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人を見たら登壇者と思え

世になき曽祖母は骨の髄からの教育者であった。

その遺訓は「人は何かしら人に伝えるべき何かを持つ」というものである。

私自身それを体現しているし、人にその考えを伝えようとしている。

例えば私が今よく人前で話し、生業として対価を得ている仕事にセミナーの企画やコミュニティづくりといったものがある。

コミュニティづくりとて然るべきところで学んだものでもない。

ひょんな縁が重なって人の集まりをつくる成り行きとなり、尽くしたいと思える仲間を得、純粋に楽しみ突き詰める内に、自分なりの「やり方」ができただけだ。


講座を作るようになったのも、偶然の巡り合わせで、早稲田ビジネススクールの先生が頼む訳でもなく口にした「うちのゼミ生が企業とビジネスプランコンテストをやりたいと言っててね」というのを「それやりましょうか」と拾って形にしたのが始まりで、数年後にその先生が、私が今講座作りをするスクールの立ち上げ担当となったタイミングでたまたま再会し、事務局職員へのアドバイスを頼まれたからである。

それだって仕事ではなく、単なる母校への恩返しと、純粋な学びの場づくり・人づくりへの興味と、あとはたまたまその時関わっていた会社から逃れようとしていて、要するに暇だったから首を突っ込んでみたまでで、割りなどといったケチなことは考えずに時間の許す限り全知全能を絞って議論に付き合っていたら、仕事として頼まれたというもの。

そもそも私のそれまでの経歴は、法人営業と事業開発で人材開発や研修には一切関係ない。

社会人大学院に自腹で行ったりと、ユーザーとしての経験はあるから、まあなんとかなるだろうと、とりあえずやってみた。

ただ、根っこの部分では興味があったのかもしれない。

偏差値30から4ヶ月で70にした勉強法が他の人にも効くか試したくて、家庭教師の教え子に教えて早慶に合格させてみたり、新卒の会社の入社2年目で全社論文大会で、営業なのに何故か組織学習についてもの言いたくなって書いた論文が入賞したり、会社を辞めて通った大学院にいる時に、手持ちが底を尽きかけたので、知り合いの会社の社長から、やったこともない研修の仕事を頼まれるように仕向け、丸4日ほどの研修をゼロから作ってみたりした。

今から思えば「学び」に興味はあったけれども、個人的に面白いと思うだけで、生業にしようとは全く考えていなかった。


話を戻そう。

最初は1講座だけだったが、社会人経験が3年ちょっとしかない留学帰りの若者に可能性を感じ、4回で9万円くらいの値付けで(本当はもっと高くしたかったが、大学が日和った)、自分が欲しいと思う講座を作った。

自分が欲しいと思うものにした絶対的な自信があったから、これまた「割り」など考えず考え得るあらゆる手段を使って人を集めようとした。

自腹でライターをつけて記事化したり、広告を打ったりもした。誰かに頼まれた訳でもない。

講師も私の集客行脚に付き合ってくれ、結局ちょっとした「裏技」も含めて十人以上が参加してくれた。

それがよかったのか、大学からは継続的な講座企画を頼まれ、自分でも主催したり、他の学校や企業からも頼まれるようになって、2018年には年100本、2019年には200本作るようになり、オンライン対応も加味して、その方法論は勢い余って出版してしまった。


たくさんの講座を作ったが、醍醐味を感じるのはそのような新しい才能を世に出す手伝いをした時だ。どの道そういう才能は私がいなくとも遅かれ早かれ世に出るので、発掘したなどという烏滸がましいことは言わないが、少しでも早められる縁を持てたなら、それは嬉しいことだ。

セミナー作りなんて、有名人を引っ張ってくるような作り方もあり、その方が集客も楽だ。

それが悪いとは思わないし、私もそういうチョイスをすることが全くないとは言わないけれど、それは私がやる必要もないことには興味を持てない損な性格もあり、あまり安易にやらないようにはしている。

200本といっても同じものの繰り返しは殆どない。「ありもの」を引っ張ってくるのも面白くないので、なるべく新しく作るようにしている。

量稽古と方法論化によって、早ければ、たまたま隣り合った人と話し始めた30分後にはその人を講師とした講座案内を完成させられる。取材に行った会社の社長に、行きがけの電車で作った講座案を見せ、連続講座を形にしたこともある。


その気になればなんだって企画にできる。

都電が1万円ちょっとで貸し切れるという記事をみて、社内でMaaSについて考えるワークショップを企画した。今や、事前打ち合わせの一部すら公開のオンラインイベントにしてしまった。

そんなノリで考えれば、誰だって講師になりうる。

個人事務所の壁紙を張り替えたいという人がいれば壁紙職人を連れてきて、壁紙張り替えイベントをやるし、事務所にバーカウンターがあるのでカクテルを作れるようになりたいという弁護士がいれば、銀座のバーテンダーを講師としてカクテル講座をやる。


人に必要とされる何かを持つことは、その人の人生を豊かにする。それが「商売」として成り立つかは関係ない。

特別な知見でなかろうと、それが誰かに伝わることで、誰かの人生をほんの少し良い方向に変えられるかもしれない。

その「知」の連鎖が続くならこの世界はほんの少し良いものになるはずだ。

同じ人生が1つもないのであれば、誰しも何かしら人に教えるべきものを持っているはずだ。

そうであるなら、それを引き出す意思と技さえあれば、今目の前にいるその人を、誰かの人生を変える人にできるかもしれない。

「人を見たら登壇者と思え」


存在しない曽祖母の教えとして、これを肝に銘じ、私はまた、しかし、変化しながら、新しい才能を発掘し、人の人生をほんの少し変える学びをつくっていこうと思う。

自分の何かを形にしたい人、学びや場をつくることに関心がある人は、まずは気軽に声を掛けて貰えれば幸いです。
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