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こころの病みを抱えた者の独白

 この文章は。ひとえに個人的なことです。他の人に向けての表出ではありません。ただ、「表出する行為そのもの」が、今の自分に有益だと考えたので、ここに記すことにしました。

経緯

 私は長らくこころを病んでおりました。10年以上。原因は不本意就業。そこからくるさまざまな不快を、抑圧し続け、限界に達してしまったのでした。結果医療機関に相談、服薬。

 そうしている間、幸か不幸か(結果としては大いに幸会社で仕訳けられ、職場のレイアウト変更に伴う、私物の梱包と開梱を除いて、余人をもって代えがたい仕事はなくなりました。会社にとって、私が取るに足らない存在であるとの同じ、いやいやそれ以上に、私にとって、会社やら仕事もどうでもいいことなりました。

 続いて未曾有の世界的災難“コロナ”。これで会社に行かなくてもよくなり、私の容態はどんどん良くなっていきました。自分のことだけでいえば、コロナ様様なんです。

服薬中止とその後

 そしてついに昨年定年。会社との距離が明確にでき、(性根や性格と同じくらい)曲がった鼻の手術も終え、リボーンではありませんが、そろそろ服薬(治療)終了を決断したのでした。

 ず~っと身体の中をめぐっていた薬の成分が消えることにより、身体がびっくりして、離脱症状というものが発生します。加えて、こころに作用する薬だっただけに、長らく鳴りを潜めていた、ものの感じ方や受け止め方、表し方も戻ってくるのです。これが、自分にとって良かったり、悪かったり。やっぱりつらい。結果また薬飲み始めようかとなってしまうケースはよくあるようです。

 私はまた薬を飲み続けるのは避けたかったので、昔の自分を受け入れることを選び、(その昔の自分と)だんだんとうまく付き合えるようになってきたところだったのです。

容態の変化!!

 ところが、御しがたいほどの不機嫌が襲ってきました。なぜそこまで自分が不機嫌なのかわからないけど、とにかく不機嫌。これをそのまま周りにぶつけたら、その瞬間は間違いなく スッキリ したかもしれません。でも、本当にそんなことをしたら、周りも自分も傷つけるだけ。禍根請け合い。
 そうはいっても、爆発する感情に任せて、それを開放すべく極端な言動をしたくてしたくてたまらないのです。でも、円満な社会生活のためには、抑えつけなければなりません。結果、よそ様を巻き込まないために、自暴自棄になってどうにかやり過ごしているのです。

 しかしながら、なぜそうなったか数日後自覚しました。その昔、私にとってとても許しがたかったことを思い出させるような事態に、立て続けに遭遇していたのです。それで、10年以上、こころの奥底で、薬の力を借りながらも眠らせていた闇の部分が、見事ピンポイントで突かれてしまったという次第でした。

 きっかけとなったことについては、それが何であって、何でどうしてなのか、明確に自覚するに至りました。自覚はできても、やっぱり「何か」が断続的に襲ってくるのです。でも、自覚ができた以上時間がたてばいずれは乗り越えられると考えました。時間 = 薬

現在そしてこれから

 治療が長年にわたっているので、いいか悪いかわかりませんが、その時の症状に合わせた薬が複数各種手元に残っているのです。それを適宜飲みながら、時間を稼ぎましょう。
 ところで、薬というものは実際に効くのです。その分、副作用も必須。よって、一日〇回服用となっていても、副作用を避けるため、状況によっては飲まないこともありました。こういう時こそ、残っている薬の活用ですよ。
 医師・薬剤師先生におきましては、そんな服用止めなさい!かもしれませんが、私がお金を払って手にしたもの。かつ自分の身体をもって、飲んだらどうなるか経験したことをもとにした行動。自己責任なんだからいいだろ。

 次回通院日は月末。それまでに、薬数珠つなぎで極端な状態を抑えながら、何とか制御できるところまで持っていける(めでたく服薬再開せず)か、やっぱりもうしばらくの間、服薬再開か。もやもやしながらも、自分の状態を客観すべく、文章をおこした次第です。


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