見出し画像

メニカンbiweekly#5 短編について2 - それなりのまとまり -

執筆:寺田慎平

圧倒的な現実の波を見据えながらも批評とは、各建築に託された使命を読み取り、その言葉を未来へ届ける行為であり、おのずとモラルを掬うべき岸辺に立つのだ。
(松山巌「モラルなんて知らないとうそぶく前に」)

本に触れ合う時間が少なくなってきた自分への処方箋として、短編集を手にとるようになったわけですが、この夏は現場もはじまり、短編でさえもなかなか手をだせずにいます。
それでもゆっくりと読み進めながら、かばんのなかでぼろぼろになりつつあるのは『ポストコロナのSF』(早川書房、2021年)という短編集です。マスク・オンラインイベント・接触の忌避など、現実にありふれてしまっているモチーフを、SFというフォーマットで展開させると、もちろん現実は切実なわけですが、嘘か実かなんだかわからなくなるような浮遊感と、少し気持ちが楽になるような、すくいを通勤時間に感じています。

それから、ふと立ち寄った八重洲ブックセンターの片隅でみつけた『建築批評 草版』(西田書店、2006年)も、ある種の短編集とよべるかもしれません。この本は松山巌さんの藝大での授業「特論第6・建築計画Ⅱ」(2005年度)の成果物であり、当時大学院生であった11人がそれぞれ選んだ建築・空間に関する批評が並べられています。批評といってもどの文章も読みやすく、魅力的なので、どんな授業だったのかとても興味が湧きます。また何人か名前を知っている人のテキストもあり、その方々の学生時代のテキストを読むというのは、なんだかあまりみてはいけないものをこっそり覗き込んでいるような感覚もうまれます。あわせて冒頭の松山巌さんによるたった1ページだけのテキスト「モラルなんて知らないとうそぶく前に」も、迫力があり、これを読むことができただけでも発見した価値のある本でした。

ちなみにこの『建築批評』、シリーズ化されていて、草版のほかにも土版(2007年)や窓版(2005年)、風版(2004年)、黒版(2003年)と、いくつかあるみたいなので、見つけたらぜひ手にとってみてください。

* * *

最後に、ある小説の冒頭に引用されていた、フランツ・カフカの短編「家父の気がかり」の一節を。

たしかに全体としては無意味だが、それなりにまとまっている
(ミハル・アイヴァス『黄金時代』阿部賢一訳、河出書房、2014年、6頁。原著: Michal Ajvaz, Zlatý věk, Hynek, 2001.)

この一文、短編というものの特徴も言い当てているなと思いつつ、実際のところ今のプロジェクトにも同じことが言えるかもしれないなどと、現場に向かう道すがら考えたりしています。
なんだかまとまりのないテキストですが、それもまたそれなりに。

* * *
前回はこちらから↓


メニカンの活動を続けるため、サークルの方でもサポートいただける方を募っています。良ければよろしくおねがいします..! → https://note.com/confmany/circle