見出し画像

『今日でなくてもいい』

そう言えば、九十七歳の友達の母親が、「洋子さん、私もう充分生きたわ、いつお迎えが来てもいい。でも今日でなくてもいい」と言ったっけ。
(略)
いつ死ぬかわからぬが、今は生きている。生きているうちは、生きていくより外はない。生きるってなんだ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出来たらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。この日本で。

『佐野洋子エッセイコレクション 今日でなくてもいい』


佐野洋子(以下ヨーコさん)のエッセイを初めて読んだのは、2015年頃で、すでにヨーコさんは亡くなっていた。最初に本屋さんでパラパラ立ち読みをしたとき(たぶん『問題があります』だった)、ストレートな物言い(というか口が悪い)でギョッとしたのを覚えている。何この人?変わった人・・という印象だった。でもそんなヨーコさんの文章がすぐに好きになった。
ヨーコさんは日常を淡々とした口調で語る。戦後に壮絶な生活を強いられたり、身内がどんどん亡くなっても、自分がガンで余命宣告された時のことですら、感傷的に語らない。どこか他人事のように淡々と語る。人生はこんなもんだよな、と割り切っている。たぶん私はそこに憧れている。あと、人の何気ない面白い一言や、一面を発見する能力に秀でていて、意地悪だなーと思いつつも笑ってしまうし、その観察力、言語化能力にまた憧れる。
他の作品も定期的に読み返して、生きるってこんなもんだよな、でも変わった人や出来事があってなんか面白いよな、と再確認したい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?