東京IT系社会人2年目終了、今後の方針
こんすけです。
2年間東京で働いて今後の方針が固まってきたのでその経緯のログです。2021年新卒の方に少しでも参考になればと思います。
※この記事は成功談を書いているわけではないです。希望通りの仕事が出来てないけど。生活もあって抜け出せない。それでも将来につながるような経験を積みたい。ありあわせをやりくりしていくような、消去法のアプローチを書いてます。自分のやりたい仕事に就けた人にはまるで参考にならないと思うのですが、まあひまつぶしにでも見てもらえると嬉しいです。。
ここから本編
上京してからの2年間
まずは上京してからの2年間の流れをざっくり振り返るとこんなかんじ。以下太字の題名だけ見て貰えば大体わかるので、本文は読み飛ばしてOKです。
①2019年6月IT企業にてキャリア積み開始(案件A)
② 2019年12月までテスト作業
③ 2020年1月から別案件の作業を引き継ぐため異動(案件A→B)
④2021年2月まで後輩とパートナー作業者を率いて案件Bのテスト作業
⑤2021年3月から案件Aの新人が溶けたため再異動(案件B→A) ←今ここ
くわしく。。。。
①2019年6月IT企業にてキャリア積み開始(案件A)
2019年4月にITエンジニアになるべく4年大学の新卒として上京。4〜5月の研修を経て客先へ配属。最初に入った案件(以降、案件A)でシステムのテスト実施者、テスターとして本格的にキャリア始動しました。
② 2019年12月まで案件Aのテスト作業
そこから2019年12月まで案件Aのテスターを続けました。かなりの炎上案件で、残業しまくりでも総合テストと受入テストだけで8ヶ月かかりました。
③ 2020年1月から別案件の作業を引き継ぐため異動(案件A→B)
お上の意向で2020年1月から別案件(以降、案件B)のプログラマとして、同期社員の前任者から引き継ぐ形で再配置されました。理由は不明ですが手に負えなくて逃げたのではと邪推。真意は知らない。
プログラミングはjavaしか経験なかったのですが、案件BではVB.NETというクライアントアプリ向けの言語の習得が必要で、なおかつ開発期間が1月以内というタイトスケジュールでした。
完全に実力不足だったので当時の仕事の評価は大敗で、結局2月に入ってからは別の担当者にかかりっきりで指導してもらいました。そのあと3月半ばからは同案件Bのテストと資料整理へ入ることになりました。
④2021年2月まで後輩とパートナー作業者を率いて案件Bのテスター
またもテストです。それも丸々1年以上。笑
なかなか開発には携われませんでしたが、1年目と違う点は、後輩とパートナー作業者に指示を出すようになったことです。
後輩に指示出すのはわかりますが別会社の社員に2年目の未熟者が指示出しまくってました。他の職場あまり知らないのですが、どこもそんなもんなんですかね・・・
理由は私が優秀だから、な訳なく、単純にリーダー格の元担当者が溶けたから。当人の理由は真っ当で、「私は開発者として雇われた。テストはやらない」とのこと。誰も止められません。おかげさまで結果的に成長はできたんですけどねー
そんなこんなあって案件Bのシステムリリースまで完了、2021年3月で契約の関係上一区切り、大きな案件を一つ走り切りました!
・・・のはずだったのだけども、またひと悶着
⑤2021年3月から案件Aの新人が溶けたため再異動(案件B→A) ←今ここ
3月1杯まで案件Bをやり切るつもりが、もといた案件Aに2020年の夏ごろから配属されていた新人が研究開発がしたいとのことで離脱。
結果後釜として私が充てられました。以前所属していた経験からスムーズに移行できるだろうとのことで選出されました。
案件Aは2020年1杯で開発・テストフェーズを終えていたため、2021年ともなると完全に運用・保守フェーズに入っています。仕様に口を出すなんて夢のまた夢だし、システム内部の条件分岐付きのソースには触ることもできません。(テストの網羅パターンが膨大になるため)
主な作業は、ユーザから上がってきたエラーや障害を開発班が改修、それを検証環境や本番環境にリリースしたり、その動作確認したりといった内容です。
また、テストか。
今ここ。・・・・・・・
2年間を振り返って1番の学び
まず結論から
「自分の持ち作業にかかわりがある作業とその担当者を把握し、必要に応じて連携するよう心掛ける」ことが1番の学びです。まあ、人によっては当たり前かもしれませんけども。
社会人2年間で、自分の社会人としての成長度合いが明らかに変わったターニングポイントがありました。
きっかけは案件Bのクライアントアプリの担当者が溶けたこと。テストフェーズに入り、職分の食い違いから案件を外れてしまったため、代わりに私がそのアプリの担当者となりました。
当時新人の後輩1人と、クライアントアプリと対をなすサーバ担当者の3人体制でテストを進めていたのですが、テストが全く進まない。
原因は当時私が技術者は個人プレーと思い込んでいたことがあり、チームの連携を重要視していないからでした。ちょっとした連携ミスで、テストの手戻りやテスト環境の取り合いが発生してしまうということをこの時痛感しました。
以降、自分の持ち作業にかかわりがある作業とその担当者を把握し、必要に応じて連携するよう心掛けるようになりました。その結果当初大幅に遅れていたテストスケジュールをオンスケで納めることができました。
これはちょっと愚痴なのですが、技術者って技術に振り切ってる人結構いるんですよね。当時ご一緒したサーバ担当者なんてそれこそ典型で、自分の判断だけで突っ走って、用意したテストパターン台無しにするとかざらでした。(トラウマ)
都合、優秀な指導者が必要になるんですが、SESや準委任契約だとかなり厳しいです。準委任は原則元請けから直接指示しちゃいけないことになっているので、その窓口役をチームリーダーが受け持つことになりますが、これがかなりきつい。お客さんの対応をして、チームに指示をいきわたらせる。いうのは簡単ですが、肝心のお客さんがリーダーを会議に引っ張りだこにして放さない場合は?エンドユーザーへの説明に駆り出されまくった挙句、30分で100通以上たまるメールをさばかなければいけないリーダーは、いったいどこでチームに指示出せばいいのか・・・
だから、技術者は技術力に加えてチームでの連携プレーが求められます。リーダー不在でも仕事が回るくらいに。
技術者は技術さえ磨いておけばいいという偏見を打ち砕けた、私にとって最も大きな学びでした。
東京IT系社会人2年目終了、今後の方針
ここからタイトル回収です。前置きが長い。すみません。
入社したころの私の目標は、WEB系のシステム開発に、設計・開発フェーズから仕事を任せてもらえるようになることでした。
しかし現実は、WEB系の開発経験は独学でJavaScriptでのゲームを作ったりしたくらいです。
2年間IT企業に勤めて開発に携われた期間はわずか2か月。それもWEB系ではなくクライアントアプリの開発です。開発に限って言えば、分野が違いすぎて正直使い物にならないキャリアです。
一方で得られたものもあります。
それは上で説明したチーム連携の重要性理解と、各案件での作業遂行実績。
そんなわけで今後の方針は
「目標に紐づくように実績を後付けする」
です。
すでに手持ちにある実績を、チーム連携の話に織り交ぜながら、あたかも自分の目標のために計算ずくで仕事を進め切ったというロジックを作り上げます(ゲス顔)
「WEB系の開発をする」という目標。
ほぼ関係がない案件の作業だとしても、「チームで連携して作業を遂行しきった」部分を、「いつかWEB系の開発に活きると思いやる気満々で取り組んだ」といった具合に脚色していきます。
事実としてチーム連携は重要なので、多少順番前後させたところでだれも不幸にならないでしょう。
そんなわけで最終的なシナリオは以下の通り。
「WEB系の開発案件に携わるため、JavaScriptの勉強を進めていました。実際に作ったアプリはXXとOOです。WEB系の実務経験はありませんが、クライアントアプリとサーバでやり取りするシステムでプログラミングやテストを実施しおりました。とくに心がけていたことは、開発環境の取り合いや手戻りを防ぐため、各機能の担当者と連携して作業することです。JavaScriptでの基礎的なコーディング力と、チーム開発の経験から、WEB開発の案件でお力になれると考えております。」
とはいえ、プログラミングの実力を伝えきれないと開発にお呼ばれされないこともわかってるので、そちらは引き続きプライベートで頑張っていこうかと。
向こう1年は、案件Aで運用保守をゆったりやっていくことが確定しているので、コーディングの時間くらいあるでしょう。
さいごに
ここまで読んでくださった方本当にありがとうございます。
こんな殴り書きの文章。結論を冒頭に持ってこないのは社会人として完全アウトなんですが、思い思いに書いた結果こうなっちゃいました。
ブログなんでね、大目に見てください。
新卒の方、周りの思惑とかで自分の思うような成長戦略をとれないこともあるかと思いますが、得られた結果を生かすも殺すも自分次第です。
社会人2年目を終えた私の今後の方針が参考になったらうれしいです。
多分同世代、お互いこれから社会で頑張っていきましょう。
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