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新しい価値を考える前に、スナックの価値を考えてみる。「弱さ」と「不完全さ」があっていい場所とは

緊急事態宣言が延長され、「新しい生活様式」や「withコロナ時代にすべきこと」が謳われています。生活や消費活動が変化していくと新しい方式を探しがちですが、スナックという場を通して、改めて人が集ってきた場所や築いてきた関係性の価値について考えてみます。

スナックへ行ったことがない人は、行きつけの小料理屋や飲み屋があったらそれを思い浮かべるといいかもしれません。一時は「第三の場所」として家でも会社でもないいわゆるサードプレイスがコミュニティづくりの軸と言われており、「依存先を増やす」という表現がよく使われていました。

仕事で疲れた帰り道、まっすぐ家に返っても誰もいない。一人でしっぽり飲むのもいいけど、ちょっと人恋しいときに向かいたくなったり。小洒落たバルより下町感のあったかい落ち着きを求めに行ったり。はじめて会ったのに予想外の距離感で話しかけてくれる身元不明の愉快な人たちとの、またとない一夜を過ごしたり。

はっきりとした目的は持たないけどちょっとした拠り所になる「居場所」や「逃げ場」になっていて、完璧なホスピタリティを求めないスタンスは人情味があり、その居心地のよさがお客を離さないのでしょう。

今回は日本橋CONNECTの話よりは、概念としての「スナック」のよさを考えてみようと思います。

スナックのママが放っておかなかった女の子

とあるイベントで仲良くなった、上京したてでデザインの学校に通う女の子の話です。久しぶりに会うと最近まったく学校にいっておらず、バイトもしないでフラフラしてるといいます。昼夜逆転してるんですよ〜とヘラっと笑って話す彼女になにしてるの?と聞くと、「スナックにいます」とまたヘラっと返された。

どうやら面倒をみてくれるママがいるらしい。街を歩いていると急に声かけられ、ママの愚痴や話を永遠に聞きながらおじさんたちと朝まで飲むような毎日を過ごしているみたいでした。トーキョーでそんなドラマみたいな出来事があるのかと驚いたものの、どこか私はほっとしました。上京したてで学校にもなじめず家族とも上手くいってない彼女は、ママのおせっかいによりスナックが一つの居場所になってたのではないかと思ったからです。

当時はなんか大人がかまってくるなーと思うだけかもしれないけど、きっと数年後彼女はその存在に救われていたことに気づくんじゃないかな…その後彼女とは会えていないのですが、スナックと聞くと思い出す女の子のひとりです。

スナックのフラットさとアットホームさ

何を感じてママは彼女を捕まえたのかはわからないけど、フラフラした若い女の子を放っておかず(そして強引な)ところにママっぽさを感じます。

まずスナックにいる人のよさは「フラットな関係性」にあります。肩書きや年齢も関係なく、お客さん同士が上下関係なく接することができ、その気楽さが居心地につながっているのだと思います。

日頃上下関係のある人間社会に生きていると、目上の人へ気を使ったり、後輩に対しては責任を持たないといけない立場があります。そういった「役割」から外れ、フラットな関係性でお酒やおしゃべりを楽しめるのがよさなのだと思います。

またお店にもよるのかもしれませんが、一見さんや若い人にとって常連さんがポジションをとらないことも重要です。ママとの付き合いが長く、昔からのお客さんだけが居心地を享受していると新しい人は入りにくくなります。

もちろん10年20年とお店を経営し常連さんのみで成り立っているお店もありますが、はじめましての人を受け入れてくれるアットホームさが「迎えてくれる」という安心につながり、ふとした時に立ち寄りたくなるのでしょう。

一方日本橋CONNECTでいえば、お店を開いて間もなくママの人脈もそれぞれなので、どちらかというと流動的です。独自のよさといえば新規でもなじみやすい点や、日替わりママの集客により客層が広く人の接点が増えることが古くからのスナックとは違った特徴なのではないかと思います。ソーシャルバー的な温度感はありますね。

ダメな部分を受け入れる居場所

そして「フラットな関係性」「アットホームさ」に加えて、「お店の不完全さ」も顧客がつく理由だと言われます。SHOWROOMの前田裕二さんがサービスの着想をスナックから得た話は有名ですが、いわゆる「余白」をつくることによって見ている側を「応援したい」、「協力したい」という気持ちにさせるのです。

しかしこれは戦略的につくるものではなく、ママの人柄にもよるはず。お酒の分量がバラバラだったり、洗い物がたまってたり、おつまみも乾き物で済ませたり、一見「大丈夫なの!?」と思ってしまうような接客でも、つい手伝いたくなるダメさに人間味を感じ、放っておけなくなるのがよさ…と言えるらしいです…(自分で言っていていたたまれなくなってきた)。

私もよくお酒をまちがえたり忘れてしまうこともあるしこんな堂々と書く内容ではないですね。ゆるして…

むしろお客さんの人間味があるからこそ場所が成り立ってるのだと思います。役割や肩書に疲れたときに受け入れてくれる場所は、人の弱さを受け止め、許しあいながら共存しているからです。どんなにママがすてきでも、その愛を受け止めるお客さんがいないとお店は続きません。

やはり人間味が飲み屋の一番の魅力であり、私も好きなところであり、お店に立っている理由の一つです。

人間のダメな部分があってよしとされるやさしい場所が、これからどんな形に変わるべきなのか、それとも変わらずいられるのか。こういった場所は意図的には作られず、価値のほとんどが人格や情で形成されています。

生活や消費が変化していく今、これまで無意識に享受していた価値を見直してみると、ほんとうに自分が使いたい時間が見えてくる気がします。

これからも生産的でない時間やダサい姿を許し、人びとが共存しあっていく場所がなくならないことを祈って。

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