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結婚するよね?子ども産むよね?ウチは男性しか採用していない

某氏の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言で盛り上がっている女性蔑視問題。またか……というような諦めにも近い感情を持っている。

「あなたは結婚するよね?」
「子ども産んだら働けないよね」
「男性しか雇っていないんだ」

どれも私が7~8年くらい前に転職活動の最中に面接で言われた言葉だった。大手企業の工場だったり、田舎の病院だったり業種はまちまちだった。その時も思った。「この時代に性別が採用基準になるとは」

何が問題なのか理解できないし、理不尽としか言いようがなかった。私の努力ではどうすることもできないことで否定されるのはつらかった。

学生時代は本当に男女平等だった?

学生時代は男女の区別があまりなく、社会に出ると男女の差を肌身に感じたと話す女性を何かのニュースで見たことがある。本当にそうだったのか?私が小学生のころ(まだ土曜日が休日ではなかった時代)は男女に分けられていた。

例えばクラス名簿。当時は男子(名前の順)女子(名前の順)に記載されていた。席もそう。机は2つずつくっつけて3列~4列に並べますが、必ず男子+女子の組み合わせ。全体朝礼や体育の時もそうだった。男子の背の順に女子の背の順。

男女平等だったら、男女に分けずにまぜこぜでよかったはずだ。

ちなみに体操服も女子はブルマだった。男子は短パンなのに。あれってパンツで歩いているようなものなので、当時も嫌だなと思っていた。

今はどうなんだろう?私のころと比べたら断然良いんだろうと思う。男女関係なく名前の順だろうし、並ぶときは分けられるかもしれないけれど、今の方がきっと差は少なくなっているのかもしれない。

探してみれば、この他にもあるかもしれないが学生時代にそれほど差を意識したことは確かになかった。

ガラスの天井

『ガラスの天井』と女性やマイノリティについて語られると中で出てくる単語だが、私がそれを実感したのはずっとあと。30前後になってからだと思う。見えない部分で性別が足かせになっていると思うような出来事を見るようになったから。

私がはっきりと「女性だから」と言われたのはある意味親切…というかよかったことなのかもしれない。だって多くの場合は言葉にはされない。法律に触れてしまうから。転職活動でなぜ女性をとらないのに面接を行ったかと言えば、「女性だから」で断ったら法律に触れるし、「女性と面接をした」という記録が大事だからというのもある。私の大切な時間を採用されることもない面接に奪われるのは迷惑な話だ。

でも多くの場合はそうではない。何度か転職を経験しているが、管理者をしているときに「妊娠したら(ケガなどされたら)迷惑だから休んでほしい」なんて同じ女性から言われたこともある。私だってこれから結婚して子どもを産むかもしれないのに、同僚の女性にそんなこと言えますか?私はとても言えなかった。私が全部受け止めて吸収した。

他にも、ある女性の先輩の仕事がある男性の成績になっていたというのも見たことがある。1つ気になると似たようなことに気がついて、次々とおかしいと思うことが視界に入るようになった。

"女性だから"の働き方

私のジョブチェンジはとても大きな変化だった。女性だから不採用になった会社もあったけれど、性別に関係なく他業種で働いた経験を評価してくれて採用してくれた会社もある。そして、女性だからの働き方ができる環境を作ろうとしている場面を見ることもできた。

妊娠してもとがめられない。ポジションや役所は変わってしまうかもしれないが、必ず戻ってくる環境がある。そして労働時間の調整ができる。当たり前のことですが、そんなこともできないことが多いのが現状だと思います。

とはいえ、出産育児休暇を取らざるをえないので、その役職からは一度は慣れなければならないということもあってそこにやりがいや生きがいを感じている方にとっては思うところもあると思う。

私はというと、結婚するからと不採用になってから7~8年たっているけどいまだに独身だし子どももいないしその予定もない。そのことを考えると「女性は結婚するから採用できない」という言葉は本当に理不尽だなぁと思う。

そういったアレコレを目にしていて、私は切り開くのではなく自分の置かれた環境で根を生やし蕾をつけ、花を咲かせることを選んだ。

と偉そうに書いてみたけれど、私には才能もない。力もない。頭も良くないし秀でた能力もない。私には何にも武器がないのも事実で、ここは性別関係ないことなのも自覚がある。そして、努力だけでどうにもならないこともたくさんある。だから私は私にしかできないことを選んだ。自分ができることを手の届く範囲の中で少しずつ挑戦していった。それが『書く仕事』だった。

マーケティング部に配属されても私は何年も最年少だったのもあって、雑用以外に仕事をもらうことができなかった。任せてもらった仕事もやりたいこととは違う。主張しなければ伝わらないけれど、主張するだけでも仕事はもらえない。だから私はブログを自分でたてて運用してアフィリエイトまではじめた。私は「セールスライティングができる」と認めてもらいたかったから。でもそれだけじゃ独りよがりだ。だから他社メディアのライティング経験が欲しくて手が届くライティング案件からはじめた。(ライター史ではアレコレ書いていますが、こういった打算的なところもあるので私って結構ずる賢いでしょ?)

・転んでもタダでは起きない
・手が届く範囲でがんばる
・やれることには挑戦する
・ダメだったらスパッと諦める
・嫌だったらやらない

心がけていることはそんなことかな。

だから文藝春秋の安藤さん有働さんの対談を読んで、何を言われても負けずに、チャレンジして、切り開いていったお二人はすごいなっとこの一言しかでない。私はじゃあここじゃなくてもいい、と場所を変えてしまいそうだと思った。

でも。

方法も過程もちがうけれど、私が認めてもらうためにした行動というのは、つながるところが1mmくらいはあるのかな……なんて思って。

ターニングポイント

私のターニングポイントは転職。せっかくジョブチェンジができたので心機一転0からがんばろうと決意し、チャレンジして自分の考えも伝えるように努力をした。職種や業界を変えるというのは想像以上に難しいのも、偶然が重なって採用されたということも私は知っている。だから、失敗しても嫌われたとしてもやりたいと思ったことにはチャレンジして、自分ができる限りのことはしようと決めた。

私の行動は考え方や行動を変えたし、任せてもらえなくても自分で仕事をとってくるということも可能になった。思っても何もしなかったが、行動を起こすだけで環境はだいぶ変わるんだなぁと実感した。だって、私がパソコンをつかって仕事するなんて、10年前はもう叶わないってあきらめていた。それにこれまでの私だったらもしライターの仕事をはじめたとしても、続けられずに終わってしまったと思う。

私のジョブチェンジのきっかけはあまりよくない理由だけれど、あのとき自分の環境を変えるために行動したから今があると思う。いま、私は自分の名前でnoteを書きこれまでのことを振り返るくらい余裕がでてきて幸せだなと思っています。


#日経COMEMO #あなたが変身した話

最期までお読みいただきありがとうございました!