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表現文集〜一番伝えにくいこと〜

ある日、思いがけない企画が、聞きなれた声で受話器から伝えられた。

スタンド・バイ・ミーをしに行こう!

一緒にそのビデオでも見ようということかと最初は思った。彼らの指令で、ほかに仲間を集めてくるのがわたしの役目。どうやら、本格的に線路の上を歩くのだということに、彼らの説明により、数分後、わたしはやっと理解した。興味ありそうなメンバーを集めたものの、提案者の本人達に会うまで、わたしの頭の中に浮かぶのは、まさにあの“Stand By Me” のシーンで、想像するだけでドキドキした。

君達にはどう伝えればいいだろうか。今でも次々とその時のネガは、何枚もわたしの頭の中に浮かびあがってくる。しかし、それをどうまとめ上げるべきだろうか。一言で言うならば、私達の知らなかった町がその中にはあった。わたしは今まで何をして過ごしていたのだろうと、いつも決まった場所ばかりを歩いて、新しい場所を歩こうとしなかった自分自身を後悔した。

スピーカーつきの音楽と、1.5リットルボトルのアイスティーと、1本のフランスパンを持って、私達は出発した。男女併せて6人。今では共に行動することのないメンバーだと思う。電車は来やしないかと何度もレールに耳をあてて、わたしの掌は真っ黒になったし、いざ電車がやって来たときは、みんなで急いで草むらに隠れた。大自然の中で用をたした者もいたし、じゅうたんのように広がるタンポポ畑で、私達は遂に子鹿に出会った。あの映画の主人公のように、目の前ではなく、かなり離れたところにいたが、そうっと近づく私達に気付いた子鹿は、すぐに、逃げ去ってしまった。

「足が痛いよ。もう帰ろう。あの町まで歩いて
行くなんて無理だよ。」
と、疲れ果てて嘆き、諦めようとする仲間もいたが、私達は必死で彼女らを説得した。理由は未だに分からないが、そのときには戻れない何かがわたし
の中にはあった。それでも前に進んで、足を止めてはいけない何かがあった。

遂に線路1本だけで歩かなければならない場所に、私達は来てしまっていた。今までは危険そうな場所は山道を通ったりして避けて来たのに、もう逃げ場はなかった。目の前に小さなトンネルが見えた。仲間の一人とわたしは、そのトンネルの中を偵察しに行った。しかし、嫌な予感がしたので、急いで走って戻った。案の定、その数分後、電車がやって来た。「あのとき走らなかったら、うちらの命はなかったね」と後で二人で話し合った。もう歩くのも限界だと悟った私達は、そこで断念した。ぼーっと街並みを上から眺めて、次の電車が来るのを待った。誰一人として、歩いて帰る気力など残ってなかったのである。

この思い出は、実はわたしの心の中にだけしまっておくべきものだったかもしれない。それくらいわたしにとっては大切で、またすぐにでも消えてしまいそうな繊細なものだった。わたしは今まで何度も、それが再現できることを願った。結局、それは果たせなかったけれど。この、私達だけの“スタンド・バイ・ミー”は、額に入れて賞状のように、一生わたしの中で飾っておきたいくらい価値あるものだった。だからこそ、これを君達にも見せたかった。この思い出を分かち合うことで、君達も何か大切なものを思い出してくれたならいい。実際、線路の上を歩かなくとも、君達だけの仲間と共に歩いた、君達だけの“スタンド・バイ・ミー”がきっとあったはずだから…

あのときの同志へ
君に最後の手紙を書く。君に1番大事なことを伝えるのは難しい。でも、わたしがこれから歩んでいく道で、君以上の存在の誰かに、出会えることが果たしてできるだろうか。それは、後になって分かること。どうせなら、その答えが出る頃には、あの映画の主人公のように作家にでもなっていたいけど…ただ君にはカッコいい死に方をしてほしい。自分の信じたものを貫いてほしい。今は、お互いが共有できるものは何ひとつない。ただひとつだけ分かっているのは、あのとき線路の上で街並みを眺めていたとき、確かに君はわたしの傍にいてくれた。隣で、「ここに一生住むつもりはないけど」と呟き、一人物思いに耽っていた。





上記の文章は、二十数年前に私が高校の卒業文集用に書いたものです。このときのようなひたむきで真っ直ぐな文章を今書けるだろうかと思ってしまいます。

現在、作家にはなっていませんが、書籍の編集の仕事をしています。そして、後に分かることですが、“君”以上の存在に最近出会えたかもしれません。“君”のこれからのご活躍を誰よりも願っています。負けないけどね笑


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