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ハビ・マルティネスの語る「ばいやんでの9年間、ファンや仲間への感謝、自身の今後」

—— 以下、翻訳 (インタビュー記事全文)

9年間が経ち、ハビ・マルティネス(32)はFCバイエルンを去る時が来た。クラブの長い歴史の中で、他に類を見ないほど数々のタイトルを獲得した選手である。4月23日の土曜日、お別れのインタビューを行った。

ハビ・マルティネスは、2013年と2020年の2度、バイエルンで3冠を達成している。代表チームでもタイトル獲得の経験がある、バイエルンの選手のうち、チャンピオンズリーグ(旧チャンピオンズカップ含む)での優勝回数が彼よりも多いのは、フランツ・ベッケンバウアー、ゼップ・マイアー、ゲルト・ミュラー、ゲオルグ・シュヴァルツェンベック、ウリ・ヘーネス(それぞれ3度優勝)の5人だけだ。パウル・ブライトナーとビセンテ・リザラズが欧州カップを制したのは、一度のみである。


マルティネスさんは、間もなく始まるご自身の旅立ちに、寂しさを感じていますか?

満員のスタジアムでファンに別れを告げたいと思っていたので、不思議な別れ方になるだろう。それが僕の願いだ。僕だけでなく、ダビド、ジェローム、ハンジもそれは同じだろう。残念ながら、状況がそれを許さない。お別れを言えないことは、辛くて悲しいね。

スタジアムに観客が再び戻ったら、すぐにでもお別れを言うことができるでしょうか?

9月か10月には、かなり頻繁にミュンヘンに戻ってきたいと思う。クラブだけでなく、外にもたくさんの友人がおり、ここでの生活はとても快適なんだ。

9年間を過ごしたミュンヘンは、第二の故郷になりましたか?

ああ、もちろんだよ。2012年に移籍してきて、最初は苦労したけどね。僕は故郷とのつながりの深い人間で、両親や親戚が周りにいるのが好きなんだ。でも、クラブや街の人たちがたくさんの愛情を注いでくれたおかげで、最初からずいぶんと助けられたよ。

当時、親友を何人か連れてきて、一緒に住みながら身の回りの仕事をしてもらっていたという逸話は本当ですか?

FCバイエルンのサポートがあったので、本当は必要なかったのだが、僕にとっては良かったよ。周りに親しい人がいることは、ホームシック対策に大いに役立ったね。

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去年の秋、あなたは移籍寸前の状況にも見えました。結局、今シーズンは残ってよかったと思いますか?

噂はいくつかあったね。僕はクラブに、もし面白いオファーがあれば、退団を考えるつもりだと伝えていた。しかし、僕はまだチームの力になれると思っていたので、残ることが目標だった。ハンジ・フリック監督も「期待している」と言ってくれた。だからこそ、僕はここに残留して30試合近くに出場できたんだ。先発メンバーに入ることはほとんどなく、以前とは違う役割ではあったけれどね。とはいえ、僕にとってチームとは、キックオフ時点の11人の選手だけでなく、15分や10分、あるいはわずか2分でもプレーする人たちで構成されるものだ。それが僕の役割であり、僕自身、その役割を受け入れ、ベストを尽くした。チームのために、何か役に立ちたいと思っていたんだ。

その役回りを引き受けるのは大変でしたか?

16年間のキャリアの中で、常にスタメンに入ることに慣れていたので、最初は難しかった。最終的には受け入れなければならないし、それは常にチームのためさ。時間が経つにつれ、僕はそれに慣れてきた。たとえ1分や2分しかプレーできなくても、常にチームのためにすべてを捧げなければならない。それが、今シーズンの僕のモットーだった。

FCバイエルンでの9年間の思い出を聞かせてください。

幸いなことに、ほとんどが良いものばかりだよ。もちろん、2014年の膝の大怪我のような悪い出来事もあったが、全体的には、世界最高の監督や選手たちと一緒に素晴らしい経験ができたので、ここでの一日一日を懐かしく思い出すことができる。そのおかげで、選手としても、人間としても、大きく成長することができたんだ。また、クラブ史上初の、そして2度目のトレブルも達成した。もう最高だよ!

9年間の在籍で、9度のドイツチャンピオン。それはあなたの誇りになりますか?

もちろんさ。改めて考えてみると、実はすごいことなんだ。僕たちが連覇する以前には、3連覇が最も長い記録だった。この数年間で競争はさらに厳しくなったと思うよ。簡単だと思われることもあるが、とても複雑で、毎日がハードワークなんだ。だからこそ、チームも僕自身も誇りに思うことができる。素晴らしい結果だね。

今年の初め、あなたに新型コロナウイルスの感染がありましたね。体調はどうですか?

2~3日ほど頭痛があったものの、熱はなく、他の症状もなかったね。僕は家に一人で、幸いにも家族はいなかったので、誰にも感染させることはなかったよ。もし両親が感染していたら、もっと辛かったと思う。

今のコロナの状況では、夏も冬もブレイクはありませんね。2021年のタイトル獲得は、特別なものになりましたか?

過密日程だったので、とても大変だった。ほとんど休みなくプレーしていたね。筋肉や体調にも負担がかかるものだ。結局、僕たちも同じ人間さ。パンデミックの影響で、スペインに帰って家族に会いに行くこともできなかったね。それは大変なことだったが、同じ問題を誰もが抱えており、ドイツ国内や欧州には、もっと大きな問題や悩みを抱えている人もいる。僕はこのドイツでの生活に感謝している。医療体制がとても充実しているからね。

バイエルンで獲得したタイトルの中で、最も美しかったものは?

2013年、ウェンブリーで行われたドルトムント戦で、僕のチャンピオンズリーグ初優勝だ。前年にチェルシーとの決勝戦で敗れていたため、チームメイトの顔には、その安堵感と喜びがあったのを覚えている。ずっと夢見ていたトロフィーで、しかも僕の入団初年度の締め括りとなった。当時、多くの人が守備的MFのための4,000万ユーロは大金だと言っていたが、僕自身は、その金額のことはいつも考えないようにしてきたよ。

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当時、多くのサッカー評論家は、2012年の決勝戦で敗れた後、チャンピオンズリーグで優勝するためのパズルのピースは、あなただと考えていましたね。

僕はチームに貢献したが、僕だけが優勝の要因ではなく、他にも新加入選手たちがいた。当時のチームは、スタメンだけでなく、チーム全体がとても強かったんだ。前線にはマリオ・マンジュキッチ、マリオ・ゴメス、ピッツァ(クラウディオ・ピサロの愛称)がいた。その後ろには、トニ・クロース、フランク・リベリー、アリエン・ロッベン、トーマス・ミュラー。なんて豪華な攻撃陣なんだ。まさにワールドクラスさ!ディフェンスも非常に優秀で、それは明らかだった。

バイエルンの元スポーツディレクターであるマティアス・ザマー氏にとって、あなたは大一番を制するための、違いを生み出す選手でした。その通りだと思いますか?

僕は大舞台で常にベストを尽くす選手であり、その準備はできていた。神経質な性格ではないし、こうした勝負では性格に大きく左右されるものだ。そのプレッシャーにうまく対応できない選手もいるだろうね。

ドルトムントとの試合といえば、ドイツ国内でいつも熱狂的な盛り上がりを見せていました。BVBとの対戦で見ると、あなたは『キッカー』誌の採点で平均2.92という納得させる数字を残しました。これは偶然なのでしょうか?あるいは、なんらかの説明ができますか?

もちろん、この対戦には常に大きなライバル意識があった。その試合ではさらなるモチベーションが出ていたかもしれないが、ビッグクラブが相手なら、それは当然のことさ。

FCバイエルンでのあなたのベストマッチは?

2014年のドルトムントとのポカール決勝を挙げたいね。ペップ・グアルディオラ監督のもと、延長戦の末に2-0で勝利を収めた。この試合、僕はスリーバックの中央でプレーした。僕らは多くの離脱選手を抱える中、素晴らしい勝利だった!ラフィーニャは左サイドバックを務め、若きピエール・ホイビュルクもメンバーに入ったね。

あなたはファンの間で、2013年のチェルシー戦、2020年のセビージャ戦でのゴールで、ミスター・スーパーカップとして記憶されています。これには納得ですか?

もちろん、OKさ。チームとして一緒に勝ち取った勝利ではあるけどね。どちらの試合でも、僕は最初はベンチスタートで、交代で出場したので、その点では似ているね。FCバイエルンで初めてUEFAスーパーカップを制覇したことは、とても光栄なことだった。2013年は特別だったよ。このチェルシーとの対戦で、僕たちは歴史を作りたかったんだ。そして、見事にそれを成し遂げた。タフでとても良い試合だったと記憶しているよ。

2012年の入団当時、ミュンヘンで9年間もプレーすることを想像できましたか?

いやいや、まさか。そんなことは夢にも思っていなかった。こんなビッグクラブで9年間もプレーできるは、とてもとても難しいことで、それが叶う選手はひと握りだ。名誉で、幸せなことであり、誇りに思っているよ。ワールドクラスの選手たちがここでプレーしており、僕もこのチームの重要な一員だった。

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ペップ・グアルディオラ、カルロ・アンチェロッティ、ハンジ・フリック。あなたの時代には、多くの偉大な監督がいましたね。とはいえ、その中でも、あなたの獲得を強く求めていたユップ・ハインケスが最も重要な存在だったのでしょうか?

僕をここに連れてきてくれたし、僕の移籍を非常に望んでくれていたので、いつも彼には感謝しているよ。彼は僕に電話をかけてくれて、「君をFCバイエルンの重要な一員として迎え入れたい」と言ってくれたんだ。

幸いなことに、当時のクラブ首脳陣は監督のアドバイスに耳を傾けましたね。

僕はアスレティック・ビルバオでプレーしていたが、チャンピオンズリーグには出ていなかったので、あまり注目されていなかったのかもしれないね。しかし、ユップはかつてそこで監督を務めていたことがあり、このクラブを定期的にフォローし、僕のプレーを見てくれていたんだ。彼は僕のことをよく知っていたね。

バルサやレアルではなく、FCバイエルンを選んだ理由は?

もちろん、ユップの存在は大きいし、それに、国外での経験を積みたかったんだ。僕には、その一歩を踏み出す自信があった。

最初はバスティアン・シュバインシュタイガーとダブルボランチを組み、息のあったプレーを見せていましたね。なぜこれほどまでに、互いにうまく機能したのでしょうか?

彼とのプレーはとても楽だった。バスティはまるで機械さ。僕たちはピッチの外でもよく似ているんだ。オープンな性格で、いつも冗談を言い、とても良い関係だったね。彼は、ピッチの上以外でも、多くのことを教えてくれたよ。

シャビ・アロンソ、チアゴ、ヨシュア・キミッヒなどとも一緒にプレーしましたね。これらの選手たちの特徴は何でしょうか?

僕は世界最高のミッドフィールダーたちと一緒にプレーしていた。彼らが側にいれば、すべてが楽になるんだ。

現在、最高のボランチは誰ですか?

ヨシュ(キミッヒ)、それからカゼミロとエンゴロ・カンテかな。

現代のサッカーにおいて、ワールドクラスのボランチに必要な能力とは?

あらゆる要素が求められるね。戦略家であることや、タックルやヘディングに強いことなどだ。ボランチは、基本的にチームの中で最も完成度の高い選手でなければならず、守備も攻撃もでき、ゲームの組み立てを考えることも必要だ。僕が思うに、ピッチ上で最も困難なポジションさ。多くの役割や運動量のほか、チームの穴を埋める作業が加わるんだ。

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2012年、あなたはクラブ史初のスペイン人選手として加入し、その後多くの選手たちがそれに続きました。ですが、今残っているのはマルク・ロカだけになりますね。FCバイエルンにおけるスペイン人の時代は、あなたと共に終わりを迎えると思いますか?

マルクはとても優れた選手だ。彼は若く、スペイン(ラ・リーガ)時代の彼を知っているが、来シーズンはチームの重要な一員になると思うよ。

そして、スペインの時代は?

リュカ・エルナンデスとは、いつも冗談を言っているよ。僕らが2010年にワールドカップ王者になったとき、バイエルンは多くのスペイン人選手を連れてきたことで、僕らはその当時のスタイルの形成に貢献した。今は、フランスがワールドカップ王者になり、一気に6人ものフランス人選手がここでプレーするようになった。次のワールドカップ後は、どの国の人が FCバイエルンを支配することになるのか見ものだね(笑)。

あなたは、2010年にワールドカップを、2012年に欧州選手権をそれぞれ優勝しましたが、代表戦の試合出場自体は18試合にとどまっています。これは少なすぎでしょうか?

これらの国際タイトルを獲得した後の数年間は、優れた選手が多く召集される中で、代表チームで出場機会を得るのは非常に困難だった。その後の数年間、僕のバイエルンでの活躍も、代表チームでの継続性に影響を及ぼすものではなかった。とはいえ、クラブでレギュラーとしてプレーしていなければ、スペイン代表にノミネートされる可能性はあまりないだろう。6年から7年の間、代表を続けられてよかったと思っているよ。

2014年のワールドカップで、あなたは最後の国際試合に出場した後、膝の大怪我に見舞われましたね。それがなければ、もっと多くのことが叶えられたのではないでしょうか?

ああいう怪我が原因で、まったく復帰が絶望的になれば非常に辛いことだ。ドクターの一人は当時、「この怪我でキャリアを終えた選手の例はいくらでもある」と言っていた。不安はあったし、今でもまだ膝のケアや治療を受けなければならないけれど、再びプレーできるようになったことに感謝しているよ。

将来の計画については、どう考えていますか?故郷のスペインに戻るか、それとも国外で新たな経験を積むのでしょうか。

あらゆる可能性がオープンで、自分にとっての最良の選択肢を探しているところさ。まだわからないが、この夏、故郷アイェグイに帰って決断しようと思う。今はまだ、残り試合と、お別れのことしか考えていないよ。

いつまで現役選手としてプレーを続けたいと考えていますか?

わからないね。それは僕の足が決めるだろう。1年か3年、もしくは10年?それは、これから分かるだろう。だが、引退後も身体は鍛え続けたいね。

この夏、アイェグイの街にある、あなたのレストラン「ダーバン」で、あなたを見かけることはあるでしょうか?

もしかしたら、そこでシェフになっているかもね。でも、きっとあまり良いビジネスではないだろうね(笑)。

あなたの村は、サンティアゴ巡礼の道にあり、あなたはその巡礼をずっと経験したかったそうですね。今なら、その時間はありますか?

アイェグイは、サンティアゴ巡礼の道の要所にある。近々、あるいは数年以内に、母の希望もあって必ずやるつもりだ。

あなたはとても信心深く、毎試合前にお祈りをしていますね。アリアンツ・アリーナでの最後の一戦を前に、この9年間への感謝の祈りをしますか?

子供の頃からお祈りはしており、試合前の儀式なんだ。そして、いつものように、怪我をしないようにお祈りをするつもりさ。

2018年、あなたは『キッカー』誌のインタビューで、去り際に後悔がないよう、常に最大限の力を発揮することが大切だとおっしゃっていました。悔いなく去ることはできますか?

ああ、悔いはない。しかし、それ以上に、FCバイエルンや、ミュンヘン市、この地域、そして特に、世界中の素晴らしいファンの皆さんに感謝したいね。光栄なことだ。僕は永遠にFCバイエルンの一番のファンだよ。

▼元記事
https://www.kicker.de/javi-martinez-im-grossen-interview-es-war-mir-eine-ehre-804520/artikel


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