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10年目に突入、バセドウ病と私①~発病~

こんにちは。

いつか、バセドウ病について文章を書きたいと思っていました。この約10年、3度の再発とバセドウ病による(これは諸説ありますが)精神症状を経験。

自分の経験が、情報が、同じ病気の人の役に少しでも立てれば幸いです。

思い当たるままに書いているので、構成や文章が稚拙な部分があると思います、ご容赦ください。

最初に、バセドウ病の定義から。

ググって1番上に出てきたのが分かりやすかったので貼ってみます。

【バセドウ病とは、甲状腺から分泌される甲状腺ホルモンが多くなりすぎてしまうことにより、体重減少や脈が速くなる頻脈など全身にさまざまな症状が現れる病気です。
甲状腺とは喉仏の下にある臓器で、新陳代謝を活発にする甲状腺ホルモンを分泌するはたらきがあります。
バセドウ病の主な原因は、免疫に異常が生じて自らの甲状腺を攻撃するタンパク質(抗体)が体内で作られてしまうことです。作られた抗体が甲状腺を刺激することで甲状腺ホルモンが過剰に分泌されます。なぜこの抗体が作られるのかはまだ分かっていませんが、体質のほか疲れやストレス、妊娠などが関係しているといわれています。】

発端から。

2014年6/22、当時大学2年生。
皮肉にも診断が下ったのは母の誕生日でした。

当時、異常な発汗、電車で立っていられない、よく眠るようになる、階段を登るのがすごく辛い、目の疲れ、頭痛がありました。

覚えてるのは、

映画を見ていても目が痛くて最後まで見れない、大学の階段1階分を途中で休まないと上がれない、授業が終わって立ったら椅子が汗でびっしょり、電車で常に座りたい気分になる、寝てると頭がかち割れそうに痛くなる

今思えば明らかにバセドウ病の症状ですが、どれも疲れていればあり得るようなことと思っていて、あまり気に留めていませんでした。そんな中、母はいち早く気づいていて、「最近目もちょっと形が違ってきた」と症状をググったところ、バセドウ病がヒット。

病院で診断がくだり、投薬がスタートしました。母のおかげで重症化を免れたなと思っています、最悪の誕生日にしてごめんね。

当時メルカゾール3錠、ヨウ化カリウム1錠からスタート。

1番ショックだったのは眼症でした。この先眼症がひどくなったら、と塞ぎ込みました。幸い、発症当時より酷くなることはなく、今は当時より眼症と友達になれている気がします。手術したいなと思いつつ、今は定期検診に通いながら様子見です。

もう9年前なので詳細に思い出せませんが、1ヶ月ほどで症状は改善。当時の自分は病気に対する認識が甘く、「なんだ、薬飲めば何事もなかったようになるんだ」と軽く見ていました。が、ここからが暗いトンネルの始まりでした。

病気のせいでサークルは辞めてしまいましたが、投薬で症状が軽くなったことで大学も休学することなく通い続けました。今思えばバセドウ病患者として無謀なのですが、兼ねてからの目標だったアメリカ留学を決意。この時は病気の認識が甘かったので、「現地で薬を飲んでいればなんとかなるだろう」という考えで、冬に行われた選考に通り、3年次の夏に出発しました。

でもこの間にも、バセドウ病の症状は抑えられているものの、精神的に不安定な日々だったことを記憶しています。あまり症状を詳しく思い出せないのですが、落ち込みや不安定さがあり、心療内科に通って服薬もしていました。そんな状態の人が留学に行くなよと今では思いますが😦笑

ここで、原因について。

振り返って思い当たるのは高校2年辺りから溜めていたストレスだと分析しています。友人関係、自分の性格、思春期特有の悩みでもあったのですが、当時学校生活に対して相当なストレスを溜めていました。しかし、目の前に迫る受験、不登校になったら…という不安から頑張って無理して学校に行っていました。部活も朝練、放課後と真面目に完璧にこなしていました。卒業後も、悩みは変わらず、むしろ大学というもっと開放的な場で、元々持っていた悩みが増大、ストレスを溜めすぎた結果の発症だと思っています。バセドウ病は「原因不明」で、遺伝や体質も関わるみたいなので、あくまで予想ですが。

続くー