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娘の言葉に惑わされ自分を見失っていた話

ちょっとだけ衝撃を受けたことがあって、自分でもびっくりするくらい傷付いて、たくさん、たくさん泣いた。「ママはアーティストとして尊重されていなかった」という娘の言葉を聞いて、最初、私はアーティストとして尊重されなかったのが悲しかったのかと思った。

だから、こんなnoteの記事を描いた。


こうやって、世の中に出したら、「違う!私の言いたかったことはこれじゃない!!そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と、私の中のちび小夏が叫びを上げはじめた。そして、また泣き出したのだ。

え?違うん??と、最初は戸惑った。けど、〝アーティストとしての尊重“なんてそんな高尚なもの、確かに私らしくない?言葉である。そんなかっこいい言葉じゃなくて、本音はもっと別ところにありそうである。娘がかっこいい事を言い出すので、うっかり乗せられて、騙されていたらしい笑

確かに私は、描いた絵を売って生きている。絵のある、アートのある空間を売って生きている。でも、アーティストとして扱われなきゃ嫌!!みたいな強い想いはあんまりない気がする。なんかさ、役割とか職業とか、あんまり重要じゃない気がするんだよね。社会に説明するには便利だから使うけど。でも、画家に限らず、娘や息子の母として、夫の妻として、他にも色々な役割を持っていて、それ全部丸ごと、私の表現活動なのだ。

だから、別に〝アーティストとしての尊重“なんて、そんなかっこいい事、あんまり考えて生きてない。大体、死んだら自分がどう扱われるかなんてわかんないし笑 だったら、生きている今だって、そんなに気にしなくてもいい気がする。そう、少なくとも今の私は感じているようである。まー、殺人者扱いとかされたら嫌だけど。。。でと言葉を紡いでいる以上、誰かの心を殺しているかも知れないし…、、、って、この話を深掘りするのは今日はやめておこう笑

では、私は何に傷ついてたのか?

ただ、単に一緒に遊びたかったお友達に、名前を読んでもらえなくて寂しかったの!!それだけ。本当にそれだけのことであった。こどもかよ!!笑 って感じだけど、こどもなんだもん!!

だってさ、小さい頃から憧れてたの。お友達と仲良く遊ぶ=表現活動することに!!でも、小さい頃は、いろんなことがお友達より上手じゃなかったんだよ、、、。栃木県益子町という陶芸家が集う芸術の街。そこで育った私の幼馴染たちは、絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、ピアノ弾いたり、文章書いたり、走ったり、飛んだり跳ねたり、わかりやすい表現活動?がとても“上手“だった。

「Aちゃんは背も高いし、運動神経もいいし、歌もうまいし、宝塚とか行けるんじゃないかな」
「絵で賞を取るなんてBちゃんは流石だわ。陶芸作品を出展したあなたと同じ賞だったけど、(最後は父が窯で焼いた)陶芸と絵画では賞の価値が全然違うわ」

幼馴染たちを褒め称える母の言葉を今でも覚えている。私にはそういう才能ないんだな…。一緒に表現活動したら、ダメなんだな…。

だったら、別のことを頑張ろう!!とりあえず、勉強だけは他の子達よりできる。受験は面倒くさそうだから、高校は推薦で行って、早慶あたりの大学に行けたらいいかな。周りは芸術家ばかりだし、一人くらいは普通に会社員とかになった方が、逆に新鮮で面白いんじゃね?

小学生高学年くらいの頃には、そう考えるようになっていた。

そんな私が今は画家になっているなんて。人生は、わからないものである。当時の幼馴染たちのように、絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、ピアノ弾いたり、文章書いたり、走ったり、飛んだり跳ねたり、が得意な人たちとも、画家になってから一緒に遊べるようになった。それがとても嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、すごく、すごく、嬉しい♪

ところが、わーい!やったー!!と、大喜びして遊んでいたら、一緒に遊んでたと思ったお友達に名前を呼ばれなかったのだ。だから、「え?他の人は呼んでもらってるのになんで??」と、しょんぼりして、悲しくなってしまった。せっかく一緒に楽しく遊んでたのに、私はお友達にして貰えなかったのか、、、と、私の中のちび小夏はとてショックだったらしい。

えーん、えーん、悲しいよー!!と、大声を上げて泣いた。泣いて、泣いて泣き続けた。泣き晴らした後も、泣き続けた。大人になった小夏が、よしよし、寂しかったんだねーと、自分で自分を抱きしめて、ようやく、涙が止まった。

大人になった小夏は知っている。名前をうっかり呼び忘れることなんて、いくらでもあるということを。だからと言って、「お友達じゃない」というわけじゃない。でも、ちび小夏は悲しかったのだ。寂しかったのだ。えーん、えーんと泣きたかったのだ。気が済むまで泣かないと、泣き晴らすことができなかったのだ。

あんなにたくさん泣いたのに、泣き晴らした後はケロリと笑顔になった。泣いたカラスはすぐに笑うのである。ちび小夏は良く泣くけど、ちゃんと泣き尽くしたら、後は大丈夫◎また、ケラケラと笑うのだ。

私が生み出したい場づくりも「敬意を払って尊重する」なんて高尚なものじゃなくて、みんなで一緒に遊べる空間なのだ。上手い、とか、下手、とか関係ない。損か、得か、とかもない。好きか嫌いか、だけはある。だから、たまに喧嘩する。傷付いたり、傷付けたりもする。だけど、たくさん泣いたらケロリと笑顔になる。二度と遊びたくない!!とか言い合っても、時間が経ったらまた遊んだりする。でも、無理に遊ぶ必要もない。嫌だったらそこから去ってもいい。

そんなこどもたちが、無邪気に集う遊び場なのだ。

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3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎