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揺らされたいけれど、揺れない。

「先にお飲み物お伺いしましょうか?」
「ありがとう。」
 この長くて艶のある黒髪の女性客はいつも男性と一緒に来ていた。一人で来るのは今日初めてだ。そしてテーブル席でなくカウンター席に座るのも初めてだ。
 いつも一緒に来ていた男性は、最初に二人分のハイボールと軽食をオーダーする。軽い食事をした後、彼女とふたりでロックをゆるゆると数杯楽しみ帰っていく。
「テキーラサンセットを。軽食は要りません。」
「承知しました。」
  軽食は要らないとわざわざ告げてくるところからすると、彼と何かあったのだろうがこちらから訊こうとは思わない。

 出来上がったテキーラサンセットを彼女の前に置く。レモンの酸味が涼やかな夕焼け色のカクテル。
 夏の日の午後6時過ぎのバーカウンターに物憂げな顔の美女、そして茜色のテキーラサンセット。この取り合わせに何も感じないわけではないが、カウンター席に座ったけれど話しかけてこないのであればこちらからは話しかけないと決めている。
 時々スマートフォンの画面を見つめる以外、物憂げな瞳はカウンターのキャンドルを見つめるのと少しこちらを見るくらいだ。
 他の客の酒をつくったり、氷を丸く整えたりしているのを見ているのであろう。楽しんでもらえるように少し大げさに氷を削ってみた。

 彼女が手にするグラスから夕焼けが去って空ろになっていた。
「次は何にしましょうか?」
「アクダクトをお願いします。」
 カクテルの名を告げた唇が微かに艶めかしさを纏った気がしたが、気のせいであろう。口に含むと最初に杏の香りと甘みが広がり、後味はオレンジの酸味が爽やかな余韻を残すカクテル。飲みやすく、強すぎない。

 カクテルグラスに果汁で少し白く濁りのある液体を注ぎ、オレンジの皮を絞って香りづけする。
「どうぞ。」
 彼女が物憂げな瞳で見つめるキャンドルの隣にカクテルを差し出す。その視線が、カクテルグラスに添えられた彼女の物とは異なる節くれた指に注がれる。その視線に熱を感じたのは気のせいだ。
「ありがとう。」
 差し出されたカクテルを受け取って、グラスを口に運ぶまでに発した声は熱を帯びているようには感じない。若くて綺麗な女性が時々こちらを眺めていたり、指に視線を注いだりするから勘違いしているだけだ。

 相変わらず彼女は、スマートフォンを見るか、ライムを切るこちらを眺めるだけだ。
 ショートタイプのカクテルだから、もうすぐ飲み切ってしまいそうであと一口というところだった。

「次はいががいたしましょうか?」
「グランドスラムをください。」
 このカクテルは、完全制覇という意味の名を持つが薬草感のある個性的な味がする。さっきまで柑橘系の爽やかなカクテルを飲んでいたから少し違ったテイストを楽しみたいのか。

 カクテルグラスに黄色に琥珀色を足した色合いの透き通った液体を注ぎ、彼女の前にまた差し出す。
「ありがとう。」
 差し出したグラスを見つめていた視線が突然向きを変えて一瞬ぶつかる。そして、彼女は少し微笑んだかと思うとグラスに視線を戻して口をつけた。
 このカクテルもそこまで強くはない。普段、男性と一緒に店を訪れる時に様々な種類のウィスキーやバーボンを楽しめる人だから恐らく心配はない。

「次はいかがなさいますか?」
「アースクエイクを。」
 このカクテルはどんなにお酒が強い人でも、数杯楽しんだ後にはあまりお勧めできない。なぜなら、ジンとウィスキーとぺルノーの強い3種類の酒を混ぜ合わせたカクテルだからだ。飲むと地震が起きたかのように体が揺れるということからこの名が付いたともいわれている。
 このカクテルの名を告げた彼女はこちらの目を見つめた。嫣然という言葉がぴったりな何とも言えない熱を持った視線で。
「だめですか?」
 視線を逸らすことなく、訊いてくる。
「だめではありませんが、だいぶ強いお酒ですよ。」
 そういいながら瞬時に、先ほどまでのオーダーを思い出す。

 テキーラサンセット、カクテル言葉は「慰めて」だ。アクダクトは「時の流れに身を任せて」で、グランドスラムは「二人だけの秘密」。
 そして、アースクエイクは「衝動」だ。誘いに乗りたいところだけれど、それは彼女のためにならない。

「メリーウィドウはいかがですか。チェリー味で由来になったオペラのような陽気さもありますよ。」

 メリーウィドウのカクテル言葉は、「もう一度素敵な恋を。」だ。こちらも視線を逸らさず、努めて満面の笑みを顔に湛えたつもりだ。
「ご注文はいかがなさいますか?」

(1840文字)


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