いたことがある人なら,子どもの親なら,教育者なら,何か感じる部分があるだろう.

主人公トリシャ(パトリシアのニックネーム)は,お話を聞くことが大好きで,大きくなって本が読めるようになる事を楽しみにしている.しかし小学生になっても全く読めるようにならず,クラスメイトにもからかわれる.家に帰るとお婆ちゃんは「おまえは せかいじゅうで いちばん かしこくて、おりこうで、かわいらしい子に きまってるじゃないか」と優しく包み込んでくれる.学校で酷い仕打ちを受けてもトリシャが頑張れたのは,家族からしっかりと愛された経験があるからなのだと思う.

祖父母が亡くなり新天地カリフォルニアへ引越し,フォルカー先生に出会う.トリシャの絵の素晴らしさを褒める,読めない事をみんなが笑うと「やめなさい! きみたちは 人を ばかにするほど じぶんが えらいと おもっているのかい?」と揶揄いを止める.常に公平な指導ができる教師だからこそ,みんなはいう事を聞いたのだろう.

ある日,フォルカー先生は,掃除の手伝いを口実に,濡れたスポンジで黒板に字を書くゲームでトシリャが字を書けない事を確かめる.他の生徒からバカにされないように二人きりになる配慮をし,掃除という日常生活を通してのアセスメントをし,泣いているトリシャに冷静に対応し「きみは かならず よめるようになる。」と力強く約束できてしまうフォルカー先生の教育者としての技量に憧れる.時代的にはLD概念が提唱される前ではあるが,教育現場では根本原因なんて関係ない.現象論として「文字の形を習得できていない」事さえ分かれば,あとはそれを何らかの手段で訓練するだけだ.

国語の先生に協力を仰ぎ,放課後の特訓が始まる.黒板にスポンジで大きな丸を描く.映写機で写された文字を次々に読む.積み木で言葉を作り,どんどん声に出す.何ヶ月もの謎のトレーニングの後,初見の本をトリシャは読めるようになっている.お涙頂戴作品なら,ここで先生と抱き合って感謝を述べるシーンがあるべきだけれど,トリシャは「いちもくさんに はしって、うちに かえった。」のである.だって,頑張ったのはトリシャ本人で,先生たちは脇役として伴走しただけなのだから.お爺ちゃんとの読書の儀式を思い出し,窓の外の夜空を眺めながら,「うれしくて うれしくて たまらないときも、なみだって ながれるんだ。」

30年後のある結婚式,はじめフォルカー先生はトシリャを思い出せなかったらしい.それでも,この本の献辞には次のように書かれている.

わたしの永遠のヒーロ、
フォルカー先生−−−ジョージ・フォルカーへ

フォルカー先生にとって,トリシャは多くの生徒の一人に過ぎず,トリシャのように勉強に困っている多くの子ども達に真摯に寄り添って伴走し続け,それはフォルカー先生の食い扶持に過ぎないのだから,トリシャを思い出せなくても無理はない.それでも,教師なら,親なら,大人なら,目の前の子どもの人生が変わる特別な瞬間に日々立ち会っているのだという自覚を,それだけは忘れる事なく持ち続けなければならない.

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