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筆を走らす

ただ、ただ、筆を走らす。頭に浮かぶ言の葉をそのまま、ありのままに、表現する。とても静かな時間。私はそんな時間がとても好きである。誰かのために書くわけではない。自分のためですら、ない。読者なんてそこにはいない。ただ、ただ書くのである。いや、“書く”というより、この行為は“描く”という方がしっくりくるきがする。特に意図もなく、ただただ、手を動かすのだ。

先日、「どうやったら、小夏さんみたいに文章が書けるんですか?」と、聞かれることがあった。ありがたいことに、私が吐き出すように綴る文章を受け取ってくださる方がこの世にはいらっしゃるのだ。凄いことである。そんな風に言われたら、とても嬉しい。だから、どうやって、書けるようになったのか?ちゃんとお伝えしたいな、と思った。

でも、「ただ、書いている」としか言えない自分がいる。本当にただ、ただ、書いているのだ。そして、書き続けている。考えてみれば、小学生の頃からずっと、私はひたすら文章を書き続けている。しかも、それは日記ではない。恥ずかしながら、日記は続いた事がない。でも、書き続けている。

何を書いていたのか?手紙である。それから、小中学生の頃は交換日記も書いていた。高校生になると、手紙はメールへと形を変え、大学生になった頃には、ブログやSNSになった。特定の人へ向けて書いていたものから、不特定多数の人へ向けて書くものへ、少し形は変わっていったけど、私はずっと“誰かとコミュニケーションを取りたくて”文章を書いてきた。

実は私は言葉を使わないコミュニケーションの方が得意な人間なのだと思う。普通は飼い主以外に懐かない犬くんや猫さんとか、親以外に抱かれると泣いてしまう赤ちゃんとか、言葉を使わない方々と仲良くなるのが小さい頃から得意だった。(もちろん、彼らにも好みはあるので、好かれないこともあるのだけど!!)

一方で、言葉を使ったコミュニケーションは私にとってはとても難しいものだった。でも、多くの人は言葉を使ったコミュニケーションを取る。言葉を操る人々と言葉を抜きにコミュニケーションを取ろうとしても、やっぱりうまくいかない。テレパシーのように会話している気になっていても、察するなんて本当はできない。やっぱり言葉はとても大切なものなのである。そして、私はどーしても、言葉を操る人々と仲良くなりたかった。だから、私は一生懸命、文章を書いた。瞬時に言葉を交わす会話より、少し時間をかけて考えられる文章の方が、言葉が苦手な私にとっては心地よかったのかも知れない。

小さい頃から私の周りにはいつも秀逸な文章を綴る人々がいた。読書感想文で賞を取ったり、詩で賞を取ったり、人の心を掴む文章を書く人というのは溢れんばかりの才覚を持つ人は否が応でも目に入るものである。残念ながら、私はそういうタイプのこどもではなかった。必死で文章を書く練習をしていたので、人並みの当たり障りのない文章を書けるようにはなったけど、ただそれだけだった。それは大学生になっても変わらず、ブログやmixiの日記などで、ひとの心を掴む文章を書く友人たちが、いつも私の周りにはいた。そんな人たちに私はとても憧れていた。自分の文章はなんでこんなに面白くないんだろう…と悲しく思うこともあった。時に、そんな彼らの表現を真似して書いたこともある。文章の書き方的な本も沢山読んだ。大人になってからは文章講座に参加したりもした。

そうやって、とにかくコツコツ書き続けた。自分の文章の残念さを痛感しながらも、それでも私は書き続けたかったのだ。だから、ただ、ただ、ひたすら書き続けた。手を替え品を替え、表現し続けた。


娘が生まれた頃、私はようやく人に見せない文章を書き始めた。モーニングページという手法で、ただ、頭に浮かぶことをひたすら描く、というものだった。この頃、私は初めて自分を素直に表現するという体験をした。いや、正確には初めて、ではなかった。過去にも、何も考えずにただ書いて出しただけの文章もあった。そして、そんな時は確かに他者からの反応も良かったのだ。ただ、頭に浮かぶことをそのまま、誰にも見せずに書き続ける中で、そんなことに、気付くようになっていった。

それから5年程が経ち、サボり魔で飽き性な私は毎日続けてきたわけではないのだけれど、それでも気付いたらモーニングページを綴ったノートは10冊を越えていた。ブログやnoteを毎日更新していた時期もある。ひたすら文章を書き続ける中で、私はただ、ただ筆を走らせる感覚を掴んでいった。何も考えずに、ただ、そのまま、ありのまま、素直に自分を表現することは、凄く軽やかにすんなりできてしまうのである。

なんの苦労もなく、自然に書けてしまう文章が、一生懸命、“誰かに届けよう!”と、書いていた文章よりも、どうやら人の心に響くらしい。誰かに何かが伝わる頻度も増えていっているように感じる。ただ、ただ、素直に表現したその先に、この文章を受け取ってくださった誰かが、何かを感じ取ってくれたら、いいな…!最近は、そんなささやかな想いを込めて文章を綴るようになってきている。

一つだけ、モーニングページではやらないけれど、外へ発信する文章ではやっていることがある。それは自分の書いた文章を読み返すこと。読み返してみて、読みにくいこところは、読みやすいように書き換えている。と、言葉にすると小学生のように稚拙な文章になってしまうけれど、たぶん、ここが唯一のポイントなのだ。大切なのは、読み返すときは、自分じゃない人になること。書いた人は行間を読むことができる。でも、読む人は行間を読むことはできない。だから、行間を知らない誰か別の人になり切って、読みにくく感じるところを、読みやすく変えていくと、他者が読みやすい文章が生まれていく。書いているのは自分だから、別人になるのはなかなか修行がいることで、未だに私も試行錯誤を続けている。

そして、言葉にして何かを発信している以上、誰かを傷付けてしまうこともある。言葉には光と闇の力がある。そのことを肝に銘じた上で、やっぱり私はひたすら筆を走らせ続けるのである。

3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎