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起業に漠然と興味をもつことのこと。

看護学生になってみてのこと。

看護学生になると、まずびっくり。

ランゲルハンス島ってなんや。
なんで、生態機能の講義で島の話出るんだ。。
生物なんて授業は工業高校にはなく、おしべとめしべと保健体育しかしらんがな。そこからのスタートに周りも、大丈夫🙆‍♀️と、全然大丈夫じゃないフォローを頂いた。

ちなみに、看護学生や看護師になってよく聞かれること。

・なんで男性なのに看護師?
 これはず~っと聞かれる。途中から男子校からの反動です。と鉄板ネタにチェンジ!
祖母が。。云々は、聞く人は求めておらん!
私の”像”に相違ない情報に期待を持っていることが常!と悟った次第(笑)

・女性多い環境いいね!
 
これ質問する人考えてほしい。日常生活で急に異文化の中に単身で放り込まれることの奇異さを。。。
高校生活以降女性が8割以上の環境で過ごして20数年。。これは”ま~そうだね”以上の回答はいまだに持ち合わせていません。

看護学生の日常の事。

だら〜ん代表は、なかなか抜けず当時のメロコア、パンク、ハウスなど当時の流行にのりにのり、毎週もしくは週数回ライブハウス、クラブで遊び呆けていた。ハイスタ・ハスキン・モンパチ・ソバット・ココバット・・・たくさんのライブに毎夜参加し、看護学生自体に必要だった教材費用のほぼすべてはお酒とライブの課外活動に消費。。

・・・看護学生になってと書いたものの、他何かあったかな。。。

頭ば~んのこと。

急になんのこと?となるが、2年生の時に転機となった。

脳挫滅という診断名を見たことがある人は少ないと思いますが、記載の通り脳が挫滅することです。え!説明雑!!となりますが、外部損傷により脳の一部もしくは大半を損壊された状態。

これが親父の死亡診断書に記載されていた。

詳細はまた別に書くとして、土建屋家族は急に一家の主を失い。
これからどうするの。という混迷時代に突入!

当時、今や大手となった建設会社の下請けとして20名程度の”輩”いや、職人を雇用していた。
組織ガバナンス・管理体制・役割なんてものはない!
そんな組織の経営者が急にいなくなり、だれしもがどうすんの?という中、通夜・葬式から2か月程度は顧問税理士の主導のもと、会社清算と職人代表者を選出し、受託中物件・資材・機材の譲渡など事業の承継をバタバタと実施。

田舎の長男という位置づけのみで、親父の死の直後、戒名の決定から事業承継まで意思決定の移譲の連続(笑)。よくもま~19の頭チリチリ(当時ツイストパーマ)のふざけたにーちゃんに、決定を振ったもんだな。といまだに思う。なにも分からず決めるものの、これが決めることなんだな。となんとなく、経営や実施責任を感じた瞬間だった。

と、今進めているコミニティーサポートといったコミニティー単位の健康をサポートするという思いを持つに至った原点の一部ときっかけでした。




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