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相手に期待するのではなく、自分の意図を途切らせないようにする

期待は落胆の母である。

相手の言動が自分好みに変わるよういくら期待しても、

落胆を生む結果となる。

しかし相手は、

「こんな時くらい」と切望する時でさえも

自分の望むようには動いてくれない。

ところが人は、

自分の貴重なパワーのほとんどを、

落胆の母である「期待」に費やしているのではないだろうか。

もっと強い口調で凄めば相手はひるがえる。

もっと悲壮感あふれる表情で訴えれば相手を繋ぎ止められる。

もっと努力している姿を見せれば相手は自分を敬う。

もっと結果を出せば相手からの注目を集められる…。

果てしなく、報われない望みに

人生の大事な時間と労力を使うことをやめるには、

まずはここ、

「相手は自分の期待に応えない」

ことを徹底的に落とし込むことだ。

こちらがどんなに親切に振舞っても冷たい相手は冷たい。

こちらがどんなに騒いでも無関心な人は振り向かせられない。

これができるようになると、

残念で寂しい思いと同時に、

何とも言えない解放感と自由さを感じられる。


一方で、

自分以外の誰かに何かを臨むときは、

自分の意図とイメージ力で

相手に対する自分の思いを途切らせないことだ。

あくまでも、

自分の責任として。

もしも

自分が望んだように相手や状況が変わらなければそれは、

自分の意図が弱かったからだ。

そしてこれは、

相手に期待するのとは全く違う。

自分で意図するのだ。

自己完結、自己責任で。

私はスピリチュアルに傾倒しているわけではないが、

この、「意図」の強さは、

状況を買える力があると肌感覚で理解している。

まるで「意図=糸」のように、

プツンと切れてしまえば、

自分の描いた世界を動かす力も

途切れてしまう。

誰かと出会うのも「意図=糸」の力だし、

毎日帰り着く家も「意図=糸」の力で

呼び寄せたのだ。自分が見ている現実世界は全て、

この「意図」が働いた結果なのだ。





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