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カール5世が語ったといわれる「私は女性とはイタリア語を、男性とはフランス語を話し、馬と話すには高地ドイツ語を、神と話すにはスペイン語を用いる」について。

9月17日(金)の朝日新聞夕刊で連載中の『ガリバー旅行記 第4部  フウイヌム国渡航記(柴田元幸訳)』を読んでいたら、神聖ローマ帝国皇帝カール5世(1500~58)が語ったといわれる「私は女性とはイタリア語を、男性とはフランス語を話し、馬と話すには高地ドイツ語(標準的なドイツ語)を、神と話すにはスペイン語を用いる(※原田範行・慶応大学教授監修注釈より引用)」という言葉の一部が出て来た。

私は、『ガリバー旅行記』を読むのが初めての上、カール5世についても詳しくないので、これでは何のことやら分からなかった。

ネットで検索してみたところ、2013年6月29日(土)に、朝日カルチャーセンター講座「神聖ローマ帝国とハプスブルク」(講師:皆川卓先生)を受講された方が、大体の意味を書いて下さっていた。

著作権侵害を避けるため、詳しい内容をお知りになりたい方は、この方、よしひこさんのブログを読んで頂きたいのだが、

この方のブログも含め、主にWikipediaで得られた情報を元に、私なりにまとめてみたい。


「女性とはイタリア語を」というのは、

イタリアの宮廷内で女性の力は非常に強かった。

ためらしい。

「男性とはフランス語を」

ネーデルラント(今日のオランダ,ベルギー,ルクセンブルク3国(ベネルクス)および北フランスの一部を含む地域全体を指す呼称)で生まれたカール5世の母語はフランス語。

そして権力者は、大体男性ですね。

「馬と話すには高地ドイツ語を」

馬に話しかけるということは、馬の周りにいる人々、つまり兵士に語り聞かせるということ。

「神と話すにはスペイン語を」

スペインは教会権力がとても強かった。

どうも、それぞれの立場にいる人々にあわせた言葉を話すということらしいのだが、私は、子ども時代、父親に、「お百姓さんと話すときはお百姓さんと話すように、お殿様と話すときはお殿様と話すようにしなさい」と言われていたことを思い出した。(※立場によって、態度を変えるということではありません。)

それはさておき、カール5世が実際どうだったのか?というと、Wikipediaによると、

カール5世が不自由なく完璧に話すことができたのは、母語のフランス語のほかは、スペイン統治者として本格的に学習・使用したスペイン語くらいであった。ドイツ語とイタリア語については完全ではなく、ラテン語も話せたが不十分であった。

らしい。

※冒頭に、「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。」と書かれているが、この部分には出典が書かれていたので、引用させて頂いた。



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