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色彩の魔術師に会いに。「マティス展」
過日、上野の東京都美術館で開催中の「マティス展」へ。
1890年代にフォーヴィスム(野獣派)を牽引し、”色彩の魔術師”とも呼ばれる画家、アンリ・マティスの回顧展。
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20代半ばでギュスターヴ・モローに師事し、さまざまな技法を取り入れながら、晩年まで精力的に制作に取り組んだマティス。
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これ、狙ってるよね
つい先日、モローのアトリエでともに学び、友人でもあったジョルジュ・ルオーの展覧会を観てきたばかりなので、点と点が線でつながったような感覚。
そういえば、佐伯祐三を「このアカデミック!」と罵倒したヴラマンクもマティスと同時代の画家だ。
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初期から最晩年の作品まで、何しろ150点も展示されているので見どころは多く、観る人によって抱く思いもそれぞれだと思うのだけれど、私が惹かれたのは自画像。
第1章「フォーヴィスムに向かって 1895-1909」で初めに展示されている油彩の《自画像》は、陰鬱でちょっと心配になるくらいに暗いイメージ。(※個人の感想です)
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その後もたびたび自画像が登場するものだから、なぜこんなに自分の顔を描くのだろう、と不思議に思ったのだ。
図録によると、マティスにとって自画像を描く=自己を見つめるための行為であり、重要な転換期にさしかかるとよく描いていた、とのこと。
マティスは鏡に映る自分自身の表情から、何を読み取っていたのだろう。
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セザンヌやシニャック、コロー、ゴッホ…さまざまな画家の影響を受け、良いと思うものは取り入れながら、自身の表現を探求し続けたマティス。
だから作風もどんどん変わる。
ポジティブだなぁ、と思う。
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図録の表紙は《座るバラ色の娼婦》。(ほかにも2種類、異なる絵の表紙がありました)
何度も(少なくとも13回)修正を重ね、幾何学的なのっぺらぼうとして表現された女性像は、わたしにはなんだかなまめかしく見える。
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切り紙絵もたくさん展示されていた。
大病をしたことで体力の衰えを感じたマティスがたどり着いた「ハサミで描く」技法。
リズミカルで、軽快なメロディーが聴こえてきそう。
なんて楽しそうなんだろう。
年齢を重ねるほど、作品が活力に満ち溢れているように感じるのは、わたしだけだろうか。
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パッケージにはロザリオ礼拝堂への地図が
中でも私が最も楽しみにしていたのは、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂にまつわる資料の数々。
マティスが79歳のときにプロジェクトが始動し、完成した4年後にこの世を去っている。まさに集大成。
以前から「大型の作品に取り組んでみたかった」というマティスは、自身が大病をして手術後、寝たきりだったときに介護をしてくれた修道女の招きに応えたというが、それにしても、建築だけでなく、堂内の装飾や、司祭が身にまとう服、照明器具や椅子すべてを手がけるなんて。
仮にわたしがその年齢まで生きられたとして、それほどの気力が、体力が、モチベーションがあるとは思えないもの。
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長い杖のような筆で壁に絵を描くマティスの画像や、ロザリオ礼拝堂の4K映像を観ながら、胸に迫るものがあった。
本当に美しかったなぁ。
いつかあの場所で行われる礼拝に参加してみたい。
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全部買えばよかった…とちょっと後悔
それにしてもなぜ、学校でも図書館でもなく、教会だったのだろう。
とくに宗教的な作品が有名なわけでもなく、この展覧会でもマティスの信仰心や宗教観については言及されていないけれど、私はひとりであれこれ妄想する。
大病を経験し、もう一度絵筆を握れるようになったことで、心に何か大きな変化があったのだろうか。
ひょっとしたら、モローやルオーとの関係も、何か影響しているのかも、なんて。
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「なぜ、美術館へ行くのか?」という問いかけに、なんと答えようと思いめぐらせていたら、単に「絵を観るのが好きだから」「(作品を観ながら)あれこれ妄想するのが楽しいから」ということに加えて、「自分と向き合う時間」を作るために足を運んでいることにも気づいた。
もしかしたら、マティスが自画像を通して自身と対峙していたのと同じように。
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とかくわたしは毎日毎日、“思い煩い”で頭がいっぱいで、ひとりで「あぁ、もう!!」とアセアセ、バタバタしがちだ。
そんなときにふっと自分が好きな作品を思い出したり、美術館に行きたくなったりする。
いろんな作品に自分の想いを重ねたり、単純に心を動かされたりする中で、新しい自分の感覚、想いを発見することも多いしなぁ。
改めてアートとは、単なる装飾ではないのだと深く感じるし、こんなにもたくさん美術館やギャラリーがある東京にいることは幸せなことだなぁと思う。
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