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チャクラの国のエクササイズ

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ある日テレビ番組を通じてインド棒術と出会った私は、回転する車輪を表しているかの様なその技に魅せられた。そして未だ知られざるインド武術を求めて現地を踏破しローカルな道場を訪ねつつ、… もっと読む
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#ヒンドゥ教

チャクラの国のエクササイズ 総目次

~インド思想の核心『チャクラ世界観』とは何か?~ プロローグ 第一章 インド武術を求めて …

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第二章 チャクラ思想の源流:ヴィシュヌ神の原像とスリヤ・チャクラ

前回の投稿はこちら ↓ ブッダの法輪に次ぐ第二のチャクラ・シンボルとして唐突に私の視野に…

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進撃する軍神インドラとラタ戦車

前回の投稿はこちら ↓ リグ・ヴェーダに収められた1028の賛歌の内、インドラに捧げられたも…

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インダスの印章と「チャクラ文字」

前回の投稿はこちら ↓ 2007年11月、私はインド武術と出会って以来3度目の訪印を果たした。今…

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大いなること車輪の如き蓮華輪

前回の投稿はこちら ↓ マガダ国がナンダ朝からマウリア朝へと一気に膨張し、インド全体に覇…

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聖別する蓮華輪とヨーガ・チャクラ

前回の投稿はこちら ↓ 聖別する結界としてのチャクラ・デザイン 蓮華輪のデザインは、サタ…

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ブッダ VS クリシュナ

前回の投稿はこちら ↓ ここまで見てきたように、アショカ王の紀元前3世紀からシュンガ朝を経て、サタヴァハナ朝によってサンチーやアマラヴァティに仏教美術が花開いた紀元2世紀にいたる期間は、仏教の黄金時代だった。ブッダの法輪は蓮華輪と共にインド全土を席捲していた。 けれど仏教が繁栄する陰で、水面下では不思議な現象が起こっていた。歴代の王たちは仏教を奉じその寺院やストゥーパに莫大な喜捨をする一方、日常生活ではバラモンを敬い、その祭祀に従っていたのだ。 それは民衆の場合も変わら

第四章 展開するデヴィ・シャクティ:吉祥文様コーラムと招来されるラクシュミ女神

前回の投稿はこちら ↓ ヴェンカテシュワラ寺院を訪ねた後、タミルナードゥ州に入った私は、…

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影の最高神『デヴィ・シャクティ』

前回の投稿はこちら ↓ 前回投稿では南インドにおいて卓越する女神信仰と、その象徴としての…

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踊るシヴァ神、ナタラージャの秘密

前回の投稿はこちら ↓ タミルナードゥ州の東海岸、チェンナイとマドゥライのちょうど中間に…

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タントラ・シャクティの台頭と仏教の衰退

前回の投稿はこちら ↓ ここまで、ヒンドゥ教の勃興からシャクティとバクティが台頭する流れ…

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Interlude:土壇場の暗転~どん底からの再生

前回の投稿はこちら ↓ 2008年4月、私はダラムシャラーから首都デリーに入った。ほとんど全て…

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ガンディー翁と聖なるダンダ

前回の投稿はこちら ↓ これまで見てきたように、インドでは伝統的にチャクラというものに聖…

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第五章 チャクラ思想の核心:車輪の中心にあって、それを転回せしめる車軸

前回の投稿はこちら ↓ 2009年11月2日、私は約1年半ぶりにコルカタの地に降り立った。2005年以来実に4度目の訪印になるが、今回のそれは今までにない重みを持っていた。 あの日2008年の4月、盗難事件の直後フラフラとニュー・デリー駅をさまよい出た私にとって、周りに蝟集するインド人のすべてが敵に見えたものだ。それが1年半を日本で平穏に過ごして、いざ再びインドに帰ってきた時、自分が一体インド世界をどのように受け止めるのか、これが私にとって最大の不安だった。 だが入管で