熱海の土砂災害について

熱海の土砂災害について。

発生当時から気になってたことがありました。それは、歴史的な視点から、「一体熱海という地域はこれまでにどれぐらいの土砂災害が発生してきたのか」ということです。私がこのように感じたのも、まずは直感的に「あの辺は富士山もあるし、火山性のものでできていて崩れやすくなってるんじゃないか」と思ったからでした。

そこで「熱海 土砂災害 歴史」で検索をかけてみます。すると、静岡県のHPに各地域の災害史ってのがあって、そこに「熱海」もありました。残念ながら、土砂災害については記載されていなかったのですが、なんとなく自分が思ってたことと一致する記述があったので引用します。

熱海市
地形概況
湯河原火山・多賀火山の急斜面が相模灘にのぞみ、錦ヶ浦など海食崖も発達する。侵食をすすめる熱海和田川や逢初川の谷底低地や網代や多賀西南方の山麓地は土石流的堆積物からなる。山腹の傾斜地にも市街地は拡大し、地形改変は進行した。
http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/e-quakes/shiraberu/higai/saigaishi/sh008.html

この太字のところ、まさに今回土砂崩れが発生した場所にもなっていますし、やっぱり元々山が崩れが多かったんだなということが伺われました。

メガソーラー?

しかし、世の中といったものは不思議なもので、ツイッターやYouTubeでは、そういったことは気にも留めず、崩壊地点の近くにあったメガソーラーを主犯と決めつけ、この事故のすべてを片付けようとしている人が出てきました。ま、なんとなく言いたいことはわかりますが、そう言ってしまうのは時期尚早だと思ったので、メガソーラー犯人説を声高に唱えてるYouTuberに反論を試みたりもしました。

ま、この動画の方がネトウヨチックな方なので、ただ政治的に煽っているかイデオロギーに嵌っているかだけだとは思いますが、私に対する反論や批判などは来ていません。なんか残念です。

調査報告

ほんで、それから時間が経つにつれ、調査報告ってのが出てきました。

7月11日の朝日新聞の記事

●今回の土石流は、火山由来と思われる土砂を多く含んでいた。京都大防災研究所の竹林洋史准教授(砂防工学)が中流部の斜面で含水率を計測したところ、50%を超えていたという。竹林さんは「足下の土砂はぬかるんでいて、水を含みやすい性質の土砂だと感じた。水はけの悪い地盤だったと考えられる。このような水を含みやすい土砂は大雨でなくても水をため込みやすく、地震でも土砂災害が起こりやすい」と解説する。
●今回の土石流は、不適切に造成された盛り土が崩れたことで破壊力が増した可能性が指摘されている
https://www.asahi.com/articles/ASP797RLKP79ULBJ00S.html


これは事故が発生してから1週間後の時点ですが、地盤が元々崩れやすかったことと、盛り土の可能性が指摘されています。メガソーラーに関しては、もしかしたら記事の後半に書いてあるかもしれませんが、有料会員しか読めないので有料会員でない私には分かりませんでした。

続いてそれから二週間ほど経った7月27日の産経新聞

●静岡県熱海市の土石流で、流出した土石流の約8割が、別の場所から搬入された盛り土とみられることが27日、県の土質調査で判明した。
●難波喬司副知事は同日の記者会見で「サンプル数が少なく、だいたいの傾向をつかむために調査を実施した」として推測の域を出ていないとの認識も示し(省略)
https://www.sankei.com/article/20210727-LMOG32KRG5PSHLSY6OM7AYHKHQ/

ここに至ると盛り土原因説が強くなっていますね。ただ、どこの土を採取するかなどで当然結果は変わるでしょうから、まだ推測の域を出ていないと注釈をつけています。

私としては、メガソーラーの影響はほぼなく、元々崩れやすい地盤だったところに大量の雨が降り注いだという側面と、不当に置かれていた盛り土が大量に流出したという側面の掛け合わせでほぼ決着がついているのだろうと思いますが、熱海市は崩落の原因究明に半年ほどかかるとしているので、それを待ちたいと思います。

熱海市の災害の歴史

さて熱海の土砂災害の歴史を調べてみましょう。といっても、ネットではめぼしい情報はないし、熱海という一地方都市の災害に関して遠く宮城県の図書館では調べようがなかったので、静岡県立中央図書館のレファレンスサービスを使いました。

そこからの回答には、昭和55年に発行された『静岡県異常気象災害誌 静岡県気象百年誌』における熱海の土砂災害事例のリストに加え、大正9年の山津波(『常春熱海』川口美雄)と昭和16年の土砂崩れ(『静岡県史 別編2 自然災害誌』)について書かれていました。後半の二つについては、こんな感じで紹介されました。

『常春熱海』川口 美雄/著(S289/カ22/)
元熱海市長の自伝です。
P12-14「四、未曾有の大災害(田方農林卒業の秋、暴風雨と山津波が襲う)」に大正九年九月三十日に暴風雨があり、多賀村(昭和12年熱海町と合併)では「山津波による山地の崩壊」があり、「田畑は土砂で埋没し」た旨の記述があります。
『静岡県史 別編2 自然災害誌』静岡県/編(S209/3-3/)
別冊付録「自然災害年表」P110に上の資料から引用した記述があります。
昭和16(1941)6.27-28 ...熱海市で土砂崩れのため1人死亡。...(『静岡県異常気象災害誌』)

そこでこの二つについて当時どう報道されたのか、当時の新聞(静岡民友新聞)のマイクロフィルム版を複写郵送してもらいました。※一部だけ掲載

↓大正9年

大正トップ

↓昭和16年

昭和二つ

また、同時に前述した『静岡県異常気象災害誌 静岡県気象百年誌』も取り寄せました。

静岡県異常気象災害誌

(太い、、これが100年の厚みか、、)

これによれば、明治13年(1880年)から昭和54年(1979年)の100年にかけて、熱海で起こった「山崩れ(他、土砂崩れや崖崩れ等も含む)」は、計38回ありました。そのときの災害で一か所しか崩落しなかったところもありますし、数十か所崩落したところもあります。また規模の大小もあるでしょうけど、それは全部一回と数えました。また数え間違いや見落としもあるかもしれません。記録されていないものもあるでしょう。

そのうち被害の大きかった土砂災害を羅列すると、
●大正9年9月29~30日(既出のもの) 
→山(がけ)くずれ 351

●昭和38年(1963)6月2~5日 
→「5日5時ごろ熱海市網代弘法崎で約300㎥の土砂が国道を20mにわたって埋め不通」

●昭和41年(1966)6月27~28日 
→山(がけ)くずれ 22 
→熱海地方では、17時5分ごろ、同市下多賀和田木桜田で、高さ約7mのがけくずれ、1むね倒壊し1名負傷。16時ころ、熱海市梅園町でも50㎥のがけくずれ、民家1むね30㎥全壊、1名負傷

●昭和41年(1966)9月25日
→1時20分ごろ、熱海市桃山台で土手が崩れ、木造二階建1むね、約100㎥がおしつぶされ、1名が生埋めとなって死亡
→0時30分ごろ、熱海市下多賀向山の、伊東線で、約400㎥の土砂崩れがあり、線路を埋めて不通となり…

●昭和43年(1968)7月5~6日
→山くずれ 12

●昭和45年(1970)6月14~16日
→山くずれ 38 伊豆山の崩壊

●昭和54年(1979)10月19日
→崖くずれ 20

と自分の判断で勝手にピックアップするとこんな感じになりました。(←素人なんで許して)

ところで、これは熱海だけ取り上げたものです。実際は静岡県全域の被害が載っているのですが、それはもうとんでもない量の多さです。そんな中で、熱海とは関係ありませんが、こんな記述もありました。

昭和33年(1958)9月26日
天城山の山崩れはよくもこく崩れたと思われるほどの山崩れの連続である。その数は四千とも五千ともいう。(省略)
この山崩れが山津波を起し、大見・狩野方面の村落を押しつぶし…

あの石川さゆりさんの『天城越え』で有名な天城山ですが、こんなに山崩れが頻発するところだったんですね。この文面からなんとなく天城山がどんな形状しているか想像がつき、歌の理解も深まった気がしました。

と、このように静岡県は元々火山性の強いところですし、夏になれば台風が通るし、全国の他の地域と比べても土砂災害が起こりやすい地域なのだと推測します。その中で100年間で38回土砂崩れがあった熱海は、これでも静岡県のその他の地域と比べると少ない印象を覚えましたが、基本的に土砂災害が起きやすい性質は変わらないように感じました。

ということで。

あ、そうそう、最後に静岡県が義援金を募っていたのでそのリンクを貼っておきます。
https://www.pref.shizuoka.jp/kousei/ko-110/chifuku/202107ooamesaigaishizuokakengiennkin.html

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