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10年目に突入、バセドウ病と私②~留学と再発~

久しぶりになってしまいました。

この季節はバセドウ病患者にとっては少し辛いですよね。
統計的にバセドウ病は夏に悪化することが多いそうです。原因は不明。by主治医
自分も昨年悪化したときは真夏でした。何も気にせず夏を思い切り楽しめるようになりたいこの頃です。

前回は、病気が発覚したにも関わらず、9か月の米留学を決意したところまで書きました。

さて、大学3年生になり、病気は相変わらず薬でコントロールする生活。前述しましたが、「薬を飲めばなんともない病気だ」と思い切り軽視していて、留学を決行します。怖いもの知らずです、大学生。

2015年8月に渡米。アメリカでのキャンパスライフが始まりました。単位互換制度で、英語を学ぶというよりは現地の学生と一緒に授業を受けて単位を取得しなければいけない、今思えば少しハードなプログラムでした。幸いにもキャンパス近くに総合病院があり、留学中はそこで定期検査を受けることができました。結論から言うと、留学期間中、数値的にはこの定期検査と薬の調整のおかげでなんとか安定を保ちました。(正常値からは少し外れていた気はします)。ただし、日本の医者とアメリカの医者では薬の処方に関する方針が違い、「この数値だと薬を2倍にした方がいい」と言われたときは困惑しました。日本での処方と異なると思い、一旦保留にして日本の主治医に報告をすると、アメリカではそもそもバセドウ病患者の絶対数が少ないのと体形が違うからそういうアドバイスになったのだ、と。国をまたいだこういう連携も必要でした。

留学中一番辛かったのは、ちょっとでも体調が悪くなると、「病気悪化したかな」と不安の海を泳いでいたことです。①にも書きましたが、病気の影響もあってかメンタルがなかなか不安定で、異なる環境や授業についていくことも相まって、身心共にギリギリでした。正直、当時の自分には留学をエンジョイする余裕がありませんでした。それでも、自分なりにベストを尽くして最後まで頑張ったことはいい思い出です。当時のルームメイトとは今でも仲良し。

余談:アメリカの血液検査は面白い。採決をする部屋では音楽がガンガンかかっていて、検査技師はリズムにノリながら"Next, 〇〇!"と歌いながら名前を呼ぶ。こんな感じで大丈夫かなという不安をよそに、採血はめちゃ上手ww

帰国後も、数値は薬で安定させているものの、やはりメンタル面が厄介でした。過眠傾向だったり、情緒不安定だったり。バセドウ病との関連ははっきりとは言えないですが、昨年伊藤病院*で病気とメンタル面との関係について質問した際、「バセドウ病患者はホルモンが動くので、メンタルの疾患にもなりやすい」と回答をもらいました。発症10年目にして、なんとなく察しがついていたものが確信に変わった瞬間でした。あぁやっぱり、と。もちろん、個人差がかなりある話だと思います。バセドウ病患者の中にはメンタル面の症状が全くない人もいます。でも、ある人の方が多いのではないかと、個人的には周りの罹患者やSNSを見てて感じています。ツイッターでは約100人の罹患者と繋がっていますが、なんらかのメンタル疾患を併発している人も多いです。
バセドウ病の発症がストレスによる影響が強いという有力な説を元にすれば、自分の場合は、両方が悪く相互作用し合ってきたんじゃないかなと思います。鶏が先か、卵が先か論争に似ていて、メンタルが落ちればバセドウ病の悪化要因に、その逆もまた然り。ここに、バセドウ病がちょっとしたホルモンの変動なんてものではなく、がっつり厄介な「病」たる所以があると思っています。

*伊藤病院:関東最大級の甲状腺疾患の専門病院。

少し厄介な話になってしまいましたね。

先のような体調の中、帰国後は残った単位を消化し、就活もし、卒論もなんとか書き上げ、無事卒業。途中半年の休学措置を取ったので5年かけました。闘病しながら、嵐のような大学生活でした。当時は複雑な心境でしたが、今振り返れば自分なりにベストを尽くして頑張ったと思います。

2018年4月、新卒で金融機関に就職。4年間働くのですが、ここでもまた病気との縁は切れませんでした。最初の3-4ヵ月、とにかく新しい環境と仕事に慣れず、サザエさん症候群を発症しながらなんとか食らいつくような日々。比例するように、数値も悪化。この病気、ストレスは大敵です。薬を調整しながら苦しい時期を乗り越えました。秋になると仕事にも慣れ、同僚とも距離が縮まり、少し心に余裕が生まれました。ここから2年は安定期。数値も落ち着き、薬がなくなるまでに回復。アフターファイブを楽しみ、華金は毎週のように同僚と外食、習い事を始め恋愛をし。もう治ったんだ、と思ったほどでした。そうして病気を忘れた頃に、嵐がやってきました。2020年初頭、コロナ勃発、と共に3月にチーム異動が下りました。当時はコロナに対する知識も浅く、感染を恐れて定期健診を半年くらい先延ばしにしていたのでした。そこにチーム異動時のストレスがかかり、薬をやめていたことも仇となり、ボーン。気づいたときには、数値は測定不能の振り切れ状態に逆戻り。やっちまったのでした。当時を振り返って、私をよく知る職場の先輩は、「顔が黄色で、明らかにおかしかった」そう。青じゃないところが怖い。

続くー