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月子と太一 11🔚

 婚姻届を提出してから式場へ向かうという月子たちに付いて、月子の母も市役所へと向かうタクシーに同行した。

 届出を出し、苗字が変わったら見る景色も映る世界も変わるのかと期待していた月子は、市役所を出て外の空気を吸っても、何の感慨も湧かない自分にガッカリした。
 式場へ向かうタクシーの中、窓から見える街路樹の緑も、青々と晴れた空にポッカリとひとつだけ浮かんだ雲を見ても、さっきと変わらない重みで月子の中に浸透していく。

 今日から太一と同じ苗字になったんだなぁなどと自分を盛り上げてみても、それはただの現実であり、別段月子を昂らせはしなかった。

 式場に着き、太一と別々の控室に案内される中、月子の母は忙しなく汗を拭きながら、お父さんちゃんとこれるかしら。太一さんのご両親はもういらっしゃってるの?月子の返事を待つと言うよりも、独り言に近い質問を矢継ぎ早にする。
 母も自分以上に緊張し、そして喜んでいるのが伝わると、月子も思いの外嬉しくなった。

 控室に着き中へ入ると、奥にその日月子が着るウェディングドレスの裾が見えた。
 奥へと進みドレスを目にすると、月子は驚きのあまり声も出せずに目を見開いた。

「…これ…」
「太一さんがね、月ちゃんを喜ばせたいから絶対内緒にしてくれって」
 やっとのことで声を出した月子に、母が得意げにそう言った。

 そこにあったのは、月子が親孝行だと思って決めたお花フリフリのドレスではなかった。
 月子が以前雑誌を眺めているときに着たいと溢していた人気モデルプロデュースのシンプルで垢抜けたドレスが、そこに悠然と佇んでいた。

 そんな事は月子自身も忘れていたというのに、太一がどういう経緯でこのドレスを手配しここにあるのか、嬉しさや感動よりも、またやられた。という表現がしっくりとくる思いだった。

「大変だったのよ、太一さん。このドレス用意するためにあちこち交渉して…私ったら何度も月ちゃんに言いそうになっちゃって」
 今まで黙っていた分を取り戻すかのように母が喋り倒すのを聞きながら、沸々と笑いが込み上げ、下を向いて笑っている月子を、感激のあまり泣いているのだと勘違いした母が、ハンカチで口元を抑え月子の背中をさすった。
 その様子がおかしく、さらに笑おうとしたが、思いがけずに月子も貰い泣きし、結果結婚式の朝に相応しく、親子2人で抱き合って泣いた。

 控室の扉を開くと、ロビーでタキシード姿の太一が窓の外を眺めていた。

 ドアの開く音に、ゆっくり振り返り、ドレス姿の月子を見ると、満足そうに微笑み
「似合うね。どうしたのそのドレス」
と、子どものようなイタズラ顔で太一は言った。
「神様からの贈り物みたい。」
月子はできるだけ単調に聴こえるように応えたかったが、意に反して声が高揚してしまった。

 さらに満足そうに、ふーん。よかったね。と笑う太一の腕を取り、月子たちは介添人に連れられ会場の扉の前へ立った。

 中から聞こえてくる司会者の挨拶を耳にしながら、月子は目の前の扉を見つめたまま太一に問いかけた。

「ねえ。なんでアタシなの。他にいっぱいイイ女いるじゃん。」

 ゆっくりとこちらに顔を向ける太一を横目で捉えながら、月子は太一の答えを待った。

「仕方ないだろ。俺も元彼みたいに、月子がめちゃくちゃになるくらい愛されてみたいって、思っちゃったんだから。」
 思わず太一の顔を見る月子に、ニカッと笑ってさらに太一は言葉を重ねた。

「知らなかった?俺ってロマンチストだから。

…愛してるよ月子。」

 ロマンチストのくせにシャイな太一のその言葉は、多分一生に一度のサプライズだろうと思った。

 きっと、気の遠くなるほどの長い時間を共にした最期の瞬間も、同じ言葉を言って、たちまち自分を幸福に包み込むに違いない。

 月子は自分のこの先の一生が終わりまで見えた気がした。

 甘く、退屈によく似た、幸福に包まれた一生を。

「毎日言ってよね。」

月子は憎まれ口を叩きながら、ハネムーンから戻ったら、携帯の番号を変えに行こう。と密かに決心していた。

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