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ここにいるということ
こんにちは、ココです。
投稿が少し空いてしまいましたが、みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私はしばらく海外にいたのですが、帰国したら桜が咲いていて、とても暖かな気候に嬉しい気持ちになりました。
さて、先日谷川さんとASKAさんの対談をYouTubeで拝見しました。(https://youtu.be/LZRHmnoWVmA)
その際、谷川さんは「詩よりも音楽の方が上だと思っている」と仰っています。
理由は、「音楽には意味がないから」。
谷川さんはただそこにあること、存在することに価値があると言っているんですね。
この考え方にわたしはとても救われました。
生きる意味を探していたわたしにとって、意味ではなく存在が大切なのだと、いくつもの詞で思わせてくれたからです。
今日ご紹介したい谷川さんの詩は、詩集『ぼくは ぼく』の中の、「いる」です。
「いる」
ぼくはしてる
なにかをしてる
でもそれよりまえにぼくはいる
ここにいる
ねむっていてもぼくはいる
ぼんやりしててもぼくはいる
なにもしてなくたってぼくはいる どこかに
きはたってるだけでなにもしてない
さかなはおよいでるだけでなにもしてない
こどもはあそんでるだけでなにもしてない
でもみんないきて「いる」
だれかがどこかにいるのっていいね
たとえとおくにはなれていても
いるんだ いてくれるんだ
とおもうだけでたのしくなる
この詩に出逢えた時の気持ちは忘れられません。
これこそ、谷川さんの詩に多く共通する「存在」について、まっすぐ表現されている詩だと感じました。
桜が咲いて「いる」こともそうです。
ただそこに桜があるだけでとてもうれしいのです。
わたしが生きて「いる」
あなたが生きて「いる」
当たり前ではない存在に、愛おしさを感じる日々です。
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