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10年目に突入、バセドウ病と私④〜完〜

いよいよ、最終回になります。

こんな不定期な更新にも関わらず、フォローしていただき感謝です🙏

最近はといいますと、昨年10月、ベンチャー企業は会社の事情で契約更新ならず…その後派遣で大手銀行に再就職をし、人間関係含め、恵まれた環境で働いています。

週3で働く傍ら、キャリアアップを狙って英語の勉強に勤しんでいます。

病気の状態も良好。普段生活していて、バセドウ病を意識する瞬間がほとんどなくなりました。先週の血液検査ではTrab抗体値だけが異常値で、10。あと8下がれば、全て正常値というところまできました。登山でいうと、9号目といったところでしょうか⛰️気を抜かずに登頂してみせます。

バセドウ病でも、適切に治療すればこんな充実した生活が送れるようになります🌞あとは信心…(1本前の記事参照)

さて、前回は部署異動後の苦労をなんとか乗り越えて、内内栄転が決まったところまで書きました。

投資部門の契約を担う部署、社内でも中枢の「フロント」と言われる役割で、且つ「人がいい、残業がない」とかなり評判がいい部署でした。実際に公に異動が発表された時、複数人に「羨ましい」、中には「本当は自分が狙ってた」と悔しさを吐かれたりもしました。

そんな部署に入社4年目の自分が行くことになる、しかも異例の形で…

今思うと嬉しさと同時にどこかで「失敗できない」という不安を抱えていました。このプレッシャーが後に落とし穴となることとは知らずに。

2021年4月1日。そんな気持ちで迎えた着任初日。恥ずかしい話ですが、部長に初任の挨拶をする際、自分の名前を名乗るのを忘れたほど、ど緊張していました。

そんなスタート、新しい人と仕事に慣れるのに大変だったことは言うまでもありません。確かにコロナ禍でテレワークが導入されてまだ日が浅く、テレワーク中の上司とのコミュニケーションに苦労したり、慣れないミーティングで発言をしなければならなかったりで、心の負荷がかかったのは確かでしたが、今思えば自分が勝手に作り上げたプレッシャーで心身共にエネルギーを削いでしまっていたのでした。

仕事を覚えるために完璧にノートを取りたかったし、誰も指示していないのに復習のために自ら残業していた。誰からの圧もなかったし、仕事の難易度や量的にも無理があった訳ではなかった。
今でも覚えている、5/13、ついに身体がついていかなくなり、部署異動して初めて仕事を休みました。

「こんな恵まれた環境で潰れてどうする」

この時点で身体は悲鳴をあげていた訳ですが、そんな焦りとプライドが更に自分を追い込み、翌日からも身体の不調に蓋をして、無理をして働き続けました。

でも当然、身体がついていかない。

休む日が増え、6月の初頭、会社に行けなくなりました。

1度目の休職をしていたので、すぐにかかりつけ医へ。しかし、血液検査の結果は、意外にもほぼ正常値。医師は「この数値で調子が悪いということは考えにくい」と。もう薄々気づいていたけど、もう一つの可能性を考えるのを避けていました。

そう、この時は極度の疲れから鬱を発症していたのでした。

重い足取りで心療内科へ。
その後1年ほどお世話になる女医さんに、
「症状が揃ってますね、軽度の鬱です」と診断が下り、最終的に4ヵ月休むことになりました。

このとき、キャリアについても迷いがあったため、4ヵ月の間は退職や転職を考えましたが、段々と元気が戻ってきて「勤めながら夢のために勉強を続ける」という結論を出し、「よしまたここから」と職場復帰をした10月。

今度は、仕事が与えられなくなりました。意地悪やパワハラではなく、「オーバーワークをさせてしまった」という上司や周囲の誤認識と配慮からでした。約7時間半、1日ほとんどやることがなかったこともありました。このとき、率直に相談すればよかったのですが、復帰してすぐに自ら仕事を増やし、身体に負荷をかける自信もなかった。何かしらやることを見つけて取り組んでいたものの、「何のためにここに勤めているんだろう」と悩みが膨らみ、体調は逆戻り。

そんな生活を3ヵ月送った頃、2022年1月、忍耐の糸がプツッと切れたのでした。

再び心療内科の診断書を提出し、ひとまず休職。もう自分の中で答えは出ていましたが、「退職をする」、そう決めたら心が一気に軽くなり、3月に退職。

これが私の、3度休職したストーリーの全貌です。

いや、自慢げに言うなってね。

鬱発症の話でバセドウ病から少しズレました。

3度目のバセドウ病再発は退職後、コロナ禍の夏。まさにコロナに感染したときでした。これも酷かった。数値はあっという間に悪化。コロナは既往症がある人は気をつけなければならないと言われていましたが、バセドウ病はそのリストには入っていなかった。「自分の身は自分で守る」大切さを実感した出来事でした。

これ以降は、悪化もなく順調に回復中。

"山頂"まであともう一歩です。

最後に。

根本的な原因が未だに解明されていない複雑で厄介な病気、
すぐには命に関わらないために、実はあまり研究が進んでいない病気、
世界中でたくさんの人が苦しんでいる病気。

心底憎くて嫌いだけど、私はこの病気がなかったら、得られなかったこともたくさんあります。

発症から約10年を経て、ありがたいことに健康を取り戻した今は、「当事者として、同じように苦しんでいる人の役に立つ」、そんな使命を果たしたいと心から思っています。

このブログが、少しでも誰かの何かの役に立たことを願ってー。

完。

2024.2.27